17話
翌朝、村を発つ頃には、空気はすっかり穏やかだった。ミレアは名残惜しそうに狼の頭を撫で、「またね」と笑う。
狼は「くーん」と小さく鳴き、だが迷わずアレンの隣に並んだ。
「本当に連れていってくださるんですか?」
村人が不安げに問う。
「王都の人間の飼い狼だ。ここに置いておくわけにもいかないだろう」
アレンは淡々と答える。
「必ず飼い主に返す」
その言葉に、村人たちは頷いた。
村を出てしばらく、中央平原の風が草を揺らす。狼は少し前を歩き、時折振り返ってオレを見る。なんだその確認。
オレは気まぐれに横をすり抜ける。すると、狼は歩調を合わせてくる。
……やめろ、合わせるな。
アレンが横目で見る。
「仲がいいな」
(別に良くない)
心の中で即答する。だが狼は嬉しそうだ。
「お前、名はあるのか」
アレンが問いかける。狼は首を傾げるだけだ。
「タグの名は飼い主だろうな」
金属板を軽く叩く。
「ルーク・ハルヴァルト……聞いたことはないな」
...いやアレン、最後に王都行ったの60年も前なんだろ?知らなくて当たり前じゃね?
昼下がり、平原を抜けて緩やかな丘陵地帯に入った頃だった。狼がふいに立ち止まり、こちらを振り返る。金色の瞳がきらりと光る。
……なんだその顔。
次の瞬間、ぐい、と頭を差し出してきた。オレの腹の下に潜り込む勢い。
おい、ちょっと待て。バランス崩す――と思ったら、そのまま持ち上げられた。視界が高くなる。え、乗せた? 乗せたな今。
「……何をしている」
アレンが呆れた声を出す。
狼は得意げに胸を張り、オレを背中に乗せたまま数歩進む。
いや、待て待て待て。降ろせ。
だが意外と安定している。背中は広く、毛はふかふか。……ちょっとだけ、悪くない。
狼はそのまま駆け出した。速い。風が顔に当たる。小さな丘を登り、また下り、小さな林の縁まで行って、くるりと反転。アレンのもとへ戻る。尻尾ぶんぶん。完全に見せびらかしている。
「……楽しそうだな」
アレンが低く言う。
オレは前足で狼の首元を軽く叩く。お前、オレを落とすなよ。
だが狼は止まらない。今度は右へ。草の茂みをくぐり、岩場をひょいと飛び越える。
おい、揺れる揺れる。オレは爪を立てないように必死にバランスを取る。完全猫的身体能力、ここで発揮。背の上で体勢を低くし、尻尾で重心を取る。……よし、いける。
しばらくして戻ってくると、アレンが腕を組んで呆れたような顔をして立っていた。
「そんな風にウロチョロするから迷子になったんじゃないのか」
ぴたり、と狼の動きが止まる。
図星か?
狼は耳を伏せ、「くーん」と小さく鳴いた。尻尾が弱く揺れる。分かりやすすぎるだろ。
オレは狼の頭を軽く前足で叩く。
そうだそうだ、反省しろ。
だが狼は懲りない。次の瞬間、また駆け出す。おい。アレンがため息をつく。
「……元気なのはいいが、あまり距離を取るな。離れすぎると置いていくぞ」
その言葉に、狼は急停止。くるりと向きを変え、ぴたりとアレンの横についた。賢いのか単純なのか分からん。
「お前はどうなんだ」
アレンがオレを見る。
「楽しいか」
まあ少しだけ。ほんの少しだけ、楽しい。オレは目を細める。狼はそれを肯定と受け取ったらしい。尻尾がまた激しく揺れる。
午後、また狼は走り出す。今度は小川を見つけたらしく、水しぶきを上げて跳ねる。冷たい水が飛んでくる。
やめろ。オレは水あんまり好きじゃないんだよ。
オレは背中から跳び降り、岩の上へ着地。狼は水の中でこちらを見ている。誘ってる。行くか、行かないか。
……行かない。
オレは顔をくしくしと洗ってみせた。
狼はしょんぼりとしっぽを垂れさせてから、またすぐに水を跳ねさせて遊び始めた。単純。
夕方、アレンがぽつりと言う。
「王都に着いたら、しばらくは大人しくしとけよ」
狼の耳がぴくりと動く。
「飼い主のもとへ戻るんだからな。また迷子になったらダメだろう」
その言葉に、狼は一瞬だけ静かになる。
オレはその横顔を見る。分かっているのか、いないのか。
だが次の瞬間、狼はまたオレの前にしゃがみ込む。背中を低くして、どうぞと言わんばかり。
……懲りないな。オレは軽く跳び乗る。狼は嬉しそうに走り出した。
風が抜ける。草が揺れる。遠くに王都へ続く道が見える。アレンの声が背後から届く。
「迷子になるなよ」
狼は「くーん」と鳴いた。
こんな調子で、狼は走り、叱られ、また走る。
その繰り返しの中で、道は少しずつ王都へと近づいていった。
移動すること数日。
穏やかな丘を越えた瞬間、狼が足を止めた。
オレはその背からひらりと飛び降りる。アレンも視線を上げる。
その視線の先には――白い城壁が、夕陽を受けて黄金色に染まっていた。
それはまるで巨大な要塞のように平原を断ち切り、王国の威光を誇示するかのようにそびえ立っている。
いくつもの塔が空を突き、旗が風にたなびいている。
ヴァレンシア王国。
アレンが小さく息を吐いた。
「……見えたな」
狼は尻尾を振り、誇らしげに胸を張る。オレは目を細めた。
(ここがお前の帰る場所か)
沈みかけた太陽が、三つの影を長く伸ばす。
王都は、すぐそこだった。




