◆第十二話『貴族としての矜持』
リシス・オルクレールはゆっくりと階段を下りていた。
すでに魔獣襲来の報せが行き渡っているようだ。
砦内は兵士たちが駆ける音で騒がしくなっている。
ただ、そんな音もどこか遠く聞こえた。
まるで自分だけが取り残されたような、そんな感覚だ。
「リシス様!?」
ふと、聞こえてきた声。
見れば、普段よく行動している2人の友が目の前に立っていた。彼女らは揃って安堵した顔を見せると、そばまで早足で歩いてきた。
「よかったですわ。お部屋にいらっしゃらなかったので、どこに行かれたのかと……」
「さあ、こちらへっ」
わけもわからず先へ促される。
ついた先は食堂だった。
当然ながら食事中の兵士は誰もいない。
ただ、代わりに戦姫学園の級友全員が集まっていた。
「……皆さん? どうして集まって」
「先ほど、兵士の方たちが魔獣が現れたと話しているのを聞いてしまって……」
「みんなに話したら集まろうという話になったのです」
いまも食堂脇の廊下を兵士が駆け抜けている。
砦内がこれだけの騒ぎになっているのだ。
魔獣出現の話が級友たちの耳に入るのも当然か。
「それにしても、夜に魔獣が現れただけでこんなにも慌ただしくなるなんて……」
「もしかすると普段より少しだけ多く魔獣が現れたのかもしれませんわね」
「だとしても、ここが落ちたことはありませんし、きっと大丈夫ですわ」
不安混じりの声は幾つも聞こえてくる。
だが、総じて楽観的な言葉でかき消されていた。
誰もが感じていないのだ。
目の前まで危機が迫っていることを。
「第1北西砦が魔獣に襲われたそうです。……その規模は千を超えるとも」
リシスは自身が持つ情報を口にした。
瞬間、信じられないといったように目を見開く級友たち。やがて理解が追いついたか、顔を恐怖に歪めはじめる。
「千って……大丈夫ですのっ」
「まさかここまで押し寄せてくるなんてことは──きゃっ」
突如として小さな震動とともに轟音が鳴り響いた。
しかもそれは1度では終わらず、不規則に何度も聞こえてくる。
「こ、この音って……まさか」
誰かがこぼした不安な声。
次の言葉を誰もが予想していながら口にしなかった。だが、非情にも遠くから聞こえてきた兵士の声によって続きが紡がれた。
「急げ! もう魔獣が来てるぞ!」
もはや襲撃の事実から逃れられなくなった。
揺れはいまも続いている。そのたびに級友たちの目に怯えの色がどんどん滲んでいく。少しでも不安を和らげようとしてか、多くの者が身を寄せ合いはじめた。
「わたしたち、どうなってしまうのかしら……」
「ま、まさか戦うなんてことは……ないですよね」
「さすがにそれはないと思いますわ。だって、わたしたちはまだ訓練生の身で、正式な戦姫ではないのですから……」
いまだ他人事のように感じている者がほとんどのようだった。
そんな中、1人だけ呑気な様子でシャルミンがため息をつく。
「こんなときだっていうのに、先生ってばどこ行っちゃったんだろ」
「シャルミンさんの言う通りですわ。あの野蛮人はいったいどこへ……」
「ええ、仮にも教師なのですから。務めを果たしてほしいものですわ」
素行こそ最悪だが、あの強さは本物だ。
だからこそ、近くにいれば安心と思うのは無理もない。
だが、それが叶わないことを告げなければならなかった。
「あの男は第1北西砦の救援に向かいました。それから伝言を預かっています。この場に待機するようにと。もし砦が落とされるようなら逃げろ、とも」
初めこそ悲観した顔を見せた級友たち。だが、〝戦わなくていい〟と逃げ道を与えられたからか、すぐにほっとしたように息をついていた。
「そ、そうですよね。わたしたち、まだ戦姫ではないもの」
「ええ、戦いは砦の方々に任せるのがいいですわ」
「素人のわたしたちが手を出せば、それこそ邪魔になるかもしれませんし」
誰も責めてはいない。
だが、〝逃げ〟を肯定する声があちこちから幾つもあがった。
それがなによりの答えだった。
リシスは彼女らを冷めた目で一瞥したのち、背を向けて歩きだす。
「ど、どこに行かれるのですか? リシス様」
「決まっているでしょう。戦いにいくのです」
「ですが、あの野蛮人は待機と仰ったのでは……?」
疑問の声を受け、リシスは足を止めた。
静かに息を吐いたのち、振り返る。
級友たち全員から注目を浴びていた。
向けられた視線を一身に受けながら、ゆっくりと話しはじめる。
「たしかにわたくしはまだ戦姫ではないかもしれません。ですが、戦姫になろうとしています。そして、なによりわたくしはオルクレール家の娘です」
リシスは胸元に右手をそっと添える。
「恵まれた生活が出来ているのは、すべては民のおかげ。その民を守ることは、当然の責務です。そしてその民とは、いまも戦ってくださっている兵の方々も含まれています」
いつしか綺麗事として語られるようになった──。
そんな貴族の正しいあり方を口にしたまでだ。
受け入れられなくてもいい。
ただ、自分はこの想いを胸に抱いて剣を手に取った。
だからこそ、ここで引くわけにはいかなかった。
きっと同調する者はいない。
そう思いながら、再び背を向けようとしたときだった。
「ワタクシも戦いますわ、リシスさん」
そんな勇ましい声とともに1人の生徒が歩み出てきた。
クリステリア伯爵家の長女、ルヴィだ。
「……ルヴィさん」
「あなたの永遠のライバルである、このルヴィ・クリステリア。あなたの言葉に感銘を受けましたわ」
ライバルかどうかはともかくとして。
いまは同調してくれる者がいたことがなにより嬉しいと感じた。
「ワタクシにも貴族としての矜持があります。それに……ワタクシをバカにしてくださったあの兵たちに、いかにワタクシが優秀であるかを思い知って頂くいい機会ですわ」
「ルヴィ様が行かれるのでしたら、わたしもいきますわっ」
「同じく、ですわ!」
ルヴィといつも共に過ごしている2人の生徒が続いて声をあげた。それを皮切りにほかの級友たちも歩み出てきた。
わたしも、わたしも、と。
気づけば多くの級友が参戦を決意していた。
もはや反対する者はいない。
──たった1人を除いて。
「で、でも……先生の指示とは違うことして、いいのかな……?」
「だから見ていろ、と。そう仰るのですか? ナナトリアさん」
責めるような口調になってしまった。
だが、いまは昂ぶった気持ちを抑えられなかった。
「仮にわたくしたちが無事だったとしても、この砦が落ちれば近くの農村が襲われてしまいます。いいえ、きっとそれだけでは終わりません。わたくしたちがこの砦に来るまでの間、見てきたすべての景色が魔獣たちに穢されてしまうでしょう」
想像しやすく話したからか。
見てわかるほどにナナトリアの表情が歪んだ。
「わたくしは、そんな未来を絶対に許すわけにはいきません。オルクレール家の娘として。なによりアスフィールに生きる者として」
この地と民を守ること。
それは母より受け継いだ意志だ。
たとえどれだけの魔獣を前にしたとしても、決して曲げるつもりはない。
「わたしはほかの人がどうなってもいいとか、そんなつもりで言ったわけじゃ……」
ついには悲し気な表情で俯くナナトリア。
強く言いすぎてしまったことは否めない。
同世代で唯一負けた相手。
だからこそ過度に期待してしまったのかもしれない。
リシスはナナトリアに背を向け、歩き出す。
「行きましょう、皆さん」
「はい、リシス様! どこまでもお供いたします!」
「魔獣なんて、このルヴィ・クリステリアが一網打尽にしてみせますわ!」
「「ますわっ!」」
「あたしも、ちょっと頑張ってみよっかね~」
先ほどまで怯えていた顔はどこへやら。
多くの級友たちが決意に満ちた顔をしていた。
先の演説染みた話が功を奏したのだろうか。
これならきっと魔獣撃退に貢献できるはずだ。
リシスは確信めいた想いとともに壁上に出た。
途端、思わず絶句してしまった。
甘くみていた。
本物の戦場というものを。
砦の外側に広がる荒野。
そのすべてが魔獣の大群で真っ黒に染まっていた。




