第13話 再会と村の大騒動
出雲の空は、雲一つなく晴れ渡っていた。
アマテラスが岩戸から戻り、世界が光を取り戻したことで風はあたたかく、村全体が活気に満ちあふれている。
そんな瑞々しい光の中、村の入口にはひとりの少女が佇んでいた。
黒髪に澄んだ目をしたクシナダヒメは、けれど今日はどこか落ち着かない様子でそわそわと空を見上げていた。
「まだかな……」
小さく呟いては空を仰ぎ、また少し歩いては空を見る。
そんな娘の様子を見て、老夫婦がちょっとニヤニヤしながら声をかけた。
「姫、もう何回見に行くんですか?」
「べ、別に……」
「これで五回目ですよ」
「数えないでください!」
顔を真っ赤にして言い返すクシナダヒメだったが、その胸の内には少しだけ不安が渦巻いていた。
もしかしたら、もう戻ってこないのではないか。
あのまま高天原に帰って、自分のことなど綺麗さっぱり忘れてしまったのかもしれない。
相手は強く、凄く、少し乱暴だけれど、誰よりも優しい英雄神なのだ。自分とは、住む世界が違う。
そう思えば思うほど、彼女にはここで信じて待つことしかできなかった。
その時だった。
ざわっ、と木々が揺れて風が変わり、遠くの空がわずかに鳴り響く。
クシナダヒメが弾かれたように顔を上げると、そこには聞き覚えしかない、あまりにも雑でぶっきらぼうな声が響いた。
「よぉ」
黒髪を少し乱し、剣を担いだスサノオが、相変わらず少し不機嫌そうな顔でそこに立っていた。
けれどその表情は、以前別れたときよりも、ほんの少しだけ柔らかく見える。
クシナダヒメは数秒ほど完全に停止し、それからみるみるうちに視界を潤ませた。
「……帰ってきた」
小さく漏らしたその一言に、スサノオは少しだけ動きを止めた。
その響きがなんだか妙に胸にきて、照れくさそうに頭をガシガシと掻く。
「……おう、帰ったわ」
短すぎる言葉だったけれど、待っていた彼女にとってはそれだけで十分すぎるものだった。
次の瞬間、クシナダヒメがいつもよりだいぶ近い距離まで一歩を踏み込んできた。
恋愛耐性ゼロのスサノオは思わずちょっと身を引いてしまう。
「……待ってましたよ」
「……そんなに待つもんかよ」
嬉しそうに微笑む彼女から視線を逸らし、ぶっきらぼうに、だけど少しだけ弱い声で返す。
「待ちますよ。だって、帰ってくるって約束してくれましたから」
クシナダヒメの即答に、スサノオは内心で(だめだ、勝てない)と白旗を上げた。
怪物相手なら一瞬で勝てるし、神が相手でも力負けはしないのに、この少女のまっすぐな好意にだけはどうしても勝てる気がしない。
「……ずるいわ、そういうの」
ぽつりと溢した言葉に、クシナダヒメが「何がですか?」ときょとんとする。
照れくさくて理由なんて説明できるはずもないが、それでも、この居心地の悪さは決して嫌なものではなかった。
すると、そんな二柱の背後から老夫婦の賑やかな声が響いた。
「英雄様ーー!!」「よくぞ帰ってきてくださった!!」
一気に村じゅうが歓迎ムードに包まれ、「宴だ!」「また酒を仕込むぞ!」「今度こそ婚儀だ!」と口々に囃し立てる。
「早ぇよ!!」とスサノオが即座に突っ込んだが、アシナヅチはもの凄く真面目な顔で「では、いつにいたしますか?」と詰め寄ってきた。
「勝手に進めるな!!」
「ですが姫様はこうしてずっと待っておられたのですよ?」
「いちいち本人の前で言うな!!」
隣のクシナダヒメも顔を赤くしてはいたが、不思議と村神たちの言葉をいっさい否定しない。
それがスサノオにとっては余計に困るのだった。
その夜、大盛り上がりの宴がようやく落ち着いた頃、静かな夜風が吹く家の外で二柱は並んでいた。
「……高天原はどうでしたか?」
クシナダヒメの静かな問いに、スサノオは姉や父、神々たちの顔を思い浮かべながら空を見上げた。
「……やっぱり怒られたわ」
「ふふ、目に浮かびます」
楽しそうに笑う彼女の横顔を見つめながら、少し間を置いて言葉を続ける。
「でも、また帰ってこいって言われたんだよ」
「——良かったですね、本当に」
クシナダヒメが心から安堵したように微笑む。
それを見たスサノオは、少しだけ言葉を詰まらせた後、ぼそっと消え入りそうな声で呟いた。
「……俺、ここにも、また帰ってきたいし」
一瞬で沈黙が走り、今度はクシナダヒメの思考が完全に停止した。
みるみるうちに顔が真っ赤に染まっていく。
「……それ、すごく、嬉しいです」
小さな、だけど確かなその言葉に、スサノオは完全にキャパシティを超えてノックアウトされた。
ドラゴンスレイヤー、地上二度目の完全敗北である。
◇
翌朝、出雲の村は朝から妙な騒がしさに包まれていた。
「英雄様!!」と、起きて早々にスサノオは村神たちに囲まれていた。
「さっそく家を建てましょう!!」「寝床は広めがいいですか!?」
「いや待て待て」とスサノオが手をかざして彼らを止める。
「何で急にそんな話になるんだよ」
すると村神たちは一斉に動きを止め、もの凄く当然だと言わんばかりの顔で口を揃えた。
「だって、これからここに住むんでしょう?」
「姫様と一緒に」
「最初から同居前提かよ!?」
いくら何でも話が早すぎる村社会のスピード感に、荒神は朝から頭を抱えるしかなかった。
アシナヅチが真面目な顔で、しかしどこか必死さをにじませながら言葉を重ねた。
「村としても、英雄様をこのまま逃したくはないのです」
その言葉は本音だった。
ヤマタノオロチを討伐した最強の戦力であり、しかも性格が少し雑なだけで根は決して悪い神ではない。
村としては、何が何でもここに定住してほしいのが本心なのだ。
「それに、何より姫様が——」
アシナヅチがちらりと視線を向けた先では、クシナダヒメが真っ赤になって俯いていた。
だが、決して否定はしない。
それを見た村神たちも、我が意を得たりと深くうなずき合う。
「ずっと待ってましたもんね」「そうそう、ずっと村の入口を見てた」「五回も見に行ってましたよ」
「……もう、言わないで!!」
クシナダヒメが珍しくちょっと声を荒らげて怒る。
少しだけ幼くて可愛いその反応に、スサノオはなんだか妙に落ち着かない気分になって頭を掻いた。
「……でもな」
スサノオは腕を組んで少しだけ考え込んだ。
家、そして帰る場所。
昨日まで自分の辞書にはなかった響きに、少しだけ奇妙な感覚を覚える。
高天原では、生まれながらに自分の部屋があり、家族がいた。
けれど今度は違う、誰かに与えられたのではない居場所を、自分で作るのだ。
そんな彼の迷いを察したのか、クシナダヒメが隣から静かに、少しだけ不安そうな声を紡いだ。
「……嫌、ですか? ここ。私と一緒に住むの」
それは荒神の心臓を正確に撃ち抜く致命傷だった。
ドラゴンスレイヤー、完全即死である。
「……嫌じゃねぇ!!」
あまりの破壊力に早すぎる即答をしてしまい、それを見た村神たちが一斉にニヤニヤと顔を見合わせた。
「ほら即答だ」「分かりやすすぎる」「両想いじゃん」
「うるせぇ!!」
顔を真っ赤にして叫ぶスサノオだったが、その怒声は完全にただの照れ隠しだった。




