第十八話 剣神
龍神ヴォルガルドによる地獄の特訓が始まってから、一ヶ月が経過した。
旧『封魔の森』の修練場は、連日の神級魔法と剣技の衝突により、もはや元の地形を留めていない。クレーターが幾重にも重なり、空間には常にパチパチと魔力の残滓が弾ける音が響いている。
「はぁ……はぁ……ッ!」
俺、ヘンリー・グレイは、ボロボロになった剣を杖代わりに立ち上がっていた。隣には、全身から凄まじい闘気を発するマリア、そして魔力の極致を掴みかけ、瞳に神秘的な光を宿すニキシーとアリス。さらに、子供たち三人も、一ヶ月前とは比較にならないほどの重圧を放っている。
対峙するのは、腕を組み、不敵な笑みを浮かべる龍神ヴォルガルド。
「どうした、もう終わりか? 基礎の基礎を叩き込んだだけで根を上げるんじゃねぇぞ」
「……まだだ。全員、行くぞ!」
俺の合図と共に、家族全員が同時に動いた。
アリスの放つ聖級支援魔法が、俺たちの知覚速度を限界以上に引き上げる。ニキシーが神級の入り口に手をかけた『事象凍結』を放ち、一瞬だけヴォルガルドの足元を固定。その隙に、レオン、ガレス、エラーラが死角から波状攻撃を仕掛ける。
「おおっ! 連携の質が上がったじゃねぇか!」
ヴォルガルドが笑いながら腕を振るった瞬間、俺とマリアが交差するように飛び込んだ。
俺は土と水の複合聖級魔法でヴォルガルドの視界を遮断し、全魔力を込めた一撃を放つ。それは「攻撃」ではなく、ヴォルガルドが教えてくれた「一点への存在の圧縮」。
そして、その背後から本命が動く。
マリアが、ヴォルガルドから伝授された理合い――『概念斬り』を乗せた、渾身の抜刀術を放った。
――キィィィィィンッ!!
空間が悲鳴を上げるような音と共に、一筋の閃光がヴォルガルドの二の腕を走った。
ほんの数ミリ。だが、難攻不落を誇った龍神の鱗が裂け、黄金の血がひとしずく、地面に滴り落ちた。
「……っ、やった!」
「……ははっ。はははははははっ!!」
ヴォルガルドの豪快な笑い声が森に響き渡る。
彼は自らの腕に刻まれた小さな傷を見つめ、満足そうに頷いた。
「上出来だ。まさか一ヶ月で俺の体に傷をつける奴が現れるとはな。……いいぜ、お前ら。修行の第一段階は終了だ。これ以上は、実戦の中でしか掴めねぇ領域だ」
ヴォルガルドは俺たちを一人ずつ見渡し、最後にマリアの前で足を止めた。
「マリア。お前はもう、俺が教えることはねぇ。お前の中に眠る剣の理は、すでに既存の『剣神』を食い殺せるレベルに達してる」
マリアは静かに剣を納め、深く一礼した。その瞳には、迷いのない決意が宿っていた。
数日後。マリアは一人、大陸の最北端に位置する剣の聖地、総本山『天斬山』へと向かっていた。
そこは年中吹雪が吹き荒れ、剣の道を志す者が一生に一度は訪れることを夢見る、最も過酷で神聖な場所。その頂には、七大神の末席、第七位に君臨する現『剣神』が鎮座している。
「……来たか。我が領域を乱す、新しき風よ」
頂上の道場から姿を現したのは、枯れ木のように痩せ細りながらも、周囲の空間を切り裂くほどの鋭い剣気を放つ老人だった。
現・剣神、ガラン・ド・ヴァルカス。
数百年にわたり、この世界の剣の頂点に立ち続けてきた伝説の男だ。
「エリシオン王国伯爵夫人、マリア・グレイ=クロス。現・剣神ガラン殿。貴方に決闘を申し込みに参りました」
マリアが凛とした声で名乗ると、ガランの細い眼がわずかに開いた。
「……グレイ=クロスか。龍の加護を感じるな。よい、我が位が欲しくば、その剣で奪ってみせよ!」
刹那、二人の姿がかき消えた。
キィィィィンッ! と凄まじい金属音が響き、山頂の雪が円形状に吹き飛ぶ。
最初は、圧倒的にガランが優勢だった。
ガランの剣は無駄がなく、最小の動きでマリアの急所を的確に突いていく。マリアの体には、瞬く間に数本の赤い筋が走った。
「どうした! 龍に教わったのはその程度か!」
ガランの放つ奥義『無辺万象斬』が、数千の斬撃となってマリアを襲う。
「……いいえ、ここからです」
マリアは目を閉じた。吹雪の音も、ガランの剣気も、すべてがスローモーションに変わっていく。ヴォルガルドに叩き込まれた、地獄のような一ヶ月を思い出す。
龍神の拳を受け流し、概念を捉え、ただ一点にすべてを置く。
(……今ッ!)
マリアの剣が、あり得ない角度からガランの斬撃の「隙間」を縫った。
それはヴォルガルドが見せた、次元を無視した理不尽な剣筋。
「……何ッ!? 龍神の……技か!?」
ガランが驚愕に目を見開いた瞬間、マリアの刃が彼の喉元で止まった。
ガランの持つ聖剣は、マリアの放った『概念斬り』の圧力に耐えかね、中央からパキリと音を立てて砕け散った。
静寂が訪れる。
「……負け、か。よもや、人間に剣の理を超えられる日が来るとはな」
ガランは折れた剣を地面に突き立て、満足げに微笑んだ。
「見事だ。今日この時より、貴殿こそが新たなる七大神の第七位……『剣神』マリア・グレイ=クロスである」
マリアは深く礼をし、夫と子供たちが待つ家へと、その朗報を抱えて帰還の途についた。
マリアの『剣神』就任の報を聞き届けた後、俺は一人、大陸の中央に位置する広大な密林の前に立っていた。
俺の目的は、六位のオルスを討つこと。だが、今の俺に足りないのは、ヴォルガルドが言っていた「魔力と技の高次元融合」だ。それを極めるためには、第三位に君臨する『技神』の教え、あるいはその力が必要だった。
「ここか。技神ゼノスが潜むという『万象の樹海』は」
目の前には、ただの森ではない、魔力が複雑に絡み合い、侵入者の知覚を狂わせる迷宮のような樹海が広がっている。
俺は一歩、その禁足地へと足を踏み入れた。
「七大神・第三位『技神』ゼノス殿。……ヘンリー・グレイ=クロスが、お前を越えるために参上したぞ」
俺の声が森の奥深くへと吸い込まれていく。
背後でマリアが神位を手にした今、俺もまた、立ち止まっているわけにはいかない。
オルスの首を獲るための、さらなる高みへの挑戦が、今ここから始まる。




