第十四話 大貴族
王都ノルマのグレイ邸は、朝から尋常ではない緊張感と慌ただしさに包まれていた。
屋敷の奥にある特別室から、マリアとニキシーのくぐもった声が聞こえてくる。そう、今日は二人の妻が同時に産気づき、出産を迎えるという、俺の人生においてもかつてないほど重大な一日だったのだ。
「ヘンリー様、落ち着いてくださいませ。床に穴が空いてしまいますわ」
廊下で熊のようにウロウロと歩き回る俺を見て、アリスが苦笑しながら袖を引いた。彼女の腕の中では、長男のレオンが不思議そうに俺を見つめている。
「わ、分かってる。でも、マリアもニキシーも、俺の並外れた魔力を宿した子を産むんだ。母体への負担は計り知れない。もし何かあったら……」
「お二人とも、並の女性ではありませんわ。剣帝と王級魔法使いですよ? それに、王都で最高の治癒術師と、シルビアもついています。信じて待ちましょう」
アリスの言葉に深く息を吐き、壁に背を預けたその時だった。
「オギャアアアアッ!!」
「ふんぎゃあああああっ!!」
二つの、力強く、そして鼓膜を震わせるような元気な産声が、ほぼ同時に扉の向こうから響き渡った。
「……っ! 生まれた……!」
俺は弾かれたように顔を上げ、アリスと顔を見合わせた。すぐさま扉が開き、汗だくになった治癒術師が満面の笑みで飛び出してきた。
「ヘンリー様! おめでとうございます! お二人とも、無事に元気な赤ちゃんをご出産なされました!」
規格外の赤子たちと、その名
特別室に入ると、清潔なシーツに包まれた二つの小さな命が、それぞれの母親の胸に抱かれていた。マリアもニキシーも疲労困憊の様子だったが、その顔には聖母のような優しく、深い愛情が満ち溢れていた。
「ヘンリー……見て。元気な男の子よ」
マリアが愛おしそうに頬を撫でている赤ん坊を覗き込む。
「……おお、マリアに似て端正な顔立ちだな。ん?」
俺が赤ん坊の小さな手を握ろうと人差し指を差し出した瞬間だった。
ギュッ!!
「痛っ!?」
生まれたばかりの赤ん坊の手が、俺の指を万力のような力で握りしめたのだ。見れば、ふんわりしているはずの赤ん坊の腕に、うっすらと筋肉の筋が浮かび上がっているではないか。
「うふふ、流石はヘンリーと私の子供ね。生まれた瞬間からこの握力……将来は間違いなく私を超える剣士になるわ」
マリアは痛がる俺を見て誇らしげに笑った。赤ん坊でありながら、すでに常人の大人並みの筋力を有している。間違いなく、剣帝と俺の肉体強化の魔力を色濃く受け継いだ結果だ。
「名前は、『ガレス』にしよう。強くて、誰かを守れる逞しい男になるように」
「ガレス……ええ、とても良い名前ね」
続いて、隣のベッドで微笑むニキシーの元へ向かう。
「ヘンリー、この子を見てちょうだい。女の子よ」
ニキシーの腕の中にいる赤ん坊は、泣くこともなく、ぱっちりと開いた深い青色の瞳で、部屋中をキョロキョロと観察していた。そして、俺と目が合うと、まるで「あなたが父親ね」と理解したかのように、ニコリと笑ったのだ。
それだけではない。彼女の周囲には、キラキラと輝く淡い水と光の魔力粒子が自然発生し、フワフワと漂い始めている。無意識のうちに、空間の魔力を操作しているのだ。
「生まれた瞬間から、周囲の魔力と同期している……!? この子、とんでもない魔法使いになるぞ」
「ええ。私を遥かに超える天才よ。この賢そうな瞳、あなたにも似ているわね」
ニキシーは愛娘の額にそっと口づけをした。
「この子の名前は、『エラーラ』だ。魔法の真理を導く、美しく賢い女性になってほしい」
「エラーラ……ふふっ、素敵な名前ね。よろしくね、エラーラ」
ガレスとエラーラ。この規格外の二つの命の誕生は、俺の胸にこれまで以上の重い責任と、無限の喜びをもたらしてくれた。
それから数日後。マリアとニキシーの体調もすっかり回復し、グレイ邸のリビングには賑やかな笑い声が響いていた。ベビーベッドでガレスとエラーラが眠り、その傍らでレオンが「僕がお兄ちゃんだぞ」と胸を張っている。
俺はソファで紅茶を飲みながら、妻たちと今後の教育方針や魔法の鍛錬について語り合っていた。
「そういえば、ヘンリー」
ニキシーがふと思い出したように口を開いた。
「最近、王都の民衆や魔法使いのギルドの間で、あなたが何て呼ばれているか知ってる?」
「ん? いや、特には。ただの『帝級魔法使い』じゃないのか?」
「違うわよ。あなたは今、民衆から畏敬の念を込めて**『水帝』**と呼ばれているわ」
「水帝……?」
俺は目を瞬かせた。確かに、エンシェント・デトネーターを討伐した時に使ったのは水属性の帝級魔法『水天一碧の滅び(アビス・エンド)』だった。だから水属性の頂点という意味でそう名付けられたのだろう。
「いや、水帝って言われてもな……。実はここ最近の独自の鍛錬と『星脈の断罪』の開発の過程で、一番理解が進んでいるのは土属性なんだ。今の俺なら、土魔法のほうが先に進んでいて、伝説の『聖級』の領域まであともう少しのところまで来てるんだけどな」
事も無げに俺がそう言うと、マリアもニキシーも目を丸くした。
「……ちょっとヘンリー。聖級って、七大神の領域の入り口よ? あなた、また勝手に常識を置き去りにしてるのね……」
ニキシーが呆れたようにため息をつく。
すると、横でレオンと遊んでいたアリスが、ポンッと手を叩いて満面の笑みを浮かべた。
「まあ、そうなのですね! ヘンリー様の土魔法が聖級に至りそうだと。素晴らしいですわ! では、お父様から『伯爵位贈呈の儀式』の際に、そのことも含めて大々的に発表するように言っておきますね!」
「…………え?」
俺の思考が停止した。マリアとニキシーも「は?」という顔でアリスを見つめる。
「アリス……今、なんて言った? 伯爵位贈呈の儀式?」
「はい! 言いそびれておりましたが、数週間後に王城でヘンリー様の叙爵の儀式が行われますの。ヘンリー様はこれまで『クロス騎士爵』でしたが、数々の魔物討伐の功績と、何より私という王女を妻に迎えたのですから、騎士爵のままでは釣り合いが取れないとお父様が仰りまして。飛び級で『伯爵』に任命されることが決定いたしましたわ!」
「な、なんだってええええええっ!?」
俺の叫び声が屋敷中に響き渡り、ベビーベッドのガレスがその大声に反応して、自身のシーツを握力で引きちぎった。
栄光の叙爵の儀、エリシオンの盾として
そして数週間後。
アリスの言葉通り、俺は豪奢な礼服に身を包み、この国――『エリシオン王国』の王城、その最も神聖なる大玉座の間に立っていた。
天井には見事なフレスコ画が描かれ、左右には数百人にも及ぶ王国の大貴族、高位魔法使い、騎士団の重鎮たちが整列している。彼らの視線は、赤絨毯の中央を歩く俺に一斉に注がれていた。
「あれが、噂の水帝……ヘンリー・グレイか」
「なんという若さだ。あのような若造が、エンシェント・デトネーターを単独で討伐したというのか?」
「しかし、見てみろ。あの纏っている魔力の質を……呼吸をするだけで、空間の理が歪んでいるぞ。ただ者ではない」
嫉妬、驚愕、畏怖。様々な感情が入り混じる視線の海を抜け、俺は玉座の御前に進み出て、深く片膝をついた。
玉座に座るのは、このエリシオン王国を統べる偉大なる獅子王、アルドウス・フォン・エリシオン。アリスの父親であり、俺の義父にあたる人物だ。白髪の混じった金糸の髪と、鋭くも温かな眼差しを持つ名君である。
アルドウス王はゆっくりと立ち上がり、重厚な声で玉座の間に響き渡るように宣言した。
「面を上げよ、ヘンリー・グレイ=クロス騎士爵」
俺が顔を上げると、王は満足そうに頷き、言葉を紡いだ。
「貴殿のこれまでの功績は、我がエリシオン王国の歴史においても類を見ない大偉業である。神話の厄災たる魔物の群れを退け、我が愛娘アリスを命懸けで守り抜き、さらにはその身に宿る魔法の力は帝級、いや……今や土の理においては『聖級』の領域にまで手をかけていると聞く」
その言葉に、周囲の貴族たちから「聖級だと!?」「馬鹿な、神の領域ではないか!」というどよめきが起きた。王は手を挙げてそれを制する。
「貴殿のような傑物が我が国の民であり、王家の縁者となってくれたことは、女神の祝福に他ならない。ヘンリー・グレイ=クロス騎士爵殿。貴殿のその大いなる力と、愛する者を守り抜く高潔なる魂を讃え、ここに我が名のもとに命ずる!」
王が傍らの従者から、美しい装飾が施された黄金の宝剣を受け取り、俺の肩にそっと触れた。
「貴殿を本日この時より、我がエリシオン王国の『伯爵』位に叙する! 新たなる領地として、かつて封魔の森と呼ばれた大開拓地を与えよう。貴殿のその力で、あの地を王国一の豊穣の地へと変えてみせよ。立て、ヘンリー・グレイ伯爵!」
「……はっ! ありがたき幸せに存じます。この命に代えましても、陛下と王国、そして我が家族を守り抜くことを、ここに誓いましょう!」
俺が力強く立ち上がり、王に向かって一礼すると、玉座の間は割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。マリア、ニキシー、アリスの三人が、参列席の一番前で誇らしげに涙を浮かべて拍手をしてくれているのが見えた。
新たなる決意と、未来への軌跡
儀式の後、王城のバルコニーから、広大な王都ノルマの街並みを見下ろしていた。
夕日に照らされる美しい石造りの街。遠くに見える山々。
前世で孤独に死んでいった俺が、今や一国の伯爵となり、人々の称賛を浴びている。
「ヘンリー様」
背後から、アリス、マリア、ニキシーの三人が近づいてきた。
「お疲れ様。すごく立派だったわよ、伯爵様」マリアがウィンクをする。
「これからは領地の開拓もしなきゃいけないわね。土の聖級魔法使いの腕の見せ所じゃない?」ニキシーがからかうように笑う。
「お父様も、ヘンリー様の凛々しい姿にとても喜んでおられましたわ」アリスが俺の腕にそっと触れる。
「ああ。これからは領主としての責任も増えるな」
俺は三人の顔を順番に見つめ、その瞳に確かな決意を込めた。
「伯爵という地位も、領地も、もちろん大事だ。だが、俺の一番の役目は変わらない。レオン、ガレス、エラーラ……そして君たちを、何があっても守り抜くことだ。七大神だろうと、五大大神だろうと、俺の家族の幸せを脅かす奴は、俺が全て木っ端微塵にしてやる」
俺の言葉に、妻たちは嬉しそうに微笑み、静かに頷いた。
ヘンリー・グレイ。
異世界に転生した孤独な男は、今や帝級と聖級の狭間に立つ最強の魔法使いとなり、愛する家族と領地を抱える大貴族となった。
だが、世界の闇はまだ深く、遥か高みには神を名乗る理不尽な存在たちが蠢いている。俺の、俺たちの本当の戦いは、ここから始まるのだ。
空に瞬き始めた一番星を見上げながら、俺は自身の体内で激しく脈打つ「星脈の魔力」を静かに練り上げた。家族と共に歩む、輝かしくも過酷な未来へ向けて。




