第十七話 龍神の特訓
旧『封魔の森』を開拓して造り上げた俺の新たな領地。その一角に、山を三つほど吹き飛ばして急造した「特別修練場」があった。
今、そこは文字通りの地獄と化している。
ズガァァァァァンッ!!
「甘ぇ! 甘ぇぞマリア! お前の剣は確かに速いが、ただ空気を斬ってるだけだ! 『剣神』のジジイの剣はな、振る前から『斬る』という結果が空間に固定されてんだよ! 概念を斬れ! 理合いを掴め!」
「くっ……! はぁぁぁぁッ!!」
龍神ヴォルガルドの容赦のない咆哮が響く中、マリアが神速の踏み込みで斬りかかる。だが、ヴォルガルドは分厚い竜鱗に覆われた腕で、いとも容易く名刀の刃を受け止めていた。マリアの剣撃は岩山を両断する威力だが、龍神の肉体にはかすり傷一つつけられない。
マリアは弾き返されながらも空中で体勢を立て直し、再び特攻を仕掛ける。彼女の瞳には、かつてないほどの鋭い闘志が宿っていた。
「よし、次はチビっ子どもの番だ! かかってこい!」
「とうっ! 龍のおじちゃん、覚悟ぉ!」
次男のガレスが、自身の体よりも巨大な大剣を振り被り、全力で跳躍してヴォルガルドの頭上から叩き落とす。
「はっはー! いいパワーだ! だがな……」
ヴォルガルドはニヤリと笑い、なんと小指一本でその大剣の腹を押し返した。
「力任せに振るだけじゃダメだ。力のベクトルを一点に集中させろ!」
「うわわっ!?」
そのまま弾き飛ばされるガレス。そこへ、すかさず長女のエラーラが魔法を放つ。
「お兄様、今ですの! 『水流の鎖』!」
「よし、エラーラの魔法に合わせて波状攻撃だ! ガレス、着地と同時に右へ回り込め!」
長男のレオンが後方から的確に指示を出し、ヴォルガルドの視界を塞ぐように泥の目眩ましを放つ。
「おおっ、チビども! お前らの連携はマジで芸術的だな! ジン神の眷属どもよりよっぽど厄介だぜ!」
ヴォルガルドは嬉しそうに笑いながら、飛んでくる水魔法と泥を凄まじい肺活量の息だけで吹き飛ばした。
彼らの後方では、アリスが額に大粒の汗を浮かべながら、必死に杖を握りしめていた。
「皆様、強化の光を維持しますわ! 切らさないで……ッ!」
「いいぞアリス! 神を相手にする戦場じゃ、支援役の魔力運用が命綱だ! 常に周囲の魔力残量を把握して、最適解でバフを配り続けろ!」
ヴォルガルドが放つ余波(それだけで災害級だ)から身を守りながら、家族全員に回復と強化を配り続けるアリスの負担は計り知れない。だが、彼女は決して膝を屈することなく、気丈に魔法を紡ぎ続けていた。
「さて、メインディッシュの残飯処理と行くか! ヘンリー、ニキシー! 準備はいいか!」
「残飯処理とは失礼ね! 行くわよヘンリー!」
「ああ、死なない程度に手加減してくれよな、ヴォルガルド!」
俺とニキシーは並び立ち、同時に魔法を起動した。
ニキシーの王級を超える炎氷魔法と、俺の土と水の帝級魔法。それを空間上で複雑に絡み合わせ、一つの巨大な「事象の弾丸」としてヴォルガルドに叩き込む。
「だから、出力に頼るなって言ってんだろ!!」
ヴォルガルドが大地を踏み砕いて突進してくる。俺たちの放った複合魔法の直撃を、彼はなんと**「拳の風圧だけ」**で相殺してしまった。
「なっ……!?」
「ヘンリー! お前の魔法は規模がでかいだけで、密度が足りねぇ! 神級に至るってのはな、星のエネルギーを自分の細胞レベルにまで圧縮して、一撃に全存在を乗せることだ!」
俺の目の前に、ヴォルガルドの巨大な拳が迫る。
回避は不可能。俺は瞬時に土魔法の聖級結界を何十層も展開し、同時に剣に限界まで魔力を込めて防御姿勢をとった。
ドゴォォォォォォォォォンッ!!!
「がはっ……!!」
全身の骨が悲鳴を上げ、俺の体は後方へ数十メートルも吹き飛ばされた。幾重にも張った聖級結界は紙のように破られ、剣を握る両手は痺れて感覚がない。
「ヘンリー!」
ニキシーが叫びながら俺を庇うように前に出るが、ヴォルガルドはすでに腕を組んで立ち止まっていた。
「……今日はここまでにしておくか。お前ら、初日にしてはよく耐えたぜ」
ヴォルガルドがにかっと笑う。
俺は血の味がする唾を吐き捨てながら、ゆっくりと立ち上がった。
「……ふざけんな。まだまだ、やれるぞ」
「いやいや、アリス嬢ちゃんの魔力が空っぽだ。これ以上は死人が出る。修行は生きてるから意味があんのさ」
言われて見れば、アリスはすでに魔力切れでその場にへたり込んでおり、マリアもガレスも息も絶え絶えだった。
圧倒的な敗北感。しかし、同時に俺の体内では、これまでにない新しい魔力の循環が起きていた。ヴォルガルドの神級の理合いを直接その身に受けたことで、細胞が強制的にアップデートされようとしているのだ。
「……感謝する、ヴォルガルド」
「おう! その代わり、今日の晩飯は期待してるぜ!」
最強の龍神は、腹の虫を盛大に鳴らしながら大笑いした。
その日の夜。グレイ伯爵邸の大食堂は、かつてないほどの熱気と酒の匂いに包まれていた。
長机の上には、領地で獲れた巨大な魔猪の丸焼き、新鮮な魚介の盛り合わせ、そして山のようにつまれた果実やパンが並べられている。メイド長のシルビアをはじめとする使用人たちが、総出で料理と酒を運び込み続けていた。
「がはははは! この肉、最高に美味ぇな! ジン神の野郎が食ってる神酒より、この地酒の方が五百倍は美味ぇぞ!」
ヴォルガルドは、人間用のジョッキではなく、オーク樽を直接抱えてガブガブと酒を飲み干していた。その豪快な食べっぷりに、子供たちは目を丸くして見入っている。
「龍のおじちゃん、すっごく食べるね!」
「あれだけ動いたのだから、当然ですわ。私たちも見習ってたくさん食べませんと」
レオンとエラーラが驚きながらも自分たちの食事を進める。
「ほれヘンリー! お前も飲め! 神殺しを目指す男が、そんなちびちび飲んでてどうする!」
「お前と一緒にすんな。俺は明日も領地の仕事があるんだよ」
俺は苦笑しながら、ヴォルガルドが強引に注いできたなみなみと注がれたワイングラスを受け取った。
「しかし、本当にお前らは面白い家族だ」
ヴォルガルドがふと真面目な顔をして、肉の骨を皿に置いた。
「俺は数百年、強え奴らをたくさん見てきた。だが、お前らみたいに『家族を守るため』なんていう泥臭い理由で、神の領域に手をかけようとするバカは初めてだ。……悪くねぇ。オルスの野郎のすました顔を歪ませるのが、今から楽しみで仕方ねぇぜ」
「当然よ。あいつには、私たちの平和を脅かしたツケをきっちり払わせるんだから」
マリアがワインを飲みながら、誇り高く微笑む。
「そのためにも、明日からはもっと厳しくしてちょうだい。私たちは絶対に折れないから」
ニキシーも、優雅に食事を進めながら静かに闘志を燃やしていた。
「ええ。ヘンリー様と子供たちのためなら、私、魔力の限界なんて何度でも超えてみせますわ」
アリスがふんわりと笑う。
その頼もしい妻たちの姿を見て、ヴォルガルドはさらに上機嫌になり、「よし、今日は朝まで飲むぞ!」と再び樽を煽り始めた。
深夜。
酒を飲みすぎたヴォルガルドが客室の巨大なベッド(彼のために特注で用意した)で盛大なイビキをかいて眠りについた後。
俺は、マリア、ニキシー、アリスと共に、屋敷の奥にある広々とした主寝室へと向かった。
部屋には柔らかいランプの光だけが灯り、静寂が包んでいる。昼間の喧騒と過酷な修行が嘘のような、穏やかな時間だ。
俺たちは広いベッドに腰を下ろし、互いの体に残った痣や擦り傷に、ゆっくりと治癒魔法をかけ合っていた。
「痛っ……ごめんアリス、そこ少し染みる」
「申し訳ありませんヘンリー様。少し深く魔力を浸透させますね」
アリスの柔らかな手が俺の背中に触れ、温かな光が筋肉の痛みを和らげていく。
「ヘンリー、今日の修行……無茶しすぎよ。ヴォルガルドの拳をまともに受けるなんて」
マリアが俺の肩に頭をこてんと預けながら、心配そうに呟いた。彼女の髪から、微かに甘い花の香りが漂う。
「仕方ないさ。あいつの理合いを肌で感じるには、逃げてばかりじゃダメなんだ。それに、俺には最高に優秀な治癒術師の妻たちがいるからな」
俺がそう言ってマリアの頬を撫でると、彼女はふわりと微笑んで俺の胸にすり寄ってきた。
「調子のいいこと言って。……でも、本当に無理はしないでね」
ニキシーが俺の反対側の腕に抱きつき、深い青色の瞳で俺を見上げた。
「私たちが強くなりたいのは、あなたを守るためでもあるの。あなたがボロボロになってしまったら、本末転倒よ」
マリアの鍛え抜かれたしなやかな体温、ニキシーの成熟した柔らかな感触、そして背中から伝わるアリスの優しい温もり。
三人の愛する妻たちに密着され、俺の心はこれ以上ないほどの充足感で満たされていた。
「ありがとう。マリア、ニキシー、アリス……」
俺は両腕を回し、三人をごと強く抱きしめた。
「お前たちがいてくれるから、俺は何度でも立ち上がれる。神様相手だろうが、絶対に負ける気はしないよ」
「ええ、信じていますわ、ヘンリー様」
アリスが俺の首筋にそっと唇を落とした。それを合図にしたかのように、マリアが俺の唇に優しく、そして情熱的なキスを交わす。
「今日はたくさん動いて疲れたでしょ。……私たちが、たっぷり癒やしてあげる」
ニキシーが甘く囁き、俺の頬を優しく撫でた。
言葉はもう必要なかった。
過酷な運命に立ち向かうための力を欲する昼間とは違い、夜は互いの存在だけを求め、確かめ合う。肌と肌が重なり合い、体温が混ざり合うこの瞬間だけは、神の脅威も、世界の理も関係ない。
ただ愛する者たちと深く結びつき、互いの魂を癒やし合う。その確かな繋がりこそが、俺がこの異世界で手に入れた最大の武器であり、守るべき世界のすべてだった。
窓の外では、静かな夜風が領地の森を揺らしている。
明日もまた地獄の特訓が待っている。だが、俺たちの心は決して折れることはない。家族という最強の絆を胸に、静かで甘い夜は更けていった。




