【36】夏休み!の前に(浅野憂)
「夏休み···だーっ!」
憂が両手を広げながら言った。それに続くように、市花と琳は拍手する。
「夏休み中に何かやりたいこととかはある?」
永梨が椅子に座りながら言った。
「海水浴!」と憂が言うと、市花が「花火!」と言った。最後に琳が控えめに「お祭り」と言う。
「···なんか定番だけだね」
「あ···ま、まぁ夏休みは始まったばっかだし、後々考えればいいんじゃない?」
とは言っても、特にやりたいことや行きたい場所がない。
「んー、でもね3人とも、夏休みを満喫するためにも···憂ちゃんと琳ちゃんは『やっておかなくちゃいけないこと』があるのよ」
「やっておかなくちゃいけないこと···?」
3人が目を丸くした光景がおかしかったのか、永梨はクスリと笑った。
***
永梨の車が一度見たことのある道を通る。ここを通ると、市花たちの胸が熱くなる。
「本当に···大丈夫かなぁ···」
一同が目指す場所――浅野家。
永梨はまるでピクニックへ行っているかの様に明るい。市花と琳は日向のことで頭がいっぱいになる。憂は市花たちとの同居を断られないかと心配する。エルスは永梨の隣で道案内をする。日向は···高校に行っている。
「大丈夫よ。肝心なのは憂ちゃんの『想い』だから」
「そうなのかなぁ」と憂が不安気に呟いた。
市花が窓を開けて外を眺めていると、あの日の公園の横を通った。あの時、琳が市花に言った家族のことを思い出す。市花は琳の母親とは面識があったものの、琳の父親とは一度もなかった。琳のことも、最近になって知ったくらいだ。
気が付くと、栄善山の前だった。ここで、市花は憂と再開した。崖から落ちて皮膚を擦りむいたこと、右目に枝が刺さり右目を喪ったこと――悪いことだってある。
「お姉ちゃん、あそこ···」
車が山に突入する寸前で、霙が木々の間を指差した。目を凝らして見てみると、そこには老いた男性がいた。
「あれっ···お爺ちゃんだ···」
憂の口から無意識に溢れた言葉に市花は驚いた。
「え、あれが憂ちゃんのお爺さん?」
「うん、間違いないよ。髪型とか日焼け具合が完全にお爺ちゃんだもん」
永梨が、車で老人のもとまで行くと、老人はこちらを見て驚いた。
「憂じゃないか、どこに行ってたんだい?あなたたちは···」
憂と永梨が弁解している。琳と霙が不安気に2人を見つめている。
会話のテンポは早かった。詳しくは家で話そうと憂の叔父が言ったので、一行は憂の祖父母の家までいくことになった。
憂の祖父母の家の敷地は広く、いったいどれ程のお金持ちなのか尋ねたくなった。こんな状況じゃなかったら、だが。
「さぁ、永梨さんたちも上がってください。ろくなおもてなしはできませんけどね」
市花が家の中に入ると、老いた女性がヨチヨチ歩いてきた。
「お婆ちゃん···」
「おかえり、憂」
やはり、憂は気まずいようだ。
「婆さんや、和室にあるアレ、片付けておいてくれんか?」
はいはい、と憂の叔母は言い、リビングに帰って行く。どうぞ、お入りください。と礼儀正しく言われて、永梨はお気遣いなく、と大人な返し方を見せた。
和室に入ると、いかにもTHE・和室だった。アレを片付け終えたのだろう。列べられている座布団に座る。
「あの···今日来たわけはですね···」
永梨が申し訳なさ気に言うと、憂の叔父は改まった顔をした。
「···憂ちゃんを、家で預からせてください」
憂の祖父母は大層驚いたのか、歳だからか、野性動物が思わぬ衝撃的なものを見たときの顔――といえば面白くなる顔だ。
「ほぉ···」
「予想外だった」
やはりいきなりだったか。多分、色々と尋ねられる。――何と返そうか。と永梨が悩んでいると、思いがけない言葉が返ってきた。
「永梨さんが大丈夫なら、私は良いですよ」
「最もだ婆さん」
――え?顔に出てしまった。
まさかすぐに了承されるとは思っていなかったからだ。
「···何でそんなにあっさりと言うの?」
琳の隣に座る憂が、微かにそう呟いた。全員の目線が憂を向いたということは、市花の勘違いではないようだ。
憂が言うのも、何だか分かる気がする。永梨さんが大丈夫なら、私は良いですよ――まるで、捨てるかのようじゃないか。
「···そのことなんだが、憂。私や婆さんはね、もう寿命が近い。私たちがいなくなったら、憂は孤独になってしまう。その為にも···誰か、憂のそばにいてくれるような人が必要だったんだ」
「爺さんも私も、歳をとってからは人付き合いが無くなったもんだからね」
憂の祖父母は一目でも70歳前後と分かる程に皺がある。憂の親族はこの老いた祖父母だけだ。このままではいけない、そう思わされる。
「···私は構いません。私からお願いしているのですから」
永梨は少し明るく、そして軽い笑顔で言った。
「···憂、お前はどう思ってるんだい?」
また、全員の目線が憂を向いた。憂は見られていることに困惑しながらも冷静な表情を絶やさない。
「私は···『友達』と一緒にいたい。だから、この家を出て、天野家に住みたい」
よくぞ言った、と顔で表したのは憂の叔母だった。憂の叔母は立ち上がり、憂の傍まで行くと憂の頭を軽く撫でた。憂の叔父は「待っていてください」と言うなり、和室を出てどこかへ言ってしまった。
「永梨さん、市花、琳。霙さんも。これで良かったんだよね」
憂が叔母に頬を撫でられながらも、みんなの顔を見て笑った。
「良かった。って思うのはいつも『結果が出てから』だよ。夏休みを楽しめばそう思えると思う」
場の空気を少しだけ変えたのは、憂の叔父が帰ってきたためだ。
「永梨さん、この紙に家の電話番号と住所、あとはちょっとした家のことを書きました。良ければ、永梨さんも似たように書いてください」
ちょっとした家のこと···?とは思えないほど書かれている。永梨は真っ白の紙が出されると、家の電話番号、住所――等を書いた。
「ふむ。憂に何かあった時は連絡してほしい。こちらも、憂のことについて出来る限りのことは尽くそう」
まずは、私物からだが、生憎天野家に憂の全ての私物は納まらない。そのことに関しては憂の祖父母の家に幾つか置くことになった。あと大きな問題点は···日向か。「諦める」とは言っていたものの、人間そう収拾がつくものだろうか。
「今日はもう昼だから、良ければ家で食べていきませんか?」
「あ、高校生の娘が昼食を作って待ってると思うので遠慮します···」
永梨の言葉で、また憂の祖父母は「ほぉ」と感心した。
「でも、娘『5人』って教育に困りませんか?」
――近頃永梨は、育成面では一度も困ったことがない。原因として上がるのが、『夫がいなくなったから』だ。
「主人は既に他界してますが、そこまで困りませんよ。むしろ笑顔が見れて楽しいくらいです」
永梨と夫の仲は良くなかった。夫が死ぬ前に、永梨と離婚の話をしていた。
一行は、そのまま家に帰ることにした。憂が、義理ではあるが家族になった。




