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◆第十六話『最強の魔獣』

「どうして……あれが、こんなところに」


 リシス・オルクレールは自分の目を疑った。


 資料でしか見たことのない最強の魔獣。

 ベヒモスが視界の中に突如として現れたからだ。


 現在、滞空しているのは第2北西砦のやや後方。

 まだ戦況を確認できるほどの距離ではなかった。


 もう少し前に出て、荒野の状況を窺おうと思っていたところだった。しかし、いまやそんなことがすべてどうでもよくなってしまった。


 ベヒモスがいるのは砦前の荒野だ。


 まだかなりの距離がある。にもかかわらず、まるで至近距離にいるかのようだった。それほどまでに巨大で、凄まじい威圧感を放っている。


「……ベヒ、モス……っ!」


 心臓の鼓動が早くなった。


 あれが母を殺した魔獣。

 そう思うと、憎悪がふつふつとこみ上げてきた。


 ただ、それ以上に恐ろしさが全身を蝕んでいた。

 ベヒモスを見た瞬間から体が竦んで動かないのだ。


 視界の中、ベヒモスがゆっくりと口を開いた。


 巨大な口内では暗闇だけが広がっている。だが、そこにぽつんと現れた黄色い光点に、幾条もの光が周りから収束。瞬きする間にベヒモスの口内は黄色い光で満たされた。


 直後のことだった。

 ベヒモスの口から極太の光線が放たれたのは。


 眼下の空間すべてを貫くように光が迸った。


 遅れて突風に全身を叩かれ、あおられた髪が後ろへと流れる。眩しいうえに激しい風とあって、とても目を開けていられなかった。庇うように腕で顔面を覆う。


 やがて踊っていた髪が大人しくなった。

 腕を下ろし、ゆっくりと目を開ける。


「……え」


 リシスは思わず唖然としてしまった。


 ベヒモスが口から放った光線。

 それが走った箇所をなぞるように大地が抉られていた。


 斜線上の砦も漏れなく触れた箇所がぽっかりとあいている。


 いったいなにが起こったのか。

 頭が理解するのを拒んでいた。


 だが、視界には光景が〝事実〟として映っている。

 否が応でも状況を理解せずにはいられなかった。


 ──逃げないと。


 思考がこの場所からの逃走を選択した、瞬間。


 視界の中で幾つもの光がベヒモスに向かっていくのを捉えた。戦姫たちだ。およそ10人といったところか。


「すぐに第1から応援が来るはずです!」

「これを行かせたら被害は計り知れない! 絶対にここで食い止めろ!」


 臆することなくベヒモスに取りつこうとする戦姫たち。だが、ベヒモスが大地を強く踏みしめたことで起こった突風にたやすく押し戻されてしまっていた。


「怯むな! あの巨体だ! 取りつけば隙はあるはずだ!」


 戦姫たちが再び接近を試みる。


 最中、ベヒモスの背に埋め込まれた紫色の結晶が明滅。そこから光線があちこちに放たれたはじめた。幾人もの戦姫たちが光線に翼や体の部位を撃ち抜かれ、墜落していく。


 なおも派手に彩られ続ける夜空。

 魔獣による攻撃と知らなければ、どれだけ美しいと思えただろうか。


「戦姫を援護しろ!」


 壁上の兵士たちがすべての大型弩でベヒモスを攻撃しはじめる。


 だが、ただの1本すらベヒモスの表皮に突き刺さることはなかった。そればかりかベヒモスが再び口から放った光線によって大型弩ごと壁上は薙ぎ払われてしまう。


 気づけば、戦姫も1人のみとなっていた。


 彼女は巧みに光線をかいくぐり、ベヒモスへと肉迫。その首に勢いよく剣を突きつけた。ガンッと響く硬質な衝突音。剣の先はいっさい刺さっていない。


「硬、過ぎる……ッ!」


 いまいちど攻撃を仕掛けようとする戦姫。だが、ベヒモスが鬱陶しいとばかりに噛みつこうとしてきたため、後退した。直後──。


 ベヒモスの長い尻尾が鞭のようにしなったのち、勢いよく彼女の背を捉えた。べちっと極々小さな衝突音ののち、最後の戦姫が地に叩き落された。大きく跳ね転がったのち、やがて動かなくなる。


 壁上の戦力は壊滅。

 迎撃に向かった戦姫も全滅してしまった。

 ほんの一瞬の出来事だった。


「あ……ぁ……」


 眼前の光景を前に、リシスは声が出なかった。


 先の戦闘で自身の無力さを知った。

 プレデターにさえ勝てなかった。

 そんな自分が魔獣最強のベヒモスを相手にするのは無謀だ。


 それに無茶はしないと約束をした。

 ここは逃げることが最良の選択だ。


 だが、見つけてしまった。


 最後に叩き落されてしまった戦姫。

 あの彼女が、歩き出したベヒモスの進路上にいるところを。


 逡巡する間もなく救出へと動いていた。

 ──助けるだけなら!


 可能な限り全力で翔けた。


 すでにベヒモスは目的の戦姫に迫っていた。持ち上げられた左前足。あれが落とされれば、踏みつけられる。


 ──間に合って!


 そう胸中で叫びながら、一心不乱に翔け──ついに到達した。減速なんてしている暇はない。伸ばした手で不格好ながら掴み、抱きあげた。そのまま一気に翔け抜ける。


 直後、後方から地鳴りのような音が響いた。どうやらなんとか間に合ったようだ。そう安堵しつつも、速度を緩めずに離脱しようとする。


 瞬間、爆発音にも似た咆哮が耳朶を打った。

 同時にとてつもない衝撃が全身へと襲いくる。


 なにかをぶつけられたわけでもない。

 おそらく咆哮によって起こされた衝撃波だ。


 視界が揺れに揺れ、もはや飛んでいられる状況ではなかった。抱えていた戦姫も落としてしまい、そのまま墜落。地面を長い距離に渡って跳ね転がる。


 高く飛び上がる前だったこともあり、幸い落下の衝撃は大したことはない。すぐさま逃げようと上半身を起こす。と、視界に最悪の光景が映り込んだ。


 ベヒモスが大口を開けていたのだ。

 その中にたっぷりの光を溜め込んだ状態で。


「あ……」


 これで死んでしまう。

 母を殺した相手に殺されてしまう。


 母と同じだと思うと、少しだけ嬉しさがこみ上げた。ただ、それを上塗りするようにある感情が湧き上がってきた。


 憎悪だ。

 ベヒモスにではない。

 母を殺した相手に屈しかけた自分に対してだ。


 リシスは恐怖で怯える全身を奮い立たせんと叫んだ。


 展開した剣を手に立ち上がる。

 無駄な抵抗に終わるかもしれない。

 それでも、なにもせずに死ぬよりはいいと思った。


「ぁああああ────ッ!」


 リシスは咆哮をあげながら地を蹴って駆け出した。


 ──瞬間。


 雷のごとく光が天から落ちた。


 世界が揺れたのではと思うほどに視界が上下に動き、またとてつもない轟音が響く。最中、ベヒモスの巨体が弾けるように四散した。大量の煙と化し、辺りを覆い尽くす。


 なにが起こったのかわからなかった。


 ただ、たしかなことが1つある。

 ベヒモスが倒されたということだ。


 少し強めの風が吹き、煙が一掃される。

 あらわになった視界を前に、リシスは思わず目を見開いてしまう。


 そこに1人の男が立っていた。

 彼は漆黒の戦斧を手にしながら、ゆらりとこちらに向きなおる。


 仮面をつけて変装のつもりだろうか。

 学園の教師服のせいで誰かなんてすぐにわかった。


 ただ、いまは仮面の男の正体についてはどうでもよかった。


 仮面から覗く2つの双眸が光を放っていた。

 まるで血のように深く、濃い赤色に彩られながら。


 魔神大戦に関する資料は幾つも読んだ。


 世界を救ったガルディアントがどんな国だったのか、と興味を惹かれてやまなかったからだ。ゆえに、〝それ〟のことは知っていた。


 ガルディアント王家のみが授けることの出来た秘術──《狂人化》の特徴。


 赤く光る瞳のことを。


 リシスは仮面の男──。

 ロアのことを見据えた。


 乾いた喉から言葉を押し出すように疑問を口にする。


「あなたは……本当に、何者なの……」



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