第十六話 龍神
書き方を少しばかり一章から変えました。
新たなる我が領地、旧『封魔の森』。
開拓は順調に進み、安全な居住区画と豊かな農地が広がりつつあったが、未開拓の深部には依然として強大な魔物たちが巣食っていた。今日は、その間引きを兼ねた家族総出の討伐遠征、言うなれば少しハードなピクニックの日だった。
「ガレス、右翼から回り込む魔獣の群れを抑えて! エラーラは後方の魔力溜まりを吹き飛ばしなさい!」
長男のレオンが、高台から戦況を見下ろし、的確な指示を飛ばす。まだ幼いながらも、その戦術眼はすでに王国騎士団の部隊長クラスを凌駕していた。
「任せろ兄ちゃん! とうっ!!」
次男のガレスが、自身の身長の何倍もある特注の大剣を軽々と振り回し、迫り来る『ブラッド・オーガ』の群れを次々と両断していく。
「うふふ、水と風の精霊さん、お願いね。無詠唱・水風複合魔法――『螺旋の水刃』!」
長女のエラーラの小さな手から放たれた圧縮された水圧のカッターが、後方で呪文を唱えようとしていた魔物たちを一瞬で肉片に変えた。
「子供たちにばかりいい所を持っていかれるわけにはいかないわね。行くわよ!」
マリアが微笑みながら地を蹴り、神速の抜刀術で空間そのものを切り裂く。
「ええ、お母様の威厳を見せてあげないと。王級炎氷魔法――『絶対矛盾の双竜』!」
ニキシーの杖から放たれた炎と氷の竜が、残った魔物の大群を蹂躙していく。
「皆様、素晴らしいですわ! 私も支援の出力を上げますね!」
アリスの強化魔法が戦場全体を覆い、俺たちの魔力と身体能力をさらに底上げしてくれた。
俺はというと、聖級へと足を踏み入れつつある土魔法で、地形そのものを操作し、魔物の逃げ道を塞いで一網打尽にしていた。
「よし、これでこのエリアの掃除は終わりだな。みんな、怪我はないか?」
俺が声をかけた、その時だった。
――ピシリ、と。
空気が凍りついた。いや、空間そのものが「悲鳴」を上げたのだ。
先程まで俺たちが圧倒していたはずの、残党の凶暴な魔物たちが、突如として白目を剥き、口から泡を吹いて次々とその場に倒れ伏していく。恐怖によるショック死。魔物たちの生存本能が、「それ」の存在を感じ取っただけで自らの命を絶たせたのだ。
「……ッ!? なんだ、この異常なプレッシャーは……!」
俺は瞬時に家族の前に立ち塞がり、全身の魔力を極限まで引き上げた。マリアも剣を強く握り直し、ニキシーとアリスも血の気を引かせながら杖を構える。
頭上の空間が、ガラスが割れるようにパリンと音を立てて砕け散った。
そこから現れたのは、一人の男だった。
真紅の髪を逆立て、瞳は黄金に輝く縦孔。額からは禍々しくも美しい漆黒の二本の角が生え、屈強な肉体は随所に竜の鱗のような装甲で覆われている。
「ほう。この森の魔物どもを狩り尽くす勢いだったから、どんな奴らかと見に来てみれば……。なかなか面白い力を持ったアリどもがいるじゃねぇか」
男が地面に降り立った瞬間、ズドォォォン!! と大地が陥没し、凄まじい衝撃波が森を薙ぎ払った。俺たちが張っていた防御結界が、紙切れのように容易く消し飛ばされる。
「お前は……何者だ!」
俺の問いに、男はニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
「俺か? 俺はヴォルガルド。ただの通りすがりの『龍神』だ」
龍神。
その言葉を聞いた瞬間、俺たちの全身に絶望的な寒気が走った。
七大神第1位に君臨し、五大大神の一柱『ジン神』を倒すために世界を放浪しているという、最強にして最悪の存在。それが今、目の前にいる。
「……龍神だろうが何だろうが、俺の家族に指一本触れさせやしない!」
俺は一切の躊躇なく、自身が編み出したオリジナル魔法『星脈の断罪』を無詠唱で放った。純白の光線が、空間を削り取りながらヴォルガルドの心臓を穿とうと迫る。
「ふはっ、いい魔力だ! だが、遅ぇ!」
ヴォルガルドは避けることすら熟せず、ただ右手でその純白の光線を「パチン」と弾き飛ばした。俺の最大火力が、ただのハエのように払いのけられたのだ。
「なっ……!?」
「ヘンリー、私が隙を作るわ!」
マリアが神速でヴォルガルドの背後に回り込み、剣帝奥義・次元斬りを放つ。
しかし、ヴォルガルドは振り返りもせず、左手の指二本だけでマリアの剣の刀身を挟み止めた。
「剣神のジジイに比べりゃ、まだまだ太刀筋が軽ぇな、嬢ちゃん」
「くっ……離しなさい!」
「凍てつけ、世界の理よ!」
ニキシーが絶対零度の魔力をヴォルガルドに叩き込むが、彼がふっとため息を吐いただけで、その冷気はすべて蒸発してしまった。
「神級魔法の入り口には立ってるが、世界の理に反逆するには出力が足りねぇよ」
「……ッ、舐めるな!」
俺は土属性の聖級魔法『ガイア・カタストロフィ』を起動し、大地そのものを巨大な槍へと変えてヴォルガルドを串刺しにしようとした。
だが、ヴォルガルドは黄金の瞳を細め、口を大きく開いた。
無詠唱・神級魔法――『龍王の息吹』。
彼が吐き出したのは、単なる炎や光ではない。「破壊」という概念そのものを圧縮したエネルギーの奔流だった。俺の生み出した大地の槍は一瞬で塵に還り、その余波だけで俺たちは吹き飛ばされ、地面に激しく叩きつけられた。
「がはっ……!」
「ヘンリー様!」
「お父様!」
血を吐き、全身の骨が軋む。アリスの治癒魔法がすぐさま飛んでくるが、追いつかない。これが、七大神の頂点。オルスの時以上の、圧倒的で絶対的な力の差。
ヴォルガルドが悠然と歩み寄り、俺を見下ろした。
「つまんねぇな。少しは遊べるかと思ったが、所詮は人間か。まあ、この辺で消し炭にしてやるよ」
彼の手のひらに、再び破壊のエネルギーが収束していく。
死の恐怖が迫る。だが、俺の頭に浮かんだのは、ここで死ぬことへの恐怖ではなかった。
あの日、オルスに家族を殺されかけた絶望。
あのふざけた魔神をこの手で引き裂くまでは、絶対に止まれないという執念。
「……ふざけるな……ッ!」
俺は血塗れの体で、折れた杖を支えにして立ち上がった。足は震え、視界は霞んでいるが、眼光だけは決してヴォルガルドから逸らさなかった。
「こんなところで……終われない……! 俺は、あいつを……オルスを倒して、この家族の未来を守るまでは……絶対に死ねないんだよッ!!」
その叫びが森に響き渡った瞬間。
ヴォルガルドの手のひらに集まっていたエネルギーが、フッと霧散した。
「……あん? お前、今なんて言った?」
ヴォルガルドの黄金の瞳が、驚きに見開かれる。
「オルスって言ったか? あの、白くて気取ってて、事象の理がどうとかネチネチうるさい、魔神のクソ野郎のことか?」
「……そうだ。俺は奴を倒すために、神の領域に至る必要がある」
その瞬間、ヴォルガルドの態度が劇的に変化した。
「なんだよお前ら! あのクソ野郎に恨みがあんのか!? だったら早く言えよー!」
ヴォルガルドは頭を掻きむしりながら、急に人懐っこい笑顔を浮かべた。
「いやー、悪い悪い! さっきはすまんぬ! いやマジで!」
「……は?」
俺も、妻たちも、子供たちも、全員がぽかんと口を開けた。つい数秒前まで俺たちを消し炭にしようとしていた神の頂点が、頭を下げて「すまんぬ」と謝っているのだ。
「いやな? 俺は創造主のジン神って野郎をぶん殴るために旅をしてるんだけどよ、オルスの野郎はジンの腰巾着でさ。昔っから俺の邪魔ばっかりしてきやがって、本当にムカつくんだよ! お前らがあいつをぶっ飛ばすつもりなら、俺たちは同志じゃねぇか!」
ヴォルガルドは豪快に笑いながら、俺の背中をバンバンと叩いた。吐血しそうになるのを必死で堪える
「……つまり、俺たちを殺す気はなくなったと?」
「おう! むしろ、お前ら見所あるぜ。出力不足と基礎がなってねぇだけで、才能はバケモン級だ。お前ら自身もそうだが、特にあのチビっ子たち! あいつら、どういう血の混ざり方してんだ? 末恐ろしいぜ」
ヴォルガルドはレオン、ガレス、エラーラを見てニヤリと笑った。
「よし、決めたぜ! オルスをぶっ飛ばすためにも、俺が一肌脱いでやる! 俺が直々に、お前らを鍛え直してやるよ!」
突如として提案された、龍神からの指導。
信じられない展開だが、神級に至るためにはこれ以上ない機会だった。
「……本当か? 条件はないのか?」
「ねぇよ! オルスが泣きっ面かくところが見られればそれで最高だ!……あ、強いて言えば、美味い飯と酒が毎晩飲めるなら言うことねぇな」
「それくらいなら、いくらでも用意する」
俺が答えると、ヴォルガルドは満足そうに頷いた。
「交渉成立だ! で、お前ら名前はなんて言うんだ? 俺は七大神第1位龍神ヴォルガルド・ドラグニルだ」
俺たちは互いに顔を見合わせ、そして、しっかりと前を向いて名乗った。
「俺は、ヘンリー・グレイ=クロス伯爵。だが、肩書きはどうでもいい。ヘンリー・グレイ=クロスだ」
「私はマリア・グレイ=クロスよ」
「ニキシー・グレイ=クロス」
「アリス・グレイ=クロスですわ」
「レオン・グレイ=クロスです!」
「ガレス・グレイ=クロスだぜ!」
「エラーラ・グレイ=クロスですの」
「グレイ=クロス一家か、覚えとくぜ!」
ヴォルガルドはニッと牙を見せて笑った。
「マリアって言ったか。お前の剣は速いが、線が細い。俺が『剣神レベルの理合い』を叩き込んでやる」
「ニキシー。お前の魔法は綺麗すぎる。理を書き換える『神級魔法』の泥臭い領域に引きずり込んでやるよ」
「そしてヘンリー。お前は異常だ。魔力も性質も全部ぶっ壊れてる。だからこそ、お前には『剣と魔法の高次元融合』……俺たち神と同じ土俵に立つための極意を教え込んでやる」
ヴォルガルドの言葉に、俺たちの胸の奥で、決して消えることのない闘志の炎が燃え上がった。
「覚悟しとけよ? 俺の修行は、さっきの戦闘なんかよりずっと地獄だぜ?」
「望むところだ。死なない程度に、いや、死ぬギリギリまでしごいてくれ」
かくして、王都から離れた俺の領地に、七大神の頂点たる龍神が食客として(そして最恐の師匠として)居座ることになった。
オルス・メルドリゴドラを打ち倒し、家族との平和な未来を完全に手にするための、地獄のような、しかし最高に頼もしい鍛錬の日々が、ここから幕を開けるのだった。




