20話
「おぅ、ダリオさんだぞー。八十年ぶりくらいか?」
軽い調子で笑顔で片手を上げる男に、アレンはほんの一瞬だけ目を見開いた。ほんの一瞬。本当に一瞬だけだが、オレは見逃さなかった。あ、今、崩れた。
「六十年ほどだ。どうしてここにいる」
声はいつも通り低くて落ち着いている。だが、わずかに柔らかい。
「どうしてって、ここ俺ん宿。ルーク坊が予約取ったって言うから、顔でも見ようかと思ってさ。まさかアレンがいるとはなー」
「ちょっ、私に坊はもう勘弁してくださいよ」
ルークが困ったように言うと、ダリオはひらひらと手を振る。「はいはい」って顔だ。完全に無視だな。
……ちょっとかわいそう。
「ん?お前の宿屋はもっとこじんまりとしたところじゃなかったか」
アレンの問いに、ダリオは片眉を上げる。
「覚えてんじゃん」
「忘れる理由がない」
その返し、ほんの少し速かったぞ。
「まーな、色々あったわけよ。なぁ、こいつらの部屋どこ?俺が連れてくわ」
顔だけ動かして、受付の人に尋ねる。
「紅竜の間です、オーナー」
「ありがとー。んじゃ行くか」
オーナー。へえ。こいつが。オレはダリオを見上げる。軽い笑い方、気安い態度、だが立ち姿はぶれない。胸の辺りに一際濃い光。……アレンの友達ならダリオも竜人か?
ダリオに付いて廊下を歩く。深紅の絨毯が足音を吸い、壁の金細工が魔導灯に照らされて揺れる。豪華だが、品がある。落ち着かない。
歩くたびに肉球がふかっふかっ、と絨毯に沈む。
「この猫はどーしたんだ。可愛いじゃねーか」
ひょい、と抱き上げられた。おい、びっくりするだろ。だが次の瞬間、ダリオの指が顎の下を的確に撫でる。……くっ。分かってる撫で方だ。
「拾った」
「そっか。まあこんな可愛いのが落ちてたら拾うよなー」
耳の後ろを掻かれる。そこだ。そこ弱い。ごろごろと喉が鳴る。悔しいが止まらん。
「懐いてるな」
「俺、動物に好かれるタイプなんだよ」
「昔からな」
アレンの声に、ほんの少しだけ笑いが混じる。
オレは目を細める。……ああ、この感じ。懐かしい空気なんだな。六十年って言ってたか。六十年ぶりで、この距離感か。
「ここへは新しい遺跡を探索しに来たのか?」
「ああ」
「俺も付いてこっかなー、良い?」
ダリオはオレを撫で続けながら尋ねる。
お?ダリオも一緒に行くのか?楽しそうでいいな!
「別に良いが……お前、ギルド除名されてないのか」
「あぁ、それは大丈夫。除名されないように、最低限依頼はこなしてたから」
「えっ!ダリオさん、冒険者だったんですか!?」
ルークが目を見開いて驚いている。
てか、ダリオいい加減オレを降ろせよ。ペシペシッとダリオの腕を叩いてみるが、まったく力は緩まない。
「おぅ。アレンと、あと二人と百年くらい冒険者やってたからなー」
「へー、そうだったんですね」
話しているうちに、やがて大きな扉の前で止まる。
「部屋ここな。紅竜の間。うちで一番広いとこだな」
扉が開く。広い。天井が高い。天蓋付きのベッド。大きな窓から王都の夜景が見える。高いところ、いいな。あとで登ろう。
オレはやっとダリオの腕から降ろされた。
「私はもうお暇させてもらいますね。積もる話もあるでしょうし」
ルークが一歩下がる。
「ああ、世話になった」
「またなー、ルーク坊」
「だから、もう坊って歳じゃないですって!」
ぱたん、と扉が閉まる。
ダリオが鼻で笑う。
「二十六歳って坊でもいいよな」
「いいんじゃないか?」
「だよな」
軽い。扉が閉まった瞬間、空気が緩いものに変わったのがわかった。
オレはベッドに飛び乗り、丸くならずに伏せる。耳は二人に向けたまま。
「で?」
ダリオが壁にもたれる。
「六十年、何してた?」
「色々だ」
「雑だなー。相変わらず」
「お前こそ」
「俺?俺はなぁ……」
ダリオは部屋をぐるりと見回す。
「最初はあの小さい宿のままだったよ。王都の外れ。屋根傾いてて、風強い日は看板飛びそうになるとこな」
「ああ。雨漏りしていたな」
「そう。アレンが魔法で塞ごうとしたら別のとこから漏れたんだよな」
「……不可抗力だ」
「はは。懐かし」
笑いながらも、どこか遠くを見る目だ。
「そこでさー、あいつと二人三脚でやってたわけよ。客は少なかったけどな。料理がうまくてさ、あいつ」
「あいつ?」
「嫁さん。人間の」
「ああ、覚えている。俺たちが解散したきっかけが『あの人と宿屋やるからここに残るわ』ってダリオの言葉だったからな」
オレは片目を開ける。人間。
「だけど、四十年くらい前に死んだ。寿命だな。分かってた。最初から分かってたけどな」
声は軽い。だが、軽くしないと崩れそうな軽さだ。
アレンは何も言わない。ただ、視線を外さない。
「そっからは仕事ばっか。考えると止まりそうだったからな。増築して、改装して、気付いたらこーんなでかくなってた。笑えるだろ?」
「……笑えん」
短い。だが、その一言がやけに重い。
ダリオが少しだけ目を細める。
「元の宿は残してんだ。修理しながらな。今は俺の家。あいつの部屋もそのまま。谷に帰ろうかとも思ったけど、どうにも離れ難くてなー」
沈黙。
オレは尻尾を一度だけ床に打ち付ける。見送る側、か。長生きの種はそうなるのか。猫の寿命ってどれくらいだっけ?
「長生き種の宿命だよなー、いつも置いていかれる」
ダリオが肩を竦める。
「……ああ」
アレンの声は低い。静かだ。だが、ほんの少しだけ、痛みが混じっている。
「で?お前は相変わらず一人か?」
ダリオがにやりとする。
アレンはわずかにこちらを見る。ほんの一瞬だが、確かに見る。
「今は違うんじゃないか」
……は?
オレは顔を上げる。違うってなんだ。誰だ。
ダリオの笑みが深くなる。
「ほー?やっとか?」
「違う、そういう意味じゃない」
「照れるなって」
「照れていない」
語気が少し強くなる。ほんの少しだが、確実に。
ダリオが声を上げて笑う。
「安心した。誰かいるならよかったよ」
その言葉に、アレンは一瞬だけ目を伏せる。
「……お前は」
その返しは、少し遅れた。
ダリオは扉へ向かう。
「今日は休め。アレンの旅の話も聞きたいけど、夜じゃ足りん」
「ああ」
「また明日、ゆっくり話そうなー。昔みたいに」
昔みたいに。
その言葉に、アレンの口元がほんのわずかに緩む。
「ああ」
ダリオは扉の前で止まり、振り返る。
「おかえり、アレン」
空気が止まる。
アレンはほんの少しだけ息を吸って――「……ただいま」
小さい。だが、確かな声だった。
扉が閉まる。
静寂。
オレはベッドの上で体を丸める。さっきの「今は違う」が頭に残る。違うってなんだ。オレか? オレのことか?
……別に、勘違いしてるわけじゃない。だが、悪くない気分だ。
窓の外、王都の灯りが揺れている。六十年。長い時間だ。けど、再会ってのは案外あっさりしてるもんだな。
アレンは窓辺に立ち、夜景を見ている。その眼差しはいつもより少しだけ柔らかいように見える。
オレは目を閉じる。
――そういえば、アレンもダリオも竜人なのに、見た目人間と変わんないの何でなんだろうな。
ふと、そんな疑問が頭に浮かんだ。




