第12話 アマテラスとの和解〜出雲へ帰還
そして、アマテラスの視線がふと止まった。
少し後ろ——神々の集まるさらに後方に、妙に静まり返っている男がいる。
いつもなら真っ先に前へしゃしゃり出てくるくせに、今日は少し気まずそうに距離を取っているその男こそ、スサノオだった。
目が合う。
だいぶ気まずい沈黙の中、スサノオはたまらず視線を斜め上へと逸らした。
なんだか酷く照れくさく、また怒鳴られる、あるいはこってり説教をされると身構えていたのだが、久しぶりに向けられた姉の顔は少し違っていた。
疲れてはいるけれど、どこかホッとしたような、安心した表情だ。
「……反省した?」
それが、太陽神の第一声だった。
「した」
スサノオは間髪入れずに即答した。
あまりにも早すぎる返答に、周囲の神々がにわかにざわつき始める。
「早っ」「おい、本当に反省してるか?」「偽物じゃないのか?」「本物か?」
いかんせん過去の実績が悪すぎて、とにかく信用が皆無だった。
アマテラスも少しだけ動きを止めた。
あの弟がこれほど素直に返事をするなど、本当に珍しいことだったからだ。
「……本当に?」
怪訝そうに重ねられた問いに、スサノオは少しだけ黙り込んだ後、ぽつりと小さな声を溢した。
「……姉上。悪かったよ」
沈黙が走る。
今度こそ高天原が完全に停止し、誰もが身動きを忘れて彼を見つめた。
あのスサノオが、真正面から謝ったのだ、それこそ天地がひっくり返るレベルの異常事態だった。
「馬とか、田畑とか、海とか、……色々」
少し間を置いて口にした内容は自分でも雑だとは思ったが、不器用な彼にはそれ以外の言葉が見つからなかった。
アマテラスは静かに目を閉じる。
怒ったし、疲れ果てたし、本気で傷つきもした。
けれど、いま耳に届いた弱々しい声は、まだ母がいなくなる前の、ただの泣き虫だった頃の昔の弟そのものの響きだった。
「……ほんとに」
長いため息、しかしその口元には少しだけ優しい笑みが戻っていた。
「手のかかる弟ね」
その一言をかけられた瞬間、スサノオの肩からすっと余計な力が抜け落ちた。
許されたのだと、ほんの少しだけ確信できた。
そして、スサノオは懐をごそごそと探り始めた。
「……あと、これ」
取り出した剣から清廉な神気が走り、周囲の空気が一瞬で引き締まる。
「土産だ」
渡し方こそ雑で照れくさそうに目を逸らしてはいたが、それは地上で見つけてきたという本物の神剣だった。
アマテラスが目を細めてそれを見つめる。
ただの武器ではない、古き風の力と強大な神気を宿した特別な一本だ。
「……これを、私に?」
「やるよ。——姉上に、嫌われたまま放り出されるのは嫌だからな」
ぶっきらぼうに投げかけられた小さな声は、間違いなく彼の本音であり、この不器用な弟なりの最大級の謝罪だった。
アマテラスの動きが止まり、その瞳が一瞬だけ泣きそうなほどに揺れたが、次の瞬間にはいつもの凛とした姉の顔へと戻っていた。
「……反省したなら、もう少し空気を読みなさい」
「努力する」
「あと、勝手に黄泉の国へ行こうとしないこと」
「……努力するわ」
少しだけ、本当にほんの少しだけれど成長しているスサノオの様子に、周囲の神々からも驚きのざわめきが漏れる。
その時だった、農耕神が「……で、追放はどうするんだ?」とぼそりと呟いたのは。
一瞬で場が凍りつき、スサノオも動きを止めた。
忘れていた、わりと本気で完全に忘れていた。
さっきまでは姉のことで頭がいっぱいで、土産を渡して怒られなかった安堵から完璧に記憶の彼方へ吹き飛んでいたのだ。
「……あ」
小さく声を漏らすスサノオの周りで、神々が次々に意見を交わし始める。
「そういえばそうだよな」「世界を救うきっかけになったんだし、解除か?」「いや、でも今までの被害もでかすぎるぞ」
真っ二つに割れる意見を前に、スサノオは少し落ち着かない様子で佇んでいた。
正直なところ、自分でも高天原に戻りたいのかどうか分からなかった。
ここに戻りたい気持ちは少しだけある、けれど、また前と同じように空回って迷惑がられるのではないかと、ほんの少しだけ怖かったのだ。
そんな息子の心の揺らぎを見透かすように、父イザナギが静かに口を開いた。
その表情は、今度は少しだけ前ほど硬くない「父親」のものであり、同時に一柱の冷徹な「統治者」のものでもあった。
「スサノオ」
短く我が子を呼ぶ。
「お前は、地上で何をしてきた」
スサノオは視線を泳がせ、少し考えてから「怪物を倒した」と答えた。
「他には?」
「……助けたんだ」
「誰をだ」
少しの間を置いて、スサノオはぽつりと零した。
「泣いてたやつらを、な」
短くぶっきらぼうなその言葉は、けれど以前の彼なら絶対に出てこなかったはずの答えだった。
イザナギはそれを聞いて少しだけ黙り込み、再び問いかける。
「地上はどうだった」
スサノオは空を見上げ、地上の光景を思い浮かべた。
高天原ほど綺麗ではなく土まみれで、最初は自分の姿を怖がられもした。
けれどあそこの人間たちは笑っていて、泣いていて、確かに必死に生きていたのだ。
そして——待っていると、そう言われた。
「……悪くなかったよ」
ぽつりと小さく呟いた彼の表情を見て、神々は少しだけ動きを止めた。
あの暴れん坊のスサノオがそんな穏やかな顔をするなど、本当に珍しいことだったからだ。
「……そうか」
イザナギが静かにうなずき、そしてゆっくりと言葉を紡いだ。
「お前の追放処分は——継続とする」
しんと静まり返り、高天原じゅうが息を止める。
それは冷徹な宣告だったが、今度は以前と少しだけ響きが違っており、スサノオ自身も前ほど驚きはしなかった。
どこかで少しだけ、分かっていたからだ。
「だが、これはもう罰ではない」
イザナギが力強い目で息子を見つめる。
「お前には、あの地上の方が向いているのだ」
ざわっ、と空気が動き、神々が納得したように顔を見合わせる。
確かに高天原では問題ばかり起こすが、彼は困っている者を放っておけない質だし、強すぎるほどの力もある。
あの場所でなら、その絶大な力を誰かを守るために正しく振るうことができるのだ。
「……それに」
イザナギが少しだけ意地悪そうに目を細めた。
「地上には、お前を待っている者もいるのだろう?」
一瞬の沈黙の後、スサノオは完全にフリーズした。
みるみる耳の端が赤くなっていく。
「……は? 何を言って——」
「え?」
その反応に、アマテラスが鋭く察して姉の顔になる。
神々もにわかにざわつき始めた。
「何だそれ?」「まさか」「え、あいつ地上で何してきたんだ?」
だいぶ気まずくなったスサノオが「いや……別に」と目を逸らすが、イザナギは即座に言い放った。
「娘だな?」
「父上!?」
「顔に全部出ているぞ」
父親のぐさりと刺さる直撃弾にスサノオがうろたえる中、アマテラスは楽しそうにふっと吹き出した。
嫌な意味ではなく、弟のことで心から笑ったのは本当にいつ以来だろうか。
「……誰なの?」
「……別に」
「名前は?」
「……クシナダ……だよ。うるせぇな」
その名を口にした瞬間、高天原が本日最大のざわめきに包まれた。
「クシナダヒメか!?」「早っ!!」「追放されてまだ数日だぞ!?」「仕事が早すぎないか!?」
「うるせぇ!!」
顔を真っ赤にして叫ぶスサノオの怒声すら、今の神々にはただの照れ隠しにしか聞こえなかった。
アマテラスは少しだけ笑い、それから静かで優しい声へとトーンを落とした。
「なら、早く帰りなさいな」
スサノオの動きが止まる。
「え?」
「待っているんでしょう? その子が」
そう言って微笑む姉だったが、すぐに人差し指をびしっと立てていつものお説教モードへと切り替えた。
「ただし、もう少し落ち着くこと。暴れすぎない、空気を読む、ちゃんと考えて動くことね」
「……努力するわ」
「あと——」
少し間を置いて、アマテラスは実の姉らしい意地悪な笑みを浮かべた。
「今度、その子をここへ連れてきなさい」
当然のごとく神々がまたしてもドッと沸き立つ。
「まさかの親族挨拶!?」「早い!」「お姉様、めちゃくちゃ乗り気じゃん!」
あまりの情報の早さにスサノオの思考は完全に停止してしまった。
恋愛耐性ゼロな上に姉の圧にはとことん弱いのだ、完全に処理能力を超えている。
そんな様子を見て、アマテラスは今度こそ本当に嬉しそうにちゃんと笑ってみせた。
「……また帰ってきなさい。今度は、ちゃんとね」
その言葉だけは、驚くほど温かかった。
かつては理不尽に追放されただけの場所だった。
けれど今は、いつでも帰ってきていいもう一つの居場所へと、確かに変わっていた。
◇
数刻後——高天原の境界にある天の門の前に、スサノオは立っていた。
担いだ剣はそのままに、その足取りは以前落ちていった時とは比べ物にならないほど軽い。
その頭の中には、あの静かな川辺の記憶がまたしても鮮明に蘇っていた。
「……待ってますから」
思い出すだけで少し顔が熱くなる。
「……さて、帰るか」
ぶっきらぼうに呟いたスサノオの口元は、ほんの少しだけ、だけど確かに嬉しそうに緩んでいた。
荒神スサノオ、未だ追放の身。
だが——不器用な彼の帰る場所は、いつの間にか二つに増えていたのだった。




