【31】先輩と後輩(天野日向、宮辺ひろ)
雀の囀ずりが聞こえる。寝ぼけた日向は携帯が自分の頭の下にあることに気付いていない。
「せんぱーい!朝ですよ!もうえっと···10時ですよー!」
聞き覚えのある声に、日向は目を軽く開いた。
「···ひろ?」
「あ、やっと起きましたね!もうっ、先輩から電話かけてきたクセに先輩が寝落ちしてどうするんですか!」
自分から電話したのだろうか、日向は思い出す前に「ごめん」と一言言った。
「で、いま何時って?」
「10時···21分です」
もう10時なのか。日向がベッドから立ち上がると、机の上に置かれた紙に目がいった。紙には日向の字で《土曜日 10時30分頃にひろが家にくる》と書かれていた。
「···ひろ、いまどこにいるの?」
今ですか?とひろが気の抜けた声で言った。数秒後、階段を降りているのか靴が小刻みに地面につく音がした。
「えっとですね···読めません」
「え?読めないってどういうこと?」日向が尋ねると、ひろは「どう読むんですかね···何とか堆駅です」と言った。
「何とか堆駅···?近くだと···熨堆駅のことかな」
「熨堆って読むんですか?先輩って詳しいんですね」何が面白いのか、ひろはキャッキャとはしゃいでいた。
「熨堆駅って···福根駅の手前だよね。どうして熨堆なんかで降りたの?」
日向の言葉からすぐに「え?」と驚いたような声がした。もしかして――、日向がゆっくりとした口調で訊くと、素直に「はい、降りる駅間違えました」とひろが言った。
「···はぁ。相変わらずだね、ひろは」
寝起きの髪を手で纏めながら、日向はいつもと同じ声で言った。
「で、どうする?熨堆駅なら自転車で10分くらいだから迎えに行こうか?それとも熨堆駅から福根駅まで電車でくる?」
「···先輩、私知ってるんですよ。選択肢で最初にくるものは出題者の思っていることなんです。だから、先輩は私を迎えに行きたいと思ってますよね?」
ひろの謎の心理的妄想に日向は飽き飽きした。
「···で、私はどうしたらいい?寝起きだから待ってたいのだけど」
「――「迎えに来てください」って、言ってほしいんですよね?先輩ってツンデレですよねー」
いい加減鬱陶しくなり、日向は無言且つ高速で通話を終了した。日向は溜め息をついて、どうしてこんな後輩を持ったのだろうと軽く後悔をした。
「···ま、別に迎いにいっても···いいけどさ」
日向はベッドから立ち上がり、タンスの中に押し込められた服を強引に取り出して着替えた。着替え終えて、鏡で確認すると寝癖があった。
「···寝癖があるまま行くのは恥ずかしいな」
クシで整えようとしてみたが、変わらない。――最終手段、アレを使うしかないか。
日向は小物入れから自転車のキーを取り出した。そしてそのまま一直線に玄関の扉まで走った。
***
「そろそろ17分···」
携帯で時間を確認しながら、ひろは溜め息をついた。「ちょっと意地悪しすぎちゃったかな···」ベンチに腰を下ろして、もう一度溜め息をつく。
そろそろ次の電車が来る。それに乗って福根駅まで行くべきか、来るかも分からない先輩を待つか。日向は何度電話をかけても出てくれない。
「先輩、来てくれないのかな···」
いい加減もの寂しくなってきた。ひろが諦めて切符を買いに行こうとしたとき、背後から「ずっと後ろにいるんだけど?」と、変わりない声が聞こえた。
「ッ、わぁおっ先輩!い、いいいつから後ろに!?」
ひろの後ろにいた人物――天野日向。日向は呆れた素振りで、自分の携帯をひろに向けた。
「···え?」
次の瞬間「先輩って甘い物食べるのかな。チョコ···作ってきたんだけど食べてくれるかな」と、数分前にひろが呟いていた一人言が流れた。――録音していたのか。
「ちょっ、それって何分前からいたってことですかぁ!」
「私甘いもの大好きだから。チョコ、作ってきてくれてありがとう」
日向がひろと顔を合わさずに歩き出した。
「先輩どこ行くんですか?」
「···駐輪場」
日向は振り向かず、ただ手に持っている自転車のキーをひろに見せた。すると、ひろは驚いた口調で「先輩、その髪型···」と言った。
「寝癖が酷かったから結んだ。何かおかしいかな?」
ポニーテール。日向とはたった数ヶ月の付き合いなのだが、学校や部活の時にも髪を結んでいなかった。顧問には「髪が邪魔をしている」と言われていたのだが、日向は聞き流していた。
「い、いえ。何と言うか···大人びてます。すごく···あの···格好いい?いや、美しい···です」
ひろが何となくな誉め言葉を言った。なのに、日向は気にも止めず歩き始めた。
「あー、そうだ。電話での態度。あれ結構頭にきたんだけど?」
「それは···調子に乗りました。すみません···」
少し辛辣に接すると悄気てしまうひろに、日向は笑いを堪えた。
それから、ひろを後ろに乗せて、悪いとは分かっているのだが二人乗りをした。
「なんかこうしてると恋人みたいですね」
情緒不安定なのかひろが意味不明なことを言い出した。
「···は?」
日向が多少の軽蔑をすると、ひろは落ち込んだのか音のような声を発した。――それから少し走っていると、日向の腰回りに何かが伸びてきた。
「先輩···」
――どうやらひろが抱きついたらしい。日向は動じず、自転車をこぎ続けた。
「先輩は覚えてますか?私が告白したこと」
ひろの暖かい息が日向の背中に当たる。
告白、覚えている。とても短く、テンプレの「付き合ってください」が、今でも時折脳内で繰り返される。
「私、いまでも先輩の返事を待ってますから。先輩の答えなら私は受け入れます···多分」
ひろの抱きしめる力が強くなった。振り落とされないようにか、そう考えられたら良いのかもしれない。日向は「そっか」と、ひろに聞こえているのかそうでないのか分からない返事をした。
「ひろは私のこと、好きなの?」
日向が問うと、ひろはさらに強く抱きしめてきた。
「···ありがと、ひろ」
――帰り道は坂道が多いからか7分ほどで家に着いた。
「ただいま」
日向が扉を開けると、永梨がリビングから小走りでこちらにきた。
「おかえり。その子が『ひろちゃん』?」
永梨がひろを出迎えると、ひろは「え?」と息を漏らしながら言った。
「あ。私とひろは部屋にいるから。おもてなしとかしなくていいからね」
日向がひろの右手首を掴み、強引に引っ張った。打ち合わせも何もしていなかったため、ひろは困惑したまま階段を上らされる。
「あ、あの、先輩、『ひろ』って···」
永梨がリビングに帰った足音がした。日向は呆れたように溜め息をついて、ひろの右手首から手を離した。
「『ひろ』の方がいいかな、と思ったから」
それ以降何も言わずに、ただ部屋へ案内する日向に、ひろは「ありがとうございます」と呟いた。




