18話
ヴァレンシア王国の王都の正門前は、まるで祭りのような騒がしさだった。荷馬車が列をなし、商人たちが声を張り上げ、旅人が順番を待ちながら身分証を取り出している。門をくぐるだけで一苦労だと一目で分かる光景だった。
だが、それ以上に目を引いたものがあった。
王都全体を覆う、半球状の淡い光。
オレの視界にははっきり映っていた。無数の魔術式が空中に幾何学模様を描き、淡いマナの粒子がきらきらと流れている。それらが幾重にも重なり、王都を包み込む巨大なドームを形成していた。
なんだこれ、すげー。
魔術式の層が何重にも編み込まれ、外側で流動しながら内側へと循環している。途切れがない。継ぎ目がない。精緻で、巨大だ。
狼はただ城壁を見上げているが、オレの目は空に釘付けだった。
「どうした」
隣から低い声が落ちる。
オレは答えず、ただ空を見続ける。
アレンはわずかに目を細めた。
「……結界か」
オレの耳がぴくりと動く。
「見えているんだよな」
にゃ。と一声鳴いて、続きを促す。
アレンは城壁の上空を見上げる。
「見えているのは王都防衛結界だろう。古代式を基盤に、現代魔術で何重にも補強してある。対魔物、対呪詛、対大規模侵攻用。王都を丸ごと覆っている」
丸ごと。さらりと言うが、とんでもない規模だ。
クロはじっと観察する。確かに、表層は静かだ。だが内部では膨大なマナが循環している。中心核は……王城か。
「核は王城で厳重に守られていて、暴走しないよう、複数の制御術式で分散管理している」
オレは一瞬アレンを見る。
なんでそんなに詳しいんだ?
アレンはオレの視線を受けて小さく肩をすくめた。
「昔、少しだけ関わったことがある」
……さらっと言うな。
狼が「くーん」と鳴き、先に進みたそうに足踏みをする。
アレンは視線を門へと戻した。
オレも長蛇の列を見上げ、耳を少し伏せ、次にアレンを見た。
(……門通るの、けっこー時間かかりそうだな)
しかしアレンは一瞬視線を流しただけで、迷いなく列を外れ、正門脇の小さな通用口へと歩き出す。
オレは思わず首を傾げた。狼も同じように鼻を鳴らし、不思議そうにアレンの背を追う。
「気になるか。Sランク冒険者になると国家間の移動が完全に自由になる。代わりに戦争への加担はできなくなるが」
へー、まあこの行列に並ばなくていいのはラクだな。
通用口の前には槍を持った門番が二人立っていた。一人が鋭い目でアレンを見据える。
「待て。ここは関係者および許可持ちの方専用の門だ。一般の入門は正門へ回れ」
声音は硬い。
アレンは足を止め、特に気負う様子もなく懐に手を入れた。
「通行許可ならある」
そう言って取り出したのは、小さな金属のタグ。深い光沢を帯びたそれには、冒険者ギルドの紋章と“S”の刻印が刻まれている。
門番の目が一瞬で見開かれた。
「……Sランク?」
隣の門番も思わず身を乗り出す。
「まさか、あの……アレン様?」
アレンはわずかに眉を動かしただけで肯定も否定もしない。その沈黙が答えだった。
「し、失礼いたしました!」
二人は同時に背筋を伸ばし、槍を直立させて敬礼する。
「Sランク冒険者のアレン様ですね!どうぞお通りください!」
周囲のざわめきが一瞬だけ強まった。クロはアレンを見上げる。
ギルドタグが通行許可証になるんだ。
アレンは騒ぎを広げる気はないのか、淡々とタグを仕舞いながら言った。
「そう騒ぐな。通るだけだ。それと、ひとつ聞きたい」
門番は緊張した面持ちで答える。
「は、はい!」
アレンは狼の首輪を軽く指で示した。
「ルーク・ハルヴァルトという名に心当たりはあるか。この迷子狼の飼い主だと思うんだが」
狼が「くーん」と小さく鳴く。
門番はきょとんとした顔をしてから一瞬考え、すぐに「ああ」と声を上げた。
「ルーク・ハルヴァルト様でしたら、ハルヴァルト商会の若旦那かと存じます。王都中央区に本店がございます。王都で有数の大商会です」
狼の尻尾がぶんぶん、と大きく振られた。分かるのか。
アレンは短く頷く。
「助かった」
「い、いえ!王都で何かあれば我々にお申し付けください!」
アレンは軽く手を上げるだけで通用口をくぐった。
王都の内側へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。石畳が陽光を照り返し、露店からは香辛料と焼き菓子の匂いが漂う。遠くで鐘が鳴り、馬の蹄の音が響き、人々の話し声が幾重にも重なっていた。高い建物が並び、看板が風に揺れる。
オレは思わず目を見開く。
(……でか。人も多いな)
狼は一瞬きょろきょろと周囲を見回したが、すぐに鼻を上げ、迷いなく歩き出した。
「もう帰り道は分かっているのか」
アレンが低く呟く。狼は振り返らない。ただ足取りが少しだけ速くなる。
中央区に入ると、建物はさらに豪奢になった。白い石壁、磨き抜かれた窓、重厚な鉄の門扉。その一角に、ひときわ大きな建物がある。正面に掲げられた金の看板――ハルヴァルト商会。
狼の尻尾が狂ったようにぶんぶん、ぶんぶん、と振れ始めた。
「……ここで間違いなさそうだな」
アレンが狼を見ながら言うと同時に、狼は入口まで駆けていく。扉を開けた従業員らしき青年が、狼を見た瞬間に目を丸くした。
「え……まさか」
アレンが簡潔に告げる。
「森で保護した。迷子だったのだろう。こいつのタグに名前が入っていたから来たんだが」
「も、もしかして若旦那の……!? 少々お待ちください!」
青年は慌てて奥へと駆けていく。
受付奥の連絡用魔道具が淡く光り、低い音を立てた。
「若旦那に繋ぎます!」
室内に緊張が満ちる。
狼はその場で足踏みをし、落ち着きなく尾を揺らす。オレは横目でそれを見た。
(さっきまで迷子常習犯だったくせに)
アレンは腕を組み、静かに待つ。
次の瞬間、上階の方から激しい足音が響いた。ドタドタドタドタッ、と階段を駆け下りる音。誰かが全力で走ってくる。狼の耳がぴんと立ち、尻尾が止まる。扉が勢いよく開いた。
「――っ!!」
その声にならない息遣いとともに、再会の瞬間が迫っていた。




