中国無錫付近の警備
三州山系の連山がようやく尽きたと思い、高原の草原を一望できるところから見渡すと、遥か向こうに大きな街が春霞に包まれて浮かんだように見える。そこには高い塔が三つあり天に高くそびえている。高々と続いている城壁は雄大で壮観であった。幾本となく光輝き流れる小川や水路、そして爽やかな光。
上海を出た頃はまだ雪が積もっていたが、三州山系踏破の長い夢のような時間を過ぎた今、もう春が目の前にやってきている。ここで無錫に入場したら我々兵団は当分警備の任に就くのだという嬉しいニュースが誰云うとなく耳に入ってきた。
今思い出しても,無錫警備は忘れ得ぬ幸せとして戦友皆の心に残っていると思う。少なくとも私には、三州山系の昼夜を問わない討伐行軍、そしてその時の食糧難とはあまりにもかけ離れた楽しい毎日だった。市内には戦火の匂いすら無かったようだ。城壁の民家には至る所に真新しい弾痕が残ってはいたが、民心は落ち着き、民家は門戸を開放し盛んに商売を始め活気ある生活をしている。夜に入っても銃声を聞くような事もほとんどなかった。しばらくすると内地から沢山の慰問袋が届いた。そして新しい初年兵が補充となって到着した。
この野戦第一回の補充こそが昭和12年徴収の現役兵として中国大陸の各戦線で生死を共にした無錫補充だった。
連隊主力は無錫から離れた光陰付近の警備に、第二大隊主力は無錫城外の警備に、我らが中隊は支隊本部の護衛中隊として城内警備を命ぜられた。私達は週に一度程、司令部の衛兵勤務につき、それ以外は毎日体操程度の運動のみで専ら鋭気を養う事を心掛けた。一カ月二ヶ月と瞬く間に過ぎ、大陸の気候も晩春から初夏へと変わっていった。
私達は、戦争とはこんな生優しいものなのか?とか思うようになった。台湾で招集を受けた先輩は、内地帰還も遠くはないぞ等とデマを口走るようになった。だか全てはやはり…デマであった。
5月半ば過ぎには、中隊も新たな任務に向かって訓練と準備に忙殺される様になってきた。
溯江作戦の大命下る。
じきに揚子江の江岸は雨季が訪れる。
6月の初旬、無錫城内に別れを告げ、江岸の集結地、鎮江へ移動を開始した。
この先連隊の行手には最大の犠牲と,想像もせぬ長期の溯行作戦が待ち構えているなど、誰一人夢にも思わなかっと思う。
今の私の頭の中には無錫の平穏な街と高い仏塔、縦横に張り巡らされた水路の水、平穏な市民達とが思い出されるが、やはり何一つ悪く思う事はない。




