【49】2人が愛したもの(新崎綾香、坂上宰)
坂上美悠を殺したことにより、新崎綾香は居場所を失った。
雨に打たれるより、腹が空くより、『居場所がない』方が辛い。
「···早く他の呪詛者も殺さないと···早く、『世界を創らないと』···」
美悠の死体は既になくなっていた。エルスが回収したのか、それとも···他の誰かが見つけたのか。すぐに逃げた新崎綾香には分からない。
「ははっ、いま思うと···私って『美悠中毒』だったのかな···美悠がそばにいないと、美悠の顔を見ないと······『死ぬ』よりもっと苦しくなる」
新崎綾香の思う『死ぬ』は『絶望すること』だ。『絶望』より辛く、苦しいものはあるのか?その『不明な感情』が新崎綾香を包み込む。
「――へぇー。あなた、『美悠が好きだった』んだ?」
「ッ!」
その声に新崎綾香が振り向くと、そこには全身に包帯が巻かれた人物が立っていた。
「ッ···あ、あなたは···?」
「···私は宰。坂上宰。『あなたが殺した坂上美悠』の母よ」
――包帯の隙間から見える宰の口は、どことなく『笑っている』ように見えた。
「美悠の···お母さん···ッ。どうして!私が美悠を···殺···したって知ってるの」
「んー。1年も前から、美悠の様子が変だと思っていた···毎日朝と夜に家を出て、10分ほど経てば戻ってくる。何でかなーと思ってさ···あとつけてたら···あなたが居たんだよね。で、私は――」
宰はそこまで言って、天井を指差す。そこにあったのは――『カメラ』だった。
「『あなたを観察』し始めた。見てよ、この手帳。ここに全て、あなたのことが書かれているのよ?そう、何だって。あなたがナイフを隠している場所だったり、あなたが美悠を想いながら『ヤった』回数だって···えっ?」
宰が瞬きをしたその時、新崎綾香は、宰まで僅か10センチほどのところまで進んでいた。
宰は反射的に、手帳を持つ左手を上に上げる。
「へ、へぇ···その身体能力って『呪詛符』の影響って、やつ?」
新崎綾香の身長なら、手帳には届かない。そう、甘く見てしまった――。
「ッ!?」
中学1年生なのかと疑いたくなるような···跳躍力。新崎綾香は軽々と跳び、手帳を取った。
「···あなたがどれほど私のことを知っているとか、そんなことで私を負かすことはできない。私は『呪詛者』であなたはただの『人間』なのよ」
「へぇ···で、その手帳はどうするの?そこに置かれている、美悠から貰った服の下にある『ライター』で燃やすの?あなたが私から取ったのだから、その手帳をどうするかはあなた次第よ」
新崎綾香は、手帳を――『破かなかった』。
「···読むわ。これをどうするかは、内容で決めるから」
1ページ、1ページを捲っていく。3ページに1回くらいの中に、1つだけ『赤色のペン』で書かれた文字があった。
《美悠が笑っていた》
たったそれだけの文字だ。少ない文、なのに――なぜ?
「···『悔しい』けどね。あなたといる美悠は···『輝いていた』わ」
「···わ、私が悪いことをしたっていうの!?ただの『嫉妬』ってことじゃない!」
新崎綾香が、大声を上げる。そんな新崎綾香を見ても、宰は表情ひとつ変えなかった。
「『嫉妬』···じゃないかな。ただ、美悠は私の大切な『娘』なのよ。『子供の笑顔を求めない親がいると思う?』」
「···何よ、それ。やっぱり『私が悪いってこと』···じゃない···」
ページを捲る手に力が入らなくなってくるのが分かる。どうして?どうして···私は『絶望』してるの?
「···違うよ」
「――え?」
宰が言った言葉の意味が理解し難かった。何が『違う』のか分からないのだ。
「――···私はあなたに『感謝』してる。私の求めていたものを、あなたなら実現できる。なぜ自分にはできないのかって『悔しくて』、あなたといる美悠が笑顔で『嬉しくて』、あなたに『感謝』してるのよ。手帳の48ページ。『2016年3月6日』のところにそう書かれているわ」
新崎綾香はページを捲らなかった。必要がないと分かったからだ。
「···あなたの『感情』なんてどうだっていい。あなたと私は違う『世界』に生きているの!あなたに私の何が分かるの?あなたが私に何をできるの?こんなこと書いて、あなたはただ『書いただけ』じゃない!私が美悠を殺すとこ、見てたでしょ?どうして『止めなかった』のよ!」
新崎綾香は、その捨て言葉を残して走っていった。宰は話せるだけ話した、手帳だって持っていってくれた。それだけで宰は良かった。
***
「何なのよ···あの人ぉ···いきなりでてきて『感謝してる』って、意味分からない···」
坂上家から数百メートル離れた場所に公園がある。その公園のブランコの前で、新崎綾香は倒れ込む。もう歩けない。進みたくない。頭に浮かぶのは、坂上宰だった。
「···これだから『美悠以外の人間は嫌い』なのよ···『美悠以外の誰が』私を満たしてくれるっていうのよ···もう、嫌だ。早く···『神にならないと』···」
地面に小さな丸がいくつかできた。これは何?新崎綾香の涙ではなく、雨だった。
――雨は好きだ。雨に打たれる『絶望感』がいい。嫌なことがあったとき、雨に打たれると、嫌なことより『絶望感』が勝ってしまい、嫌なことなんてどうでも良くなる。
――でも、違う。今回は違う。
「どうして···どうして『あの人』が忘れられないのッ!あの人と私は違う···生きる『環境』が違う···なのに···『あの人が頭を過る』の···」
新崎綾香は濡れた髪をむしゃくしゃにかきむしる。何本か髪が抜けた。
「···私、『間違った』な」
雨が一層強くなり、公園の横を通った男性がこちらを見てくる。
「『自分に呪詛符なんて使うんじゃなかった』···。そして分かった···『呪詛者は呪われてない』···全て、己の『感情』が···『自分を呪わせる』···それだけだ」
いま、とても『死にたい気分』だ。でも1つ···『呪詛者は自殺ができない』。『呪詛者』は『神に守られた存在』、神が『ノロイアイを望む』のなら、神は呪詛者を守る。
左手に握られた手帳が、するりと地面に落ちた。手帳が開いた状態で逆さになった。
「これ、どうしよ···」
落ちた手帳を拾う。そして表に向けると、その文が見えた。
《また来てほしい。美悠のことを教えて》
「···何さ、これ。ふざけてるでしょ···喧嘩売ってるの?」
その文の書かれたページの右下には、新崎綾香が美悠を想いながら『ヤった』回数の合計が書かれていた。129回。デタラメなのか分からない数字だ。
「···今日はもういい。寝る」
家も寝床もない。新崎綾香は、そのまま公園のブランコの前で寝ることにした。他人から見たら心配されるだろう。いまは雨が降っているから公園の横を通るのは車だけだ。
――その日は、不思議なほどによく眠れた。




