三州山系の討伐
昭和13年3月15日、連隊は上海に上陸、同年3月末頃より三州山系付近を拠点として各所に出没する敵遊撃隊の覆滅の命を受け、中隊も連隊と同様に杭州を出発した。
中隊は大隊の右側に位置し、谷間から谷間へと敵を追って進撃していた。敵は至る所に逆茂木などを張り巡らせ道を塞ぎ、隠れつつ発砲してきていたが、その姿は容易に発見できるものではなかった。
山から山へ、村落から村落へと進むうち、谷間にある小さな村落の瓶用鎮付近にて、午後一時過ぎ頃に約1小隊の敵(ゲリラ部隊)を発見、中隊は初めて会ったこの遊撃隊に対して全力を挙げて攻撃を開始(中隊長大尉、第一小隊長中尉、第二小隊長中尉、第三小隊長准尉)。
第三小隊は退却する敵を猛追、小高い丘を駆け下りて進撃中、敵は4.5件程の小さな土壁のある民家に逃げ込み反撃してきたため、これに対し攻撃中の同小隊の軍曹は左脚下腿部に貫通銃創を受け倒れる。
当時の私は同小隊の連絡下士官として敵を攻撃中だったが、負傷の報に驚き現場を見たところ、丘の中腹であり、敵から丸見えで攻撃の的となっている最悪の場所であった。私は急ぎ急造担架を作り仲間と共に飛来する敵弾をくぐりぬけ、丘の上の後方に辿り着き手当てを施すも…
出血多量の為遂に死亡する…
その後中隊は大隊に合流したが、安吉城攻略にあたり、軽機関銃射手の上等兵、顔面に負傷し、後日死亡。
この、三州山系付近の討伐は、中隊最初の戦傷者を出した戦いであった。




