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◆第四話『優秀過ぎるがゆえに不出来な生徒』

 リシスは川で手を洗っていた。

 初日に二尾兎を解体したときから、血のニオイが気になって仕方ないのだ。


 あれから幾度も洗っているが、まるでとれた気がしない。


 匂い消しの草があれば別だが、そういったものも森では用意できない。仮に森で調達できたとしてもロアに訊くのは負けた気がするので嫌だった。


 手が冷たくなってきたので引き上げた。

 ぽたぽたと雫を垂らす手をじっと見つめる。


 手拭いすらもない状況だ。

 はしたないとわかっていながら、ぷるぷると手を振って水を落とした。


「優秀過ぎるのも困りもんだな」


 ふいに聞こえてきた呆れたような声。

 見れば、そばの大岩にロアが座っていた。


 本当に神出鬼没な男だ。

 1日目の獲物を仕留めたときも、すぐに現れた。

 ほかの生徒も同じように言っていたし、本当に底が知れない。


「ナナトリアさんの話では獲物を仕留められれば、自然と闘気を使えるようになると聞いていたのですが」

「個人差はある。あいつは単純ってか色々わかりやすい性格だからな」


 褒めているのか貶しているのか。

 どこか嬉しそうな顔をしているし、きっと後者だろう。


「わたくしも、このまま続けていれば会得できるのですか?」

「見てる感じじゃ無理そうだな」

「飢餓状態になることが条件であるのなら、そうしますが」

「そんなことしても、お前ならあっさりと獲物を狩っちまうだろ」

「ではどうすれば……っ」


 反射的に声を荒げてしまった。

 思わずはっとなって口を閉じる。


 それを見てか、ロアが困ったようにまなじりを下げた。大岩から飛び下りると、そのまま近寄ってくる。


「相変わらず焦ってんな、お前。少し落ちつけ」


 こつんと手の甲で額を小突かれた。


 リシスは両手で額を押さえたのち、反射的に「なにをっ」と抗議しとうとする。が、それよりも先に大きく飛び退いた。


「なんだ、いきなり……」


 ロアがきょとんとしていた。

 無理もないも反応だ。


 ただ、こちらにも事情というものがある。

 リシスは目をそらしながら、ぼそぼそと理由を説明する。


「その……毎日水浴びはしていますが、ちゃんと綺麗にはなっていませんし、それに……服も汗や血が染みついていて……ニオイが」

「俺はべつに気にならないけどな」

「あ、あなたが気にせずともわたくしが気にするのですっ」


 ロアは戦闘において羞恥心が無駄だと言っていた。

 羞恥心を捨てることも、きっと今回の訓練のうちだろう。


 そうした点も理解したうえで訓練には参加している。

 だが、だからといってすべてを許容できるわけではない。


 リシスは折れる気はないと意志を込めて睨みつける。

 そんな気持ちが伝わったのか、ロアが諦めたように肩をすくめた。


「ともかく、お前は焦る必要はない。なにしろ、もう蓋は開いてるんだからな」

「……どういう意味ですか?」

「なんだ、気づいてなかったのか? お前、1回使ってるぞ。闘気」


 あっけらかんと告げられた、事実。

 ただ、思い当たる節がまったくなかった。


「身に覚えがないのですが……」

「ベヒモスを前にしたときだ」


 言われた途端、当時の光景が一瞬にして蘇った。


 迫る死を前に発露した感情。


 母を殺した憎きベヒモスに屈しかけた、弱い自分への憎悪。それは明確な基盤となって自身を支え、結果としてベヒモスへの殺意となった。


 あの瞬間のことは鮮明に覚えている。


 我ながら、いままでにないほど感情をあらわにしていた。以前までの自分なら咆哮をあげるなんて決してしないことだ。それでも衝動に駆られるがまま叫んだ。


 ロアが言うには、あの瞬間に闘気を使っていたという。

 だが、いまだに信じられない気持ちが大半だ。

 なにより大きな疑問がある。


「ですが、あのときのわたくしは、まだあなたから闘気のことを教わって──」

「もともと闘気は誰でも発現させる可能性があるんだよ。たいていの場合は使いこなせずに終わるけどな。だから、今回の訓練で俺がお前らにしてるのは闘気の存在を自覚し、操れるようにさせることだ」


 大したことのないように語るロア。


 それもこれも、彼にとって〝闘気〟がより身近だからに違いない。そう思った途端、訊かずにはいられなかった。


「そこまで闘気を詳しく理解しているのは、やはりあなたがガルディアントの生き残りだから、ですか?」

「だからそれは知人の父ちゃんの兄の、その息子の──」

「知人の父の弟の、その息子の友人だったはずでは」

「……よく覚えてるな」


 誤魔化したところで引く気はない。

 真面目な顔で見つめつづけたかいがあったようだ。

 ロアが大きくため息をついたのち、口を開く。


「そうだ。俺はガルディアントの生き残りだ」

「それも王家から《狂人化》の力を授けられた戦士」


 続けて口にした疑問は否定されることはなかった。


 ベヒモスを倒したときに見た、あの赤い瞳。

 やはりあれは《狂人化》による現象で間違いないようだ。


「で、お前は知ってどうするんだ? 正直、公表したところでなんの得もないと思うぞ。まあ、せいぜい珍しがられるだけだと思うが」

「……なにも考えていません。ただ、あなたが何者なのか、と。ずっと気になっていただけですから」


 彼の正体を知れば学園から追い出せるのでは、と初めは考えていた。だが、ガルディアント王国に関わる存在だと知ったいま、そんな考えは頭から抜け落ちていた。


 そもそも彼の言ったとおり、ガルディアント王国の人間だからとなにか問題があるわけでもない。


 それにベヒモスから守ってもらったという事実がある。

 命の恩人相手に、なにかしようとはもう考えていない。


 ロアと出会ってから、ずっと頭の中がぐちゃぐちゃだった。そんな気持ちがいまようやく整理されたような気がする。そのおかげか、妙な安堵感がこみ上げてきた。


 瞬間、先の自身の発言が脳裏に再び蘇る。


 ──ずっと気になっていた。


 これではまるで、彼のことばかり見ていたともとれるのではないか。そう思ったら、もはや熱くなる顔を止められなくなった。


「べ、べつにそういう意味ではありませんから! その、異性としてとか、そういうことではなくっ」

「そんな強く言わなくても、わかってる。お前、俺みたいなのが1番嫌いだろうからな」

「それは……っ、そうですけれど」

「だから心配すんな」


 どうやら誤解はされずに済んだようだ。


 ただ、あまりに冷静に返されたせいか。

 動揺しきったこちらの滑稽な姿が際立った格好だ。

 自身の失言が発端とはいえ、面白くない。


「まっ、少なくとも俺はお前たちに危害を加えようなんて考えはいっさいないから安心しろ。俺はただ、婆さんに頼まれてお前たちを強くしてやろうってだけだ」

「……認めたくはありませんが、あなたの強さは本物です。ですが、なぜ学園長はあなたをわざわざ選んだのでしょうか? 波風が立つとわかっていながら、なぜ男のあなたを」


 ずっと疑問だった。

 彼ほど強い人間はいないかもしれない。

 ただ、それでも教師として優れているかはべつだ。


 なにやらロアが自身の両掌を腰前で上向けた。

 それらを交互に見たのち、ぐっと握りしめる。


「婆さん的には俺の持つガルディアントの力と、アスフィールの力を合わせたいって思ってるみたいだ。そうすれば、どんな敵にも勝てるってな」

「ガルディアントとアスフィールの力……」


 おそらくロアが言っているのは、闘気と神聖魔装のことだ。


 すでにナナトリアが実証していることだが……。

 たしかにそれら2つが上手くあわさればとんでもない力となる。


 ただ、それでも──。


 ロアがベヒモスを倒す際に見せた力。

《狂人化》には遠く及ばない気がした。


「さて、と……剣を持て、リシス」


 ロアがいきなりそんなことを言ってきた。


「……なんですか、いきなり」

「優秀過ぎるがゆえに不出来な生徒を、とっても優しい先生が少しだけ手助けしてやるって言ってんだ。お前には、ただの野生動物じゃ生ぬるいみたいだからな。少しだけ荒い方法でいかせてもらうぜ」


 つまり特別訓練を施してくれるということらしい。


 目指しているのは最強の戦姫だ。いつまでもナナトリアに遅れをとるわけにもいかない。ましてやほかの生徒にも負けるわけにはいかない。


 願ったり叶ったりな状況だ。

 そう喜んだ自分を、一瞬だけ後悔しそうになった。


 それほどまでにいま向けられた殺意が凄まじかったからだ。


 目を合わせることを本能が拒絶している。

 それでも無理矢理にロアの目を見やると、赤く光る目に迎えられた。


「死ぬ気でこいよ。いまからお前が対峙するのは、あのベヒモスを一瞬で葬った相手だからな──」



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