◆第十五話『真の狂戦士』
──いま、自分はなにをしているのか。
リシス・オルクレールは漠然とした思考の中、そんな疑問を幾度も抱いていた。しかし、結論は出ずに考えが霧散する。それの繰り返しだ。
視界は暗闇で覆われていた。
時折、血のように赤い刃が刻まれ、ズキンとどこかが痛みを覚えた。そのたびに連動する形でうっすらと像が浮かびあがる。
像の形は色々だ。
初めは級友たちだった。
初等部から中等部、そして高等部。
ナナトリアやシャルミン。
それにルヴィも当然映っていた。
ただ、総じて彼女たちは同じ消え方をする。
いきなり現れた魔獣たちに喰われてしまうのだ。
現れれば消えてしまう。
だから、誰かが現れれば逃げてと叫ぼうとした。だが、なにも知らせることも出来ず、ただ見ているだけしかできなかった。
級友たちが終われば、今度は親族の像が浮かびはじめる。幼少の頃から見知った人たちが現れては魔獣に喰われて消えていく。
途中からなぜか痛みを感じなくなっていた。
もしかすると痛覚が麻痺したのかもしれない。
そんな中、ふっと現れたのは母の像だった。
母は誰よりも慈愛に満ちていた。
そしてお日様のように温かい人だった。
いまも柔らかな笑みを向けてくれている。
抱きしめようと両手を広げてくれている。
先ほどまで荒れていたのが嘘のように、不思議と心が穏やかになった。だが、まるでそれを待っていたかのように黒い影──ベヒモスは現れた。
やめてと叫ぶ間もなく、母は呑み込まれてしまう。
その瞬間だった。
感じなくなった痛みが、まるで爆発するように広がったのは。
押し寄せてくる、とてつもない圧迫感。
自分という存在が、なにかに押しつぶされそうな感覚に襲われる。
もう誰の死も見たくはない。
こんな辛い想いをするのはいやだ。
そう叫んでも響かない空間の中、もがき苦しんでいると、まるで囁きかけるような声が聞こえてきた。
だったらすべてを破壊すればいい。
そうすれば誰の死も見なくて済む。
なぜそんな考えに至るのか。
まったく理解できなかった。
だが、いまの自分には驚くほどストンと心の底にはまった。
暗闇で覆われた視界が、ぼやけながらではあるものの、見えるようになった。周りの音もくぐもっているが、わずかに聞こえてくる。
「ぅぅ……がぁ──ッ!」
響く、獣を思わせる呻き声。
それが自分の発したものであると理解できたのは、すぐのことだった。
標的とする魔人に向かって、がむしゃらに飛びかかっている。四つん這いになったかと思えば、大口を開けて涎をまき散らしてもいる。
本当に獣そのものだ。
得物も使わず、ただひたすらに拳を突き出している。
なんて醜い姿だろうか。
以前の自分が、もっとも忌避するような戦い方だ。
ただ、このまま身を委ねれば、きっと魔人を倒してくれると思えた。
いや、魔人だけでなく、わずらわしいと思うものすべてを破壊してくれるはずだ。願ったこともすべて叶えてくれる。だから──。
……わたくしはもうなにも考える必要はない。
ただ、破壊だけを望めばいい。
そう決めた途端、心が一気に安らいだ。
促されるがまま心のまぶたを閉じようとする。
「──リシスッ!」
体が、心が震えるような声だった。
まるで叩き起こされるように目を見開いてしまう。
直後、視界に映り込んだのは最近、戦姫学園に赴任したばかりの教師──ロアだ。彼はまるで叱りつけるような厳めしい表情で正面に立っている。
「せん、せい……?」
動くかわからない口で、気づけばそう呟いていた。
視線をわずかにそらすと、拳を突き出していた。
しかと受け止められてはいるが、問題はそこではない。
魔人と闘っていたはずなのに、なぜロアを攻撃しているのか。
……いや、違う。
ロアの後方にルヴィたち級友の姿が見えた。
その瞬間、自身がなにをしようとしていたのかを察した。
罪悪感からか、一気に呼吸が荒くなった。
本能的に窺うような目をロアへと向けてしまう。
「わ、わたくし……は……っ」
「お前はなにもしていない。心配するな」
言うや、ぐっと引っ張られた。
そのまま腕ごと強く抱きしめられる。
「どうにか理性を取り戻せたみたいだな」
きっと以前の自分なら突き飛ばしていたはずだ。ただ、いまはそんな気持ちにはならなかった。
大きくて深い懐。
ごつごつとした逞しい腕。
すっぽりと収まっているからか、どんな場所からも守られているような感覚だ。
鎧のせいか少し鉄くさい。
魔獣の血独特の生臭いものも感じる。
ただ、草葉を撫でた風を思わせる、爽やかな匂いもした。
不思議だった。
母に抱かれたものとは違う。
けれど、同じぐらい心が落ちついた。
「もう、大丈夫そうだな」
「ですが……離れたら、また……あれに呑み込まれそうで……っ」
──怖い。
いまも腹の底から衝動が突き上げるように襲ってきていた。
少しでも気を緩めれば一瞬にして意識を持っていかれるような、そんな凄まじい圧迫感にさいなまれている。それでも耐えられているのは間違いなくロアのおかげだ。
離れたくない、と。
両手でロアのことをぎゅっと掴んでしまう。
「お前ならやれる。大丈夫だ……大丈夫」
頭を撫でられた。
以前のように髪がくしゃくしゃになるようなものではない。心が落ちつくようにと気遣いが伝わってくる優しいものだ。
余計に離れられなくなってしまう。
そんな想いが募ってくるが、すぐに改めた。
そっと離されたのち、向けられたロアの目が真っ直ぐにこちらを見ていたからだ。そこには、〝リシス・オルクレール〟を信頼する気持ちが詰まっていた。
「やれるな?」
「……はいっ」
力強く頷くと、ロアが「よし」と頷いた。
その後、彼は自身の腕にはめていたブレスレット型の魔装を取り外した。
「武器、壊れちまったんだろ。これを使え。いまのお前ならちょうどいいはずだ」
言いながら、ロアがこちらの魔装と取り替えてきた。リシスは右手首にはめられた彼の魔装を目にしながら、その意味を問いかけようとする。
「これって……」
「ぉおおいっ! いつまで待たせんだい! あと少しで仕留められたってのにさぁっ」
魔人が苛立ったような声をあげた。
ロアを恐れてか、ずっと様子を窺っていたようだ。
「悪いな。けど、こっちはチャンスを与えてやってんだ。これぐらいいいだろ?」
「ちっ、まあいいけどね……どうせアタシが勝つんだし、さッ!」
どうやら我慢しきれなくなったらしい。
魔人が地を這うような飛行で勢いよく向かってきた。
「よし、じゃあさっさとぶちのめしてこい」
「……はい!」
ロアがそばにいたルヴィたち3人を雑に抱え、後退する。最中、リシスは迫ってくる魔人を見据えながら、右手にロアの魔装──戦斧を展開する。
ずしりと重い。
普段なら持てないような武器だ。
ただ、いまの《狂人化》状態であれば、なんの障害にもならない。
──先生の武器。
そう思うと、いまも暴れ狂う感情の中、理性を容易に保つことが出来た。
あの大きな懐の感触も思い出せる。
まるでロアがそばにいて、一緒に戦ってくれているような、そんな感覚だ。
……わたくしは1人じゃない。
リシスもまた地を蹴り、駆けた。瞬く間に距離は詰まり、魔人から黒爪が繰り出される。これまでにないほどの鋭さだが──。
リシスは迎え撃たんと、右後方に流していた戦斧を思いきり振り上げた。
地を抉りながら突き進んだそれはなんの抵抗もなく、振り抜けた。とてつもない衝撃波が前方へと起こる中、魔人の右腕が吹き飛んでいく。
「ぐぁあああッ!」
魔人が痛みに苦しむ最中、リシスは振り上げた戦斧を強引に切り返し──落とした。が、今度は虚空を斬り、大地を穿つだけに終わった。直前で魔人が空に逃げ延びたのだ。
戦斧なんて使ったこともなければ、使おうと思ったこともない。ただ、いまはこの武器がなにより使いやすいと感じた。
「くそがッ! たかが武器を持ったぐらいで……ッ!」
魔人がそう吐き捨てるや、大きく腹を膨張させた。
直後、その口から渦巻く黒風を吐きだしてきた。残りの力のすべてを費やしたのか。そうとしか思えないほど巨大な奔流が視界一杯に広がっている。
内なる破壊衝動が逃げることを拒んでいる。だが、理性をもってしてもその判断は正しいと感じられた。あの攻撃に負ける気がいっさいしなかったからだ。
リシスは限界まで腰を捻り、後方へ流した戦斧を暴力性に任せるがまま上空へと振り抜いた。
追随して巻き起こった暴風が敵の黒い奔流を薙ぎ払う中、戦斧の軌跡をなぞるように赤い刃が出現。魔人へと勢いよく向かっていく。
「なっ!?」
暴風に吹かれる中、両腕を交差して防御体勢をとる魔人。だが、無慈悲にも赤い刃がその紫の肌を深く刻んだ。魔人が呻き、空中で不格好に体勢を崩す。
最中、リシスは空高くまで飛翔。
魔人の頭上の辿りつくや、戦斧を振り上げる。
「この、アタシが……こんな……小娘なんかに負けるわけが……っ」
すでに魔人は自身の終わりを悟ったのか。
信じられないといった表情を浮かべながら脱力していた。
だが、止める気はない。
いや、止められないといったほうが正しいか。
それほどまでに敵への殺意が高まっていた。
「ぁぁぁぁああああああ────ッ!」
リシスは咆哮をあげながら、力の限り戦斧を振り下ろした。魔人の肉を裂き、深く食い込む刃。勢いを止められずにそのまま落下し、地面へと叩きつけた。
揺れる大地、響く轟音。
あまりの破壊力に戦斧を振り下ろした箇所を中心に巨大な穴が生まれていた。
「ぁ……が……ぅぁ……っ」
言葉にもならない声で呻く魔人。
もはや頭部だけとなっていたソレは、吹き荒れた衝撃波にさらわれる形で消え去った。
敵の消滅を確認したことによる喜びはない。
ただ、晴れやかな気持ちが湧き上がるのは感じられた。
リシスはふぅと息を吐きながら、荒々しく戦斧を抜き取った。自身が穿った大穴から飛び出たのち、戦斧を肩に乗せながらくるりと身を翻す
「言われた通り……ぶちのめしてきましたわ、先生」
胸を張りながら淑やかな声音で報告する。
それが予想外だったのか、視線の先──ロアはぽかんとしていた。だが、やがて噴き出すように笑ったのち、彼はひどく満足気な笑みを返してくる。
「随分とお嬢様らしくない言葉遣いだな」
「ええ、だって教師が教師ですもの」
悪戯っ子のように笑みを浮かべながら、そう答えた。
直後、ふらついてしまった。
ずっと全力で闘っていたこともあり、体の限界が来てしまったのかもしれない。
そのまま倒れ込みそうになるが、途中で誰かに支えられた。もうまぶたも閉じ、開ける気力もない。だが、誰が来てくれたかなんて見なくともわかった。
リシスはほんの少し顔を綻ばせながら、最後に聞こえた言葉を噛みしめた。
「──よくやったな、リシス」




