↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
日本最古の神々譚 〜運命を切り拓く八百万の物語〜  作者: Miroku Studio
第一章 追放荒神とクシナダヒメ編
4/15

第4話 追放〜出雲へ

天の岩戸の前には、重い石扉に閉ざされた入口を前にしてスサノオがひとりぽつんと立ち尽くしていた。


周囲に他の神々の姿はなく、皆が世界の混乱対応で忙しく飛び回っている中、空はどこまでも暗く、寒々しく静まり返っている。


「……姉上」


呼びかけても当然のように返事はない。


「……悪かった」


沈黙が広がる。


「その……」


そこから言葉が続かないのは、昔から謝るのが苦手だったからだ。


怒鳴るのは得意で勢いで押すのも得意なのだが、本当に自分が悪いと自覚した時ほど、どうしていいか分からず言葉が出なくなる。


「祭り、喜ぶかと……」


そこまで自分でも言いながら、いや違うなと思い直した。


違う、本当はただ、褒められたかったのだ。


認められたかった、怒られたくなかった、嫌われたくなかった——ただそれだけだったというのに、すべてが最悪の形で失敗してしまった。


「……姉上」


小さく漏らしたその声は少しだけ幼く、「俺、そんなにダメか?」と問いかける静寂の中で、しかし岩戸の向こうからかすかに気配が動いた。


スサノオが勢いよく顔を上げる。


「姉上!?」


しばらくの沈黙の後、岩の向こうから疲れ切った小さな声が響いた。


「……今は、ひとりにして」


そのあまりに拒絶を孕んだ静かな声にスサノオの肩ががくりと落ちたが、その時だった。


後ろから、どすの利いた重々しい声が響き渡る。


「スサノオ」


一瞬で空気が変わり、誰もが一番恐れるその声の主——父イザナギは、過去一と言えるほどに、それも怒鳴るのではなく静かに本気で怒っていた。


「話がある」


短く静かなその一言にスサノオは振り返り、本能的に(あ、これヤバい。かなりヤバい)と察した。



高天原・中央神殿の大広間はいつもなら多くの神々が行き交う場所だが、太陽神の不在によって世界がじわじわと終わりに向かう中、今日は嫌な重さで静まり返っていた。


そんな緊迫した状況下で開かれていたのは、最悪の家族会議である。


神々が遠巻きに見守る中、中央に佇むイザナギと対峙するスサノオの空気感だけで、もし胃がある神なら間違いなく痛くなるような空間だった。


「……父上」


珍しくスサノオから先に口を開いたが、いつもの元気はまるでない。


「俺、姉上に謝って——」

「遅い」


その静かな声は、どんな雷鳴よりも重く響き渡り、スサノオは言葉を失った。


イザナギのまっすぐな眼差しにあるのは、怒りだけでなく疲れ、後悔、そして諦めの色だった。


「お前を、何度止めた」

「……」

「何度、許した」

「……」

「何度、信じた」


一言一言の重みに耐えかねる中、父がこんな顔をするのをスサノオは初めて見た。


「母に会いたいという気持ちは分かる」


イザナギがぽつりと溢した言葉に、スサノオの肩がぴくりと動く。


「……父上」

「だが、だからといって世界を壊していい理由にはならん」


あまりの正論に誰も何も言えない。


「田畑を壊し、海を荒らし、神々を傷つけた。そして今日——」


イザナギの声がさらに低さを増す。


「お前は、太陽を消した」


その決定的な事実にスサノオは初めて視線を落とし、「……そんなつもりじゃ」と小さく呟くしかなかったが、イザナギは即座に言葉を返した。


「知っている。お前に悪意が薄いことも、不器用なことも、寂しかったことも、母を忘れられんことも全部だ」


全部知っているからこそ、父でもある自分はこれまでずっと止めきれずにいた。


だが——イザナギは一度目を閉じ、そしてゆっくりと開いたその瞳には、もう父親ではなく冷徹な統治者としての顔があった。


「だからこそだ。このままではお前も壊れるし、高天原も壊れる。そして、誰かが死ぬぞ」


生まれて初めてスサノオの顔から反発の火が消え、少しだけ怯えた少年の表情になりながら「……じゃあ、どうすりゃいいんだよ」と幼い声を絞り出した。


イザナギは迷いなく、しかし酷く苦しげに答える。


「高天原を出ろ」


誰も息をしない沈黙が場を支配する。


「……は?」

「追放する」


その言葉は雷よりも重く、スサノオは理解が追いつかないまま「待てよ、冗談だろ?」と笑おうとしたが、周囲の誰も笑っていなかった。


「……父上?」


イザナギは目を逸らさず、その事実が逆に残酷だった。


「出雲へ行け。地上で暮らし、自分の力で生きるのだ。そして、自分が何者か考えてこい」


追放——高天原から、家族から、居場所からの完全な放逐にスサノオの顔からみるみる血の気が引いていく。


「……いらねぇってことか?」


ぽつりと漏らしたそんな表情を、彼はこれまで見せたことがなかった。


イザナギの目がわずかに揺れたものの、統治者としての顔を崩さずに「違う。お前を止めるため、そしてお前自身のためだ」と静かに告げた。


スサノオは何も言えなかった。


胸の奥が妙にざわつき、いつもみたいに怒鳴って暴れればいいはずなのに、父の本気を前にして(やりすぎた)という自覚が頭をよぎる。


「……姉上に会う」


ぽつりと言い放った息子に、イザナギは少しだけ目を閉じた。


「今は会えん」

「会う」

「岩戸は閉じているのだぞ」

「それでも会う」


短い沈黙の後、イザナギは小さく息を吐き出して「……好きにしろ」と、もう止めることはしなかった。


止めても行く、昔からそういう子だったからだ。



家族会議を終え、再び這うようにして戻ってきた天の岩戸の前は、怖いくらいに静まり返っており、外は暗く、風もなく、世界は少しずつ弱り始めていた。


そこに佇むスサノオは、しばらくの間ただ黙り込む。


謝るのも自分の気持ちを話すのも苦手な彼から最初に出てきた言葉は、ひどく不器用なものだった。


「……姉上、俺、追放される」


少しの間が空いた後、岩の向こうで気配が動き、疲れ切った小さな声が響いた。


「……そう」


怒っているというよりは呆れ果てたそのトーンが、スサノオの胸に妙につらく突き刺さる。


頭を掻きながら、どう言葉を紡げばいいか分からないままに、彼はぽつりぽつりと溢した。


「……悪かった。馬とか、田畑とか、海とか、……色々」


自分でも「色々」で済む話ではないと思っていると、岩戸の向こうから小さなため息が聞こえてくる。


「本当に、色々ね」


その声が少しだけいつもの姉のものに戻った気がして、スサノオの胸がさらに痛んだ。


「……でも、嫌がらせをしたかったわけじゃねぇんだ」

「知ってるわよ」


アマテラスの即答に、スサノオの動きが止まる。


「……知ってたのか」

「知ってる。——だから余計に疲れたのよ」


その一言は、スサノオの心へかなり深く突き刺さった。


悪意なら怒ることもできたはずなのに、善意で大事故を起こし、寂しくて暴れては泣きながら嵐を呼び、困っている人がいれば放っておけないのに絶望的に空気が読めない——昔からそうだったからこそ、姉も彼を嫌いになりきれなかったのだ。


「……母上のこと、まだ辛いの?」


岩戸の向こうからの問いかけに、スサノオは数秒ほど黙り込んだ後、「……うん」と子供のような小さな声で認めた。


「ずっと、会いたかった」


長い沈黙が流れる中、やがて岩の向こうから少しだけ柔らかくなった声が届く。


「なら、地上へ行きなさい。高天原ではなく、あなたの場所をあそこで探してみなさいな」


静かな姉の声だった。


「もしかしたら、少しくらいは大人になるかもしれないわよ」

「ならねぇよ」


反射的に言い返したことで、ほんの少しだけ空気が軽くなり、二柱は一瞬だけ元の姉弟に戻れた気がした。


「……バカ」


アマテラスが小さく呟き、そして告げる。


「死なないでね」


その言葉だけは、黄泉の国に囚われた母を知っているからこそ、ひどく重く響いた。


スサノオは動きを止め、少しだけ力を込めて「おう、帰ってくる」と強く答えた。


岩戸の向こうから「……うん」と、小さな返事があった。



数刻後——高天原の境界にある追放の門の前に、スサノオはひとりで立っていた。


持っている荷物は最低限の剣だけ。


行き先は地上——出雲という、知らない人間たちが暮らす全く未知の場所であり、もう高天原に自分の居場所はどこにもなかった。


「……はは」


暗い空を見上げたスサノオは、少しだけ無理やり笑みを浮かべた。


「追放系ってやつか?」


誰もその意味を理解できない独り言をぽつりと残し、荒神スサノオは——地上へと落ちていった。

古事記でのスサノオ追放はもっと怖いやつです・・・

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。