第九話 水帝級魔法使いに
王都ノルマでの生活が充実していく中、俺の魔力は限界を知らずに膨張し続けていた。
王級魔法使いとしてニキシーに太鼓判を押されてから数年。夜な夜なの魔力拡張と、常識外れの魔力操作の探求により、俺はついに魔法の深淵である「帝級」の領域へと足を踏み入れていた。
王級が「事象の創造と支配」だとすれば、帝級は「理の改竄」。世界の法則を一時的に書き換え、己の魔力だけで天災そのものを生み出す領域だ。特に俺の得意とする水属性において、その威力は計り知れないものになっていた。
そんなある日、学院のカリキュラムである「魔物狩り実践演習」が行われた。
場所は王都から馬車で数時間の距離にある『封魔の森』。本来なら、外縁部に生息する下級から中級の魔物を狩り、連携や実戦の空気を学ぶための安全な演習だった。
参加者は俺のクラス。ヒン王子やメドリオ、サンドラ、星川奈々、そしてアリス王女といったいつもの顔ぶれも揃っている。引率は、学院でも実力派として知られる上級魔法使いの教師陣三人だ。
「いいか、お前たち。決して森の深部には入るなよ。連携を密にし、焦らず対処すれば――」
教師が偉そうに訓示を垂れていた、その時だった。
ズズン……!!
突然、大地が激しく揺れ、森の奥から鼓膜を破るような咆哮が轟いた。
「な、なんだ!?」
鳥たちが一斉に空へ逃げ去り、木々がなぎ倒される音が急速に近づいてくる。
次の瞬間、森の暗がりから無数の赤い眼光が浮かび上がった。
「嘘だろ……『ブラッド・ウルフ』の群れ!? しかも、数が異常だ……数百匹はいるぞ!」
メドリオが叫ぶ。ブラッド・ウルフは凶暴だが、本来数十匹の群れでしか行動しない。それが目を血走らせ、狂ったように溢れ出してきたのだ。
さらに悪いことに、空からは中型の飛竜『ワイバーン』が数頭、森の木々を薙ぎ払いながら降下してきた。通常、この森には絶対に生息していない強力な魔物だ。
「ひ、ひぃぃっ! 何でこんな所にワイバーンが!?」
さっきまで威張っていた引率の教師の一人が、腰を抜かして悲鳴を上げた。別の教師はパニックになり、「退却だ! 各自、自力で逃げろ!」と叫んで、生徒たちを置いて我先にと森の出口へ向かって走り出してしまった。
「おい、冗談だろ……教師が逃げるのかよ!」
ヒン王子が舌打ちをする。生徒たちは完全に浮き足立ち、迫り来る魔物の大群を前に絶望の色を浮かべていた。一匹のブラッド・ウルフが、恐怖で足がすくんだ女子生徒に飛びかかろうとした。
「させないよ」
俺は小さく息を吐き、杖を抜くこともなく指先を向けた。
火属性王級魔法――『火炎嵐』。
轟っ! と爆発的な業火が旋風となって巻き起こり、飛びかかってきたウルフはおろか、前方にいた数十匹の群れを一瞬にして灰燼に帰した。
「なっ……!?」
驚愕する生徒たちを背に、俺は一歩前へ出る。
「みんな、下がってろ。俺が片付ける」
ワイバーンが上空から炎の息を吐き出そうと急降下してくる。
俺は視線を上げ、大気に干渉する。
風属性王級魔法――『風刃の乱舞』。
不可視の真空の刃が竜巻のように空を駆け抜け、強靭な飛竜の翼と胴体をズタズタに切り裂き、血飛沫とともに地面に叩き落とした。
「右からキメラの群れが来るわ!」
サンドラの声に反応し、俺は足元に魔力を通す。
土属性王級魔法――『大地の槍』。
地盤が隆起し、無数の鋭い岩の槍が地面から突き出し、突進してくるキメラたちを次々と串刺しにしていく。
「ヘンリー、後ろの生徒が怪我を!」
奈々が叫ぶ。見ると、逃げ遅れた生徒が魔物の爪にかすり、血を流して倒れていた。
俺は振り返らずに魔力を送る。
治癒魔法――『聖なる息吹』。
温かな光が傷ついた生徒を包み込み、深い裂傷が一瞬にして塞がり、失われた体力が回復していく。
「あとは、あの鬱陶しい空の群れか」
俺は空を埋め尽くそうとするワイバーンの残党に向け、雷の魔力を練り上げる。
雷属性王級魔法――『雷帝の裁き(ライトニング・ジャッジメント)』。
空が暗雲に覆われたかと思うと、数千ボルトの極太の雷光が雨あられと降り注ぎ、空中の魔物を残らず黒焦げにして大地に墜落させた。
火、風、土、雷、そして治癒。
あらゆる属性の高位魔法を、息をするように無詠唱で連発する俺の姿に、周囲はもはや言葉を失い、ただ呆然と立ち尽くしていた。アリス王女はうっとりとした熱い視線を俺の背中に向けている。
魔物の大群は、たった一人によってほぼ壊滅した。
だが、真の絶望はこれからだった。
ズッ……ズズズン……!!
今までとは比べ物にならない重低音が響き、森の奥の木々が「根こそぎ」吹き飛ばされた。
姿を現したのは、山のように巨大な漆黒の竜だった。四つの赤い瞳と、全身を覆う呪いのような瘴気。
「……古の厄災、『エンシェント・デトネーター』……! なんであんな神話クラスの化け物が……!」
メドリオが絶望に顔を歪める。アレは王級魔法使いが何十人集まっても勝てるか分からない、国家の存亡に関わるレベルの災厄だ。竜が口を大きく開け、周囲の魔力を吸い込み始めた。放たれれば、この森はおろか、王都の城壁まで吹き飛ぶ極大のブレス。
「ヘンリー! 逃げて!」奈々が悲痛な声を上げる。
「逃げる? ここで俺が逃げたら、アリスも奈々も、妹のルナも王都ごと消し飛ぶだろうが」
俺は前世の引きこもりだった自分を笑い飛ばすように、不敵な笑みを浮かべた。
俺は今、守るべきものがある最強の魔法使いなのだ。
腰に差していた、マリアから贈られた銀の杖を静かに抜く。この杖を使うのは、久しぶりだった。
「見せてやるよ。世界を書き換える『理』の魔法を」
俺は一番得意とする水属性の魔力を、文字通り「限界突破」させて練り上げた。周囲の大気から水分が完全に消え去り、極度の乾燥で木々がひび割れ始める。俺の杖の先端に、超高密度に圧縮された絶対零度の青い光が収束していく。
それは、無詠唱ですら抑えきれない、帝級に至った者だけが到達できる究極の一撃。
「海原の王よ、深淵の絶望をもってすべてを飲み込め――」
エンシェント・デトネーターが極大のブレスを放つ瞬間、俺は杖を振り下ろした。
水属性帝級魔法――『水天一碧の滅び(アビス・エンド)』。
音も、光も、時間すらも凍りついたような錯覚。
次の瞬間、俺の杖から放たれた極小の水滴が竜のブレスと衝突した。
ブレスを押し返すのではない。ブレスそのものを「水」に変換し、さらには竜の巨体、そして後方の森の一部ごと、すべてを圧倒的な水圧と絶対零度の渦で飲み込み、空間ごと「消滅」させたのだ。
あとには、抉り取られたような巨大なクレーターと、静寂だけが残された。
「…………え?」
誰かが呟く声だけが響く。神話の魔物が、たった一撃でこの世から消し去られた光景。理解の範疇を超えた事象を前に、生徒たちは恐怖すら忘れ、俺という存在に畏敬の念を抱いて平伏しそうになっていた。
「ふぅ……ちょっとやりすぎたか。杖の調子もいいな」
俺はマリアの杖を満足げに撫で、振り返って皆に笑いかけた。
「怪我人はいないか? 帰るまでが演習だぞ」
この日を境に、ヘンリー・グレイの名は「単なる学園の首席」から「王都、いや王国最強の帝級魔法使い」として、王室から裏社会に至るまで、大陸全土に轟くことになるのだった。




