第6話 酒造りと女装作戦
数刻後の出雲の村は、大騒ぎになっていた。
「酒の材料を集めろ!!」「強いやつを作れ!!」「いやもっと強いやつだ! 怪物を酔わせるぞ!!」
村神たちが走り回り、火が灯される中で急ピッチの酒造りが続いていく。
その中心で腕を組みながら空を見上げるスサノオの胸の中は、暗くなった世界で姉もいなければ高天原にも帰れないというのに、少しだけ静かだった。
「……姉上。これなら、怒られねぇかな」
ぽつりと呟いたその時、ズズン——と遠くの山が揺れて地鳴りが響いた。
空気が一変し、獣臭い風が吹き抜ける。
「……来る」
老神の顔が凍りつき、クシナダヒメの手が震え、村じゅうがしんと静まり返る。
山の向こうで何か巨大なものが動いた気配を察し、スサノオだけが少し楽しそうに笑みを深めた。
「よぉ、怪物退治の時間だ」
引き抜いた黒い刃が低く唸りを上げる。その姿に村神たちは半分安心しつつも、相手が村を滅ぼしてきた怪物ヤマタノオロチなだけに、強そうだがちょっと信用しきれない目つきの怖い男を前に半分は不安を拭えずにいた。
「で、酒は?」
スサノオが振り返ると、クシナダの父であるアシナヅチが慌てて答えた。
「じゅ、準備しております!」
村神たちの後ろから、鼻に刺さるほど濃く強い香りを放つ、普通ではない巨大な壺が運ばれてくる。
スサノオが少し眉を上げて「……強ぇな」と呟くと、老神は少しだけ誇らしそうにうなずいた。
「八塩折之酒です」
「八塩折?」
「通常の酒は三度ほどの仕込みですが、これは——」
老神の顔が少し引き締まる。
「八度、仕込みます」
「……八回? それ酔うだろ」
「怪物用ですから」
「なるほど」
雑ながらも妙に納得した。酒の匂いだけで、怪物だろうが神だろうが普通なら倒れるほど強いことがよく分かる。
正面突破だけでなく勝つための工夫を凝らす——それもスサノオという神の性質だった。
「いい。好きだぞ、そういうの」
少し悪い顔を浮かべながら、荒神は獰猛に笑った。
酒樽をすべて並べ終えたところで、スサノオがふいににやりと不敵な笑みを浮かべた。
「いいか、じいさん。作戦を変更する」
「変更ですか、旅神様?」
首を傾げるアシナヅチに、スサノオは当然のような顔で言い放った。
「生贄のフリをしてオロチを待つ。だが、クシナダを出すのは危なすぎるだろ。俺が化ける」
「「ええええええ!!??」」
村神たちの間に絶叫が響き渡る。
「無茶です! 旅神様はどう見てもたくましすぎます!」
「黙れ。俺は顔だけは無駄に整ってるからな。あとは服でどうにかなる」
スサノオは己の「天界のどの女神よりも気高く、恐ろしいほどに整った顔立ち」を、この時ばかりは最大限に利用するつもりだった。
だが、クシナダヒメがそっと自分の着物をスサノオの肩に当ててみて、静かに首を振った。
「旅神様。私の着物ではとても入りません」
「だよな」
どう見てもたくましい筋肉は、並の衣では隠しようもなかった。
そこへ、一柱の神がひょっこりと姿を現した。高天原の機織り殿に仕えていたが、スサノオの暴走に巻き込まれて地上へ避難してきていた機織りの神だ。
「——仕方ありませんね。スサノオ様モデルの『特注潜入装束』、私が一晩で織り上げましょう」
機織りの神は、スサノオの身体を計測すると、筋肉のたくましいラインをふんわりと包み隠し、顔の美しさだけを際立たせる特殊なAラインのデザインを設計し、瞬く間に白く輝く衣を織り上げた。
仕上げに薄化粧を施し、長い黒髪で輪郭を隠すと、そこには——。
「「(女神だ!!)」」
村神たちは言葉を失った。首から下は特注装束で隠されてはいるものの、どこか大型の獣のような威圧感がある。しかし、その首から上だけを見れば、あまりに美しく、直視すれば魂を吸い取られそうなほどの絶世の美女がそこにいた。
あまりのアンバランスさに脳がバグりそうになる村神たちを尻目に、スサノオは「……チッ、動きにくいな」と不機嫌そうに唇を尖らせた。その仕草すら、今の彼なら可憐に見えてしまうのが余計に恐ろしかった。
◇
「クシナダ、お前は櫛になれ。俺が髪に挿して、一番近くで守ってやる」
「……分かりました。旅神様を信じます」
クシナダヒメが頷き、スサノオの指が彼女の額に触れた瞬間、清廉な光とともに彼女は美しい一本の櫛へと姿を変えた。スサノオはそれを丁寧に自分の髪へ差し込む。
「よし、次は声だ。俺が喋ったら一瞬でバレる」
スサノオは髪に挿した櫛——クシナダヒメへ小声で相談した。
「クシナダ、お前は櫛の姿のまま、俺の口パクに合わせて喋ってくれ。前もって打ち合わせしておくぞ。俺が口を動かしたら、合図だ」
「分かりました。短い言葉なら、私の声を旅神様の口元から響かせるように術をかけられます」
「助かる。いいか、一言『どうぞ』とだけ言え。絶対に噛むなよ」
村神たちが一斉に草むらへ身を隠す中、女装した「彼女」だけが酒樽の前にひとりぽつんと佇む。
風が変わり、酒の香りが広がる中、遠くの森がメリメリと裂けて、何か巨大なものがこちらへ近づいてくる気配がした。
「来たか」




