第2話 武装での誤解〜誓約の儀
数刻後——高天原の東、太陽神アマテラスの神殿では、女神たちが慌ただしく動き回っていた。
「姫様、本当に大丈夫でしょうか……」
侍女神の一柱が不安げに尋ねる。アマテラスは「大丈夫よ。今日は誓約だけだから」と静かに茶をすすった。
そう言いながらも内心は少し落ち着かない。嫌な予感はするものの、考えすぎだろうと自分に言い聞かせていた、その時だった。
——ドォン!!
遠くで雷鳴が轟いて空が揺れ、見張りの神が顔を真っ青にして飛び込んできた。
「た、大変です!!」
「どうしたの?」
「スサノオ様が!!」
「来た?」
「完全武装です!!」
沈黙が流れ、アマテラスの動きが止まった。
「……は?」
「剣を帯びてます!!」
「剣は元から持ってるでしょう」
「違います!! 数が多いです!!」
「数?」
「あと軍勢っぽい雲まで連れてます!!」
アマテラスが立ち上がる。
「待って」
嫌な予感が、一気に最悪の方向へ跳ね上がった。
「……あの子、まさか」
侍女神が震える声で呟く。
「高天原を……?」
アマテラスの眉がぴくりと動いた。感情的で短気、理屈が飛んで勢いで突っ走る弟の前科は数え切れないほどある。
「武装して来た理由は!?」
見張りの神が答える。
「『誤解されないように正装してきた!』とのことです!!」
「逆なのよ!!!!」
太陽神の叫びが高天原に響き渡った。
だが時すでに遅し、外ではもうゴロゴロゴロゴロ——という不穏な雷音が近づいており、その規模はかなりのものだった。
当然のように神々がざわつき始める。
「まずくない?」「まずいですね」「前回の親子げんかで西区画が吹き飛んだんですが」「今回は太陽宮だぞ……?」「終わったかもしれん」
全員、経験者だからこそ避難の準備だけは早い。アマテラスはまだ何も起きていないというのにこめかみを押さえたが、それは(絶対ろくなことにならない)という姉の勘だった。
その時——ズン、と空気が震えて神殿の大扉がゆっくりと開く。
逆光と雷鳴、吹き込む暴風の向こうに立っていたのは、黒い装束を纏い、腰に何本もの剣を帯び、肩には荒ぶる風を乗せた姿。背後で黒雲が渦を巻いて雷が走り、目つき鋭く圧倒的な神威をまとった荒神の姿は、どこからどう見てもただの侵略者である。
「姉上!!」
だがそんな外見とは裏腹に、スサノオは爽やかに手を振った。
「来たぞ!」
「なんでその格好なの!?」
それがアマテラスの第一声だった。
「正装!」
「戦争の正装じゃない!!」
「礼儀だろ!?」
「どこの礼儀よ!?」
(あれ、攻めてきてない?)(攻めてきてるようにしか見えん)(でも本人めっちゃ笑顔ですね)(余計怖い)——神々が小声でざわつく中、スサノオ本人はいたって真面目に、百パーセントの善意で動いていた。これが一番厄介なところである。
「姉上が太陽神だからな!」
スサノオがこれみよがしに胸を張る。
「失礼があっちゃ悪いと思って、ちゃんと武装してきた!」
「発想が逆!!」
「え?」
本気で分かっていない顔の弟にアマテラスは頭を抱えた。悪意は薄いのに、ズレ方だけは昔から致命的なのが彼という神だった。
「……お前」
アマテラスが低い声で問い詰める。
「その剣、何本あるの?」
「六本」
「多い!」
「念のため!」
「何の!?」
「誤解された時のため!」
「今まさに誤解されてるのよ!!」
言われてスサノオが動きを止め、数秒考えてから「あ」と声を漏らす。あまりにも遅く、そして致命的だった。
周囲の神々が全員同じ顔で(今気づいたんだ……)と呆れる中、アマテラスは長いため息をつきながらも、悪気なく空気が読めない弟へほんの少しだけ同情を覚えた。
「……で?」
アマテラスが玉座に腰掛け直す。
「誓約、やるんでしょう?」
スサノオの顔がぱっと明るくなった。さっきまでの侵略疑惑から驚くほどの早さで切り替え、「おう! 俺の清き心、証明してやる!」と再び胸を張る。
神々の反応は薄かった。彼の心が汚れていると思っているわけではなく、ただただ面倒くさいだけなのだ。
「じゃあ始めるわよ」
アマテラスが立ち上がると、侍女神たちが慌てて祭具を運び、場の空気が一変する。
これは本来、神意を問い真実を明らかにするための神聖な儀式だ。だが今回に限っては、「問題児が暴れているから」というだいぶ私情の混じった理由で執り行われようとしていた。
「条件は?」
アマテラスの問いに、スサノオは得意げに答える。
「俺の剣を姉上が使う! 姉上の勾玉を俺が使う! それで生まれたものが清ければ、俺は善良!」
「理屈は分からないけど分かった」
神々もまるで理解していなかったが、いつものことなのでもう誰も止めない。
二柱が祭壇の中央へ進み出ると、白銀に輝く勾玉と荒神の大剣を前にして空が静まり返る。風が止み、雷が遠ざかる中、高天原じゅうが固唾を呑んで見守った。
そして——アマテラスがスサノオの剣を受け取る。
「では」
太陽神が刃を三段に折って噛み、息を吹きかけると光が弾け、砕けた剣の気配から新たな神威が形を成した。眩い光と空に舞う神気の中から、花のような気配をまとった美しい女神たちが現れる。
「おお……!」
神々がざわつく中、続いてスサノオがアマテラスの勾玉を受け取る。それを躊躇なく口に含み、噛み砕いた。
「噛み砕くんだ……」
誰かが小声で漏らした通り、初見だとなかなか驚くその挙動から、スサノオが勾玉を噛み砕いて吹き出す。暴風と雷鳴とともに荒々しい神気が吹き荒れ、ぽん、と若々しく凛々しい男神たちが現れた。
神々がざわつき、ここまでは厳かな儀式として進んでいた。問題はここからである。
スサノオが突然立ち上がり、全員が一致して嫌な予感を覚える中、勝ち誇った顔で言った。
「よし! 俺の勝ちだな!」
「……何で?」
アマテラスが眉をひそめると、スサノオはものすごく良い笑顔で言い放つ。
「俺の剣から女神が生まれた! つまり俺の心が清い証拠!」
一瞬で沈黙が走った。あまりの理屈の飛躍に神々の思考が停止する中、アマテラスも動きを止めて冷静に整理する。
「……待って。 私が剣に息を吹きかけたから生まれたのよ?」
「だから!」
スサノオが勢いよく指を突きつける。
「姉上の勾玉からではなく、俺の剣から女神が生まれた! つまり俺は清らか!」
「どういう理屈!?」
「清らかだから女神が生まれたんだ!」
「説明になってない!!」
そもそも勾玉から生まれた凛々しい男神も清らかではないのか——皆がそう思いつつも黙り込む中、本人だけが納得しているいつもの謎理論が始まった。
「つまり!」
スサノオが高らかに宣言する。
「俺は無実!!」
「何が!?」
「善良!!」
「何に対して!?」
「いろいろ!そして黄泉行く!!」
「そこにつながるの!?」
理屈の橋がまたしても崩壊しているというのに、本人だけは満面の笑みを浮かべている。アマテラスは「やっぱりものすごく面倒くさい」と頭を抱えた。
それでも、黄泉の話をしている時以外でこんなふうに弟が笑うのは、ずいぶん久しぶりのことだった。
「……黄泉行きは保留」
最終的にアマテラスが疲れた顔でそう告げると、スサノオは「ええぇぇぇ!?」と不満の声を上げた。
「まずは反省期間よ。高天原で問題を起こさないこと」
「起こしてねぇ!」
だいぶ起こしているため周囲の神々が全力で目を逸らす中、アマテラスはさらに「一か月、大人しくする」と言い渡す。
「長ぇ!」
「お前は百年単位で迷惑をかけているでしょう」
「百年なんて誤差だろ!」
「神の時間感覚で言ってるのよ!」
スサノオはぶつぶつ文句を言っていたが、なぜか機嫌は悪くなく、むしろ妙に晴れやかだった。
本人の中ではもう「勝った」のだ。しかもそれは姉公認だと思っている。
「俺は潔白だった」から「姉上も認めた」になり、「つまり自由」だから「母上にも会えるかも」へと繋がる——驚くほど雑なポジティブシンキングが、今のスサノオの頭を占めていた。




