19話
バンッ
大きな音を立てながら扉が内側から勢いよく開いた。階段を駆け下りてきたのだろう青年は、息を切らしながら開いた扉の前に立ち尽くす。整えられた髪も服装も乱れ、余裕の欠片もない。視線はただ一つ――狼へ。
「……ルゥ?」
震える声だった。白銀の狼の耳が跳ねる。次の瞬間、「ワフッ!」と短く鳴いて青年へと駆け出した。
オレは思わず尻尾をふくらませて横に飛ぶ。危ない。
ルゥと呼ばれた狼は青年の胸に飛び込み、勢いのまま抱き締められた。そして両前足を肩にかけ、青年の顔を舐める。ぶんぶんと尻尾が激しく揺れている。
「馬鹿……どこへ行ってたんだ……!」
青年の声が掠れる。狼は顔を舐め、喉を鳴らすように低く鳴いた。
周囲の従業員たちが一斉に安堵の息を吐く。
オレは少し離れた机の縁にひらりと飛び乗り、目を細めてその光景を見下ろした。
……よかったな。
青年はようやく顔を上げ、アレンへ向き直る。その瞳には今にもこぼれ落ちそうに涙が溜まっていた。
「あなたが……?」
アレンは淡々と頷いた。
「ああ、森で保護した。王都へ向かっていたところでな」
「森……やはり。無事でよかった……本当に、ありがとうございます」
深く頭が下がる。狼は青年の袖をくわえて甘えている。オレはひげを揺らしながら鼻を鳴らした。大袈裟だな。
「ぜひ、お礼をさせてください!」
「いや、いい。こいつのおかげで道中、退屈しなかった」
アレンが肩を竦めると、青年は目を潤ませたまま食い下がる
「では、せめて今晩の夕食と宿だけでも! それだけで構いません」
アレンは一瞬だけオレを見る。が、オレは毛繕いをしながら視線を逸らす。
オレに丸投げすんじゃねーよ。
「……なら、ありがたく」
青年の顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます。私はルーク・ハルヴァルトと申します。必ずご満足いただけるよう手配します」
その夜、案内されたのは王都中央区の高級料理店だった。
重厚な扉が開くと、香草と甘く苦いワインの香りが混ざり合って流れ出す。磨き上げられた床、壁には繊細な装飾、静かな弦楽器の生演奏。
床、滑りそうだな。走ったら怒られそうだ。
オレはアレンの足元を歩きながら、耳をそわそわと動かした。落ち着かない。だが匂いは悪くない。
席に着くと、さっそく透き通った琥珀色のスープが運ばれてくる。魚介の旨味が立ち上り、湯気がふわりと揺れる。
アレンがひと口含み、わずかに目を細めた。
「……いい味だ」
「お口に合いましたか?」
「ああ。うまいな」
「よかった!ここは私の家が贔屓にしている店なんです。ルゥも同伴できるので良く利用しているんですよ」
オレは椅子の脚に身体を擦りつけながら、漂ってくる匂いを堪能する。腹が鳴りそうだ。
前菜は燻製肉と瑞々しい野菜の盛り合わせ。果実酢の酸味が鼻をくすぐる。焼きたてのパンを裂けば、湯気とともに小麦の甘い香りが広がった。
オレは思わずアレンの足へ前足をかける。ちらりと見上げると、アレンは小さく笑って、パンの欠片をほんの少しだけ指先でちぎって皿の端に置いた。
「落ち着いて食べろよ」
「一応、メイン料理が運ばれてくる時に、ルゥ達用にも焼いた肉を持ってきてくれますよ」
ルークが笑う。
オレは素知らぬ顔でそれをくわえ、静かに味わった。外は香ばしく、中はふわり。
(うまっ!)
やがて運ばれてきた主菜に、周囲にいい匂いが満ちる。分厚く焼き上げられた肉。表面はこんがりと焼き目がつき、赤ワインの濃厚なソースが艶やかに光る。
オレとルゥの前にも、適度な大きさに切り分けられた肉が入った皿が置かれた。
「にゃぅ」
(ありがとな!めちゃくちゃうまそうだ!)
さっそく肉にかぶりつく。口の中にじゅわっと肉の旨みが広がって最高だ......思わずしっぽがゆらゆらと揺れる。
アレンがナイフを入れると、淡い桃色の断面から肉汁が滲んだ。
「……見事な火入れだな」
アレンが感心したように呟く。
「ですよね。この店は王都でも評判なんです。祝いの日には必ずここへ」
ルークは狼を撫でる。
「今日はルゥが戻ってきた祝いですから」
狼は誇らしげに胸を張る。
おい、お前の口元ベタベタだぞ。
オレはテーブルの下からその様子を見て、尻尾をゆらりと揺らした。
食後には果実のタルトと、甘さ控えめのクリーム。芳しい茶の香りが立ち上る。
「改めて、ありがとうございました」
ルークが深く頭を下げる。
「本当に助かりました。今夜は宿もご用意しています。どうかゆっくりお休みください」
「ああ、助かる」
オレは満足げに前足を揃え、くあっとひとつ大きな欠伸をした。
連れて来られた宿は、王都の大通りに面した壮麗な建物だった。白い石造りに金の装飾、魔導灯が柔らかく輝く。扉が開くと、香木の匂いがふわりと流れ出した。赤い絨毯の上を歩くたび、足音が吸い込まれていく。
オレは耳を立て、周囲の気配を探る。客のざわめき、従業員の静かな動き、磨かれた床に映る光。
なんかすっげーとこ来ちゃったな。
そのとき、横から陽気な、しかし落ち着いた声が響いた。
「……その姿、見間違えるはずがねーよな」
アレンの足が止まる。オレもぴたりと動きを止め、視線を声の主へ向けた。受付カウンターの奥、紅い髪を後ろで束ねた男が立っている。鋭い目だが、どこか懐かしさを帯びた光。
男はゆっくりとカウンターから出てきた。ゆらりと手を振りながらこちらに向かってくる。
「久しぶりー、アレン」
アレンは少し目を見開いて驚いているように見える。
オレの尻尾がゆらりと揺れた。
長い沈黙のあと、アレンの唇が動く。
「……ダリオ?」




