【38】私たちの娯楽・壱(京奈千冬、アリス)
蝉の甲高く煩い鳴き声を聞くと、夏だなと思える。
「アリス!早くー!」
「千冬、待ってよー!」
千冬は、家の外に出たことがない。必要なものは全て家の中にあるからだ。今日が、初めての外出になる。
「走ると転んじゃうよー?」
アリスの家は草木に囲まれた山の頂上付近にある。降りるだけで一苦労というのに、千冬ははしゃぎながら走っている。
30分ほど歩くと山の梺に付いた。
「千冬、早いってば···ちょっとは私のこと心配してよね!」
「え、あ、ごめん···ついはしゃいじゃった···」
久しぶりの外。数ヶ月前までは、外という空間が嫌だった。『独り』だから。『姉』が怖いから。
「もう汗びっしょりだよ。やっぱ夏には外に出ない方が良かったかも」
「何言ってるのさ、半袖の服を着る決心をしたのはアリスじゃんか」
「それは···千冬が提案したから仕方なく···」
「言い訳無用!私が何を言おうと、アリスが悪い!ってか、外出時にそんなゴスロリ服着るからだよ!」
千冬がアリスの服を指差して言う。アリスの私服は、どうやら偏りがあるようで、どれも袖に謎のフリフリがついている。
「しょうがないじゃん···私はこれが『普通』なんだしさ···」
アリスが自分の着ている服を見て、小さく呟く。
「私のお母さんは、私を『着せ替え人形』としか思っていなかった。あなたは私の娘だ、私の言葉に背くことは許さない、って言われた時もあった。お父さんは···私を『人間』として見てくれなかった。機嫌を悪くするとすぐに暴力。そんな両親だった」
アリスは『今の自分』が嫌いだ。自分の『在り方』は、全て親が与えたものなのだ。自分は独り身ではなく、今は亡き『親の一部分』同等といえる、そんな自分が憎くて堪らない。
「それでも···私は両親が大好きだった。妹も、私は好き。同じ立場だったから、かな」
――千冬には、最後の一言が理解できなかった。『同じ立場』の人がいないから、誰も私を分かってくれないから。両親だってそう、姉だってそう。誰も私を知らない。
「···アリスは凄いね。好きだった人がいたのって、羨ましい」
「え、でも千冬は千冬のお姉さんのこと、好きじゃないの?」
「···大嫌いだよ。誰も私を愛してくれない、私を独りにするから···嫌い」
千冬はそうとだけ言い、軽く溜め息をはいた。そして、アリスを置いて歩き出す。
「···ごめん、変なこと訊いちゃって。ほんと、ごめん」
千冬の後ろを、アリスはゆっくりと歩いた。
山を降りて、20分ほど歩くとデパートがある。
「千冬···」
アリスが千冬の着ている服を軽く引っ張る。
「人が···多いよぉ···」
今にも泣き出しそうなアリスを見て、千冬は驚いた。
アリスは『人』が苦手だ。それもあって、外に出たことがない。両親に玩ばれたことが、アリスの人生を変えたといっても過言ではない···ハズだ。
「そんなこと言ったって、デパートは人が集まる場所でしょ?そんなこと言ってたら服買えないよ?」
「もういいいぉ···服いらないよぉ···怖いからぁ」
アリスが――泣いた。あなたは本当に私の歳上か、と千冬は思った。
「ダーあーメ!」
千冬はアリスの手を振りほどいて言った。その声に反応して、何人かこちらを向く。――その目線にすら、アリスは顔を隠す。
「服を買わないと夜一緒にベッドで寝れないよ?それでもいいの?」
「···ダメ」
「だったら他人なんて気にせず服を買うの!」
「···それも、ダメ」
「どっちかにしてよ!」
二択の両方を否定する人は初めてだ。
千冬が溜め息をつくと、アリスは落ち込む。迷惑をかけていると思っている――いや、自覚しているのだろう。
「···はぁ。手繋いであげるから買いに行こうよ」
「え···いいの?」
千冬が差し出した手を、じっと見つめながらアリスは言った。「今日だけだから」と千冬が呟くと、アリスは「ツンデレかな」と挑発するかにように言う。
「ん···ほら、行くよ」
千冬がアリスの手を取り、強引に引っ張った。
「あ···。ありがと」
アリスはされるがままに、千冬の手を握り返した。
エスカレーターで二階に上がって、すぐ左に洋服店がある。
「『LOVER』···?『恋人』ってことだよね?変わった店名···」
「···アリスはどんな服が好みなの?LOVER、結構品揃えいいよ」
ずらっと並ぶ洋服は、何を基準にして並んでいるのか分からない。自分たちに合うサイズの服はどこに置かれているのだろうか、千冬はアリスの手を引きながら思う。
「···千冬と同じのがいい」
「えー、それじゃあつまんなくない?ってかちょっと気持ち悪いじゃん」
アリス。お嬢様。――着せ替え人形には、服という物が何なのか、理解できていない。自分の好きなファッションには目を向けず、ただただ服を着てきただけなのだから。
「···じゃあ、これ」
アリスの指差す方向に目線をやると、クマのキャラクターをモチーフにした、ゆるい服があった。
「え···似合わなさそう···」
「そう?私、こういう『可愛い』の憧れなんだよね」
服を手に取って、アリスがはしゃぐ。
「『憧れ』って、アリスだってその服可愛いじゃん」
「ううん。何というかねー、えっと···こういう淫らな服に憧れてるの!」
「淫ら···」
アリスが服を広げて、体に当てる。「似合ってる?」と訊かれて、正直千冬は迷った。――似合ってない。銀髪のアリスにこういった服は合わないのだ。
「···いいんじゃない?」
アリスは『普通じゃない』。千冬たち『一般』とは、位が大きく違う。アリスは可愛さより、美しくあるべきなのだと、千冬は思う。
「ねね、試着室ってどこにあるの?これ着てみたい」
千冬の服を引っ張るアリスは、デパートに来たときとは違い機嫌が良い。――手を繋いでいないのに。
「試着室は···あそこ。案内するよ」
千冬が歩き出すと、すかさずアリスは千冬の手を掴む。手を繋いで状態で行こう、ということだ。
「千冬はどんな服着るの?」
「私?私は···こういうの」
指差した方向へ目線をやると、ネコのキャラクターが描かれた服があった。
「私のクマと変わらないじゃん!」
「ち、違うよ!アリスのそれはクマの顔だけ描かれてるけど、このネコは全体描かれてるんだよ?それにネコの方が可愛いし!」
――と言ったものの、並べて見るとさほど変わりはなかった。
「···べ、別にいいもん!私、猫好きだから」
アリスを置いて、千冬は試着室に向かった。ネコのキャラクターが描かれた服を、大事そうに抱きながら。
「やっぱり、千冬って可愛い」
アリスは千冬を追いかける。洋服店の中で迷子なんて、そんな恥ずかしいことはできない。
――その時、少し離れた所に、千冬に似た『誰か』が立っていた気がした。




