【37】想うこと(不知火淋、天野日向)
憂が天野家の一員になった次の日、市花たちは車に乗っている。
「ホントに良いのかなぁ」
向かう場所は――不知火家。琳の父親が亡くなったことで、家を片付けなければならない。
「大丈夫よ、きっとね」
「でも···肝心な琳ちゃんがいないんじゃどうにもならないよ···」
家を出る前に永梨が話を振ると、琳は「嫌だ」とだけ言った。理由を訊くと、琳は突然泣き出す。
「まぁ、その内琳ちゃんも行かないといけなくなると思うよ」
淋は両親を愛していた。父親が死んだことなんて受け入れたくないだろう。それに、母親を殺した人物が身近にいることは知られてはならないだろう。
「お姉ちゃん、着いた」
「え、どこ?」と言いながら永梨がブレーキを踏んだ。
霙以外は辺りを見渡す。近くにはアパートが並んでいるだけだ。
「ここです。ここの二階の201号室が淋さんの家です」
アパートを指差す霙に、市花は勘違いしていたことに気が付いた。
不知火家は、憂の祖父母と同じくらい大きいと思っていたから、または三階建ての一軒家。
「···引っ越ししたってこと?」
永梨は知っている。昔、不知火家は一件建ての家だった。それが知らぬ間にアパートに引っ越していただなんて。多分、引っ越したのは永梨がイーズランドに行っている間か帰ってきてからだろう。
「行きましょう。鍵は在りませんが『創り出すこと』ならできます」
「創り出す?」
霙が車から下りると、一同が速やかに車をから下りる。
「私は『神の代理』です。神のできることなら全て私にもできます」
霙は両手の平を合わせ、短く息をはいた。そして、霙が手を離すと、霙の右手に鍵があった。
「え、え、えぇ?」
「このアパートのマスターキーです」
そう言って、霙は永梨にそのマスターキーを渡した。
「···行こっか」
永梨に続くように、アパートの階段を上った。軋む階段は、いつ抜け落ちてもおかしくない。二階201号室――一番右にある。永梨が鍵穴にマスターキーを挿して回すと、簡単に開いた。
「···本当に何でもできるんだね」
部屋の中は綺麗だった。まるで昨日誰かが掃除をしたみたいだ。――でも、綺麗な理由は、掃除したからじゃない。
誰も、使っていないからだ。
***
「···ねぇ、淋さん」
淋の隣に座る日向が、子供をあやす口調で尋ねる。
「···はい」
小さな声だ。元気のない自分のようだ。日向はそう思った。
「淋さんは市花のことが好きなの?」
「え、」
もう少しオブラートに包んだ方が良かっただろうか、だったら――
「淋さんは市花のことどう想ってるの?」
――オブラートに包むとか、よく分からない。
日向は学校で、よく「毒舌だな」と言われる。ただ、返事しただけなのにだ。
「···どうって···えっと···何と言えばいいのか···」
「『好き』か『そうじゃない』かで答えて」
「え、えええ!?」
淋は日向に恐れて、椅子から立ち上がりドアまで走った。
「···あ、」
日向が我に返ったかのように、落ち着いた顔を見せる。
「え···私、いま何してた?」
「···」
淋が微かに脅えているのを見ると、ある程度察することができる。いけないことをしたのだろう。
「···ごめん」
日向が椅子から立ち上がり、淋との距離を更に遠くする。怖がられているのが、逆に日向は怖かった。日向は、少し離れたところで床に座る。
「···この前、永梨さんと話していた『諦めるとか諦めない』って···何の話だったんですか?」
「あー、あれは····」
日向は答えるのに戸惑う。
何と言えばいいのだろうか。市花が好きだった――なんて言うと、淋は市花を避けるようになるかもしれない。
「えーっと···市花を諦めるとか、は···なんというか···その···」
「『嘘』とか、『自己満足』はやめた方がいいと思います。人間は『素直じゃない生き物』ですから」
「え···ひろが言いそうなこと、言うね」
「ひろ?」
「前に家にきてた後輩。ひろっていうのはあだ名だけど、本人は相当気に入ってるみたい」
話が少し脱線しそうになった。日向は話が進まないのでは、と不安に思ったが、そうではなかった。
「···私は『市花が好きです』。憂も同じです」
そんなことよく言えるよ、日向が口に出す寸前で堪える。
「···そっか。え、でも憂と同じ人を好きになるって、辛くない?」
日向が市花を諦めるきっかけになったのは、淋と憂だ。2人がいる限り、市花は『日向のもの』にならない。――市花は『優しすぎる』から。
「そんなことはないです。私は憂も好きですから」
「···二股?」
「そ、そんなんじゃないです!」
淋の反応に、日向は小さな笑い声を発した。
「淋さんにとって、市花と憂は何?」
「何って···それは···」
淋はすぐには答えなかった。淋の目を見つめる限り、悩んでいるというよりは、答えを『探している』。まるで『2人をまったく理解していない』ようだ。
「···ごめん、やっぱ答えなくていいよ。淋さんは···淋さんなりの考えがあるからね」
日向はもう一度椅子に座る。そして、右手で淋を手招きする。数秒躊躇った淋は、気遣うように隣の椅子に座った。
「···いつか、いつだっていい。『私たちが生きている間なら』、何年後だっていい。市花と憂を、淋さんの言葉で『説明』してほしい」
日向は、淋の頭に手を置いた。驚きながらも、淋は「はい」と小さな声で言った。
***
「基本、私物はそのままの状態になっています」
淋は父親と一緒に暮らしていた。このアパートは、部屋が2つとお風呂とトイレがあるとしかいえないアパートだ。相当前から建っているらしく、階段を上るときに軋んだのにも頷ける。
「ここは淋さんと淋さんのお父様が寝ている寝室です。ここで···淋さんのお父様は亡くなりました」
天井に突起物がある。よく見ると、縄か何かが激しく摩れたような跡がある。
「···市花、何か悲しくなってきた」
憂が市花の背中に顔を擦り付けていた。市花は憂の手を握って、俯いている。
「ぁ···今日はもう帰ろっか。また今度···いや、次は私と霙ちゃんで来るからさ」
永梨は気を紛らわせる為に手を叩いて、高い音を鳴らした。その音と永梨の言葉で、一同は顔を合わせる。そして小さく頷いた。
「···ごめんね。2人を連れてきた意味はなかった。悪いことをしたよ」
永梨が市花と憂の手を取った。そして、行こうと言わんばかりに手を引いた。後ろから霙が急ぎ足で来ているのを確認すると、永梨は2人の手を離し、霙に駆け寄った。
「不知火芽吹のことは、霙ちゃんに任せるよ」
「···いいのですか?」
「多分、不知火さんのこと思い浮かべると、涙が溢れちゃうから」
ごめんね、と永梨は顔でいう。
そして、一同は淋の家を静かに出た。




