表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/6

揚子江 溯行作戦

昭和13年(1938年)5月23日、揚子江溯行作戦が開始となった。6月12日、敵の要衝、安慶攻撃の火蓋を切り、膝が埋まるほどの泥濘の中を攻撃しこれを占領する。この時の揚子江は増水期を迎え濁水は轟々と渦を巻き、加えて江上には無数の機雷がまかれ、水上は封鎖された為に揚子江上の運航の危険この上なく、海軍掃海部隊は日夜この除去爆破作業に専念する。尚我らが飛行隊(海軍機フロート付 別名 下駄バキと呼んでいた。)の隙を見ては敵の飛行機(機種不明)も飛来して来、掃海中の船艇及び停泊中の輸送船に爆弾を投ずるなど敵も中々に油断ならなかった。

我が方に物資を積載する輸送船にも不幸にもその一弾が命中し炎上する事もあった。これと同じ時期に、海軍の掃海部隊のH部隊も又、掃海中にその船艇が機雷に触れ爆破沈没、二、三百名余りの尊い犠牲者を出したと聞いた。

 海軍部隊の苦労を重ねた掃海作業がようやく6月26日に終わり、揚子江南岸地帯を渡河する我々もなんとなくではあるが激戦が間近に迫って来たと感じていた。

 そして我々は先遣部隊の後方を前進する。二日目だったか…遥か第一線の方向にて銃声がしきりに聞こえ始めた。翌朝この状況が判明したのだ。それは先遣部隊が河口付近において、敵の有力部隊と遭遇しこれを撃退したが、我が方は四.五百名の戦死傷者を出したとのこと。後に我々がその戦場通過の際に、未だに収容しきれず水面に浮かぶ戦友の屍体を見た時 如何に激戦であったのかを偲び、胸元が熱くなるのを感じると共に反面複雑な興奮状態となり、その場を通過した。

 これより後、我々もまた第一線となり各所にて敵と遭遇之を撃破、特に彭沢付近に於いては敵の大部隊に壊滅的打撃を与えるほどの戦果をあげる反面、わが中隊にも日増しに戦死傷者の増加を見るようになる。特に湖口までの間の印象に残る苦戦の状況を一つ二つ記述してみようと思う。


旧日本軍の「下駄履き機」とは、航空機の機体下に「フロート(浮舟)」と呼ばれる下駄のような形状の装置を備えた水上機の俗称です。滑走路を必要とせず、海や湖から直接離着水できる利点があり、偵察や特攻などに活躍しました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ