【16】自分にあるもの(浅野憂、アリス)
「ん···ぅ···」
朝だ。窓から差し込む光の形が、アリスには様々な模様に見える。花、動物、宝石、光の形を見ながらそんなことを考えていると、左手が強く痛んだ。アリスが疑問に思い寝ぼけた目で確認する。手だ、アリスの左手をアリスのものではない、他の手が握りしめていた。
「はっ、ぇあ、ワァァアッ!!?」
アリスは咄嗟に左手を激しく振る。だがその手は離れない。アリスは落ち着くため浅く呼吸する。驚いて目が覚めた、その手は布団の中から出ているものだ。
世に言う幽霊というものだろうか。アリスの左手を強く、固く掴んでいる。
「こ、この、布団の中に···いるの?」
世にもおぞましい、非現実的なもの、それが目の前に広がる布団の中にいる。そう考えると気が引ける。アリスは躊躇いながらも布団に手を伸ばす。ゆっくり、ゆっくり、布団に手が当たり驚いた。そんなことを気にせずに布団を掴み、何を覚悟したのか布団を勢いよく捲る。そこにいたのは、目を細くした千冬だった。
「ちち、ち千冬、な、何し、てるの?!」
「ん···」
千冬がずっと手を握っていた。アリスは驚きを隠せずどこから声が出たのか高い声を出す。その声で起きたのか、千冬の体がピクリと動いた。
「んぅ···朝?アリスおはよ」
「「アリスおはよ」じゃないよ!なんで千冬がここにいんのさ!」
部屋は個別。最初はアリスが一緒に寝ようと言ったものの、千冬が反対し渋々1人で寝ている。反対したハズの千冬がなぜ、ここにいるのか、アリスのベッドで寝ているのか。それが疑問だ。
「へへへ、アリスが驚いてる。可愛い」
何を寝ぼけているんだ。いつもの千冬では想像できないほど天然だ。頭をかく仕草、あくびをするとき、いつもの千冬ではなかった。
「おはようのキス!」
そう言い千冬はアリスの頬に軽いキスをした。アリスは今までにない恐怖を感じ千冬から離れる。目を離してはいけない、そんな思いで後ろ向きで下がる。
「ん?どうして逃げるの?」
怖かった。目の前にいる1人の少女、自分が1番親しく接していた千冬が、まるで別人のような性格になっていることが。
綺麗な足がこちらに少しずつ近付いてくる。こないで、声を出そうにも相手に届かない。やがてアリスは部屋を飛び出し、1階のリビングに向かって走った。
「待ってよ、なんで逃げるのさ」
甘い口調を無視して、目を細くして走る。廊下は大きく踏み込んで、階段は2段飛ばしで走る。
「なんで逃げるんだろ?」
***
「憂、着いたよ。起きなさい」
憂の叔父が憂を起こしている。その声に跳ねるように反応し、憂は目を開ける。寝起きでふらつきながら車を出る。目に入ったのは無数の石、白い壁。無駄に広い庭に憂は頭が痛くなった。
「···」
これで良いのだと、最初はこれが正しいと信じていた。市花と淋に手紙でサヨナラをしてここにいることが自分の幸せなのだと。2人のことを考えずに行動したことは分かっている、それでもこれが『運命』なのだと捉えることができない。
「憂の私物はある程度持ってきているから、取り敢えず憂の部屋に運ぼう。憂が昔よく寝ていた部屋が、今日から憂の部屋だよ」
叔父の言葉が憂を考えることから遠退ける。自分に残ったものは何だろう、そう思ったりもする。
「婆さんも待ってるから早く行こう。憂の好きなメロンパンもあるぞって···、憂、どうして泣いているんだい?」
その言葉で目に手を当てる、うっすらとだが、涙が出ているのに気が付いた。なんでもないよ、そうとだけ言い、涙を拭い叔父の行く先についていった。
「···まさかあの2人が同じ時間、違う場所で事故に遭うとはね···。段差があるから気をつけて」
「災難だったよ。すごく、辛かった」
悲しみを表現したかったのか、憂は小さく細い声で言った。憂の心の中にある大きな想い、憂自身でもそれが何なのかよく分からないのだが。大きすぎて胸が苦しい。
「さ、婆さんが待ってる、入りなさい」
ふすまをゆっくりと開け、入りなさいという意味なのか顎を動かす。目線を前に移すと、そこには憂の叔母が座っていた。
「おぉ、やっときた。こんにちは」
「···こんにちは」
憂の叔母が笑顔で接してくれる。それがなんだが憂には恐ろしいような、嫌な気を覚えた。
新しい環境になれば新しい生き方が生まれる、それには生き物の持つ適応が試される。これからが不安だ、どうしたら笑顔でやっていけるのだろうか、そう考えると動けなくなる。
「そんな固くならなくていいよ、こっちにおいで」
行かなかったどうなるんだろう、そんなことを考える自分は悪い子だ。行くと何かを失う気がする、でも行かなければ大切なものが手に入る。『大切なもの』って何だろう、自分はそれを探した。が、見つからない。探せば探すほど悲しくなって涙が溢れそうになる。
「うん···」
叔母に流されるように憂は歩いた。大切なものはここにあるのだと自分に言い聞かせながら。
***
「ねぇ、アリスー機嫌直してよー」
食べ物を前にして並ぶ千冬とアリス。千冬はアリスを向いて話かけるが、アリスは食べ物にしか目をやらない。怒っている。千冬が朝布団の中にいたこと、いきなりキスをしてきたことに。
「うるさい、いまは千冬と話したくないの!」
アリスの声が部屋に響く。アリス自身少し煩いと感じたが、そうでもしないと千冬は止まらないだろう。
「フフッ」
「何、笑ってるの?気持ち悪いよ」
千冬の満足した笑みに不快感を感じた。みんなそうだろう、隣で突然笑われて、放っとく人の方が珍しい。
「···でも、一緒に食事するのはOKなの?」
「え、それは···その、えっと···」
返しに迷うアリスを見て千冬は安心する。アリス自身、なぜ一緒に食べているのか分からない。嫌だけど、嫌じゃない、そんななぞなぞじみたことが頭を過った。
***
「···浅野憂が、大切なものを失ってしまいそう···。浅野憂の居場所は祖父母様の場所ではない···天野市花と不知火琳がいる場所···私に、何ができる?」
風が吹き荒れる。森林が異様な空気に覆われているかのようだ。周りに人がいないから異様なのではなく、神の怒りに触れたように不自然だ。エルスは自分の置かれた状況を考える。
「···分からないよ···。お姉、ちゃんがいないと···私、何したらいいのか······ずっと、そばにいてよ···お姉ちゃんを心から愛した私を、愛してよ···」
誰もいない森林で涙を流す。愛と悲しみの混じった涙は、静かに雑草を濡らす。
「···やっぱりだめだ、誰かに頼ってばかりじゃ、だからみんなに、ケルベリタでドジってからかわれたんだから···お姉ちゃんに成長した姿を見せなきゃ···」
涙を拭いエルスは顔をあげる。自分のやるべきこと、それは浅野憂の運命を変えること。




