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19/30

17話


 翌朝、村を発つ頃には、空気はすっかり穏やかだった。ミレアは名残惜しそうに狼の頭を撫で、「またね」と笑う。


 狼は「くーん」と小さく鳴き、だが迷わずアレンの隣に並んだ。


「本当に連れていってくださるんですか?」


 村人が不安げに問う。


「王都の人間の飼い狼だ。ここに置いておくわけにもいかないだろう」


 アレンは淡々と答える。


「必ず飼い主に返す」


 その言葉に、村人たちは頷いた。



 村を出てしばらく、中央平原の風が草を揺らす。狼は少し前を歩き、時折振り返ってオレを見る。なんだその確認。


 オレは気まぐれに横をすり抜ける。すると、狼は歩調を合わせてくる。


 ……やめろ、合わせるな。


 アレンが横目で見る。


「仲がいいな」

(別に良くない)


 心の中で即答する。だが狼は嬉しそうだ。


「お前、名はあるのか」


 アレンが問いかける。狼は首を傾げるだけだ。


「タグの名は飼い主だろうな」


 金属板を軽く叩く。


「ルーク・ハルヴァルト……聞いたことはないな」


 ...いやアレン、最後に王都行ったの60年も前なんだろ?知らなくて当たり前じゃね?


 昼下がり、平原を抜けて緩やかな丘陵地帯に入った頃だった。狼がふいに立ち止まり、こちらを振り返る。金色の瞳がきらりと光る。


 ……なんだその顔。


 次の瞬間、ぐい、と頭を差し出してきた。オレの腹の下に潜り込む勢い。


 おい、ちょっと待て。バランス崩す――と思ったら、そのまま持ち上げられた。視界が高くなる。え、乗せた? 乗せたな今。

 

「……何をしている」


 アレンが呆れた声を出す。


 狼は得意げに胸を張り、オレを背中に乗せたまま数歩進む。


 いや、待て待て待て。降ろせ。


 だが意外と安定している。背中は広く、毛はふかふか。……ちょっとだけ、悪くない。


 狼はそのまま駆け出した。速い。風が顔に当たる。小さな丘を登り、また下り、小さな林の縁まで行って、くるりと反転。アレンのもとへ戻る。尻尾ぶんぶん。完全に見せびらかしている。


「……楽しそうだな」


 アレンが低く言う。


 オレは前足で狼の首元を軽く叩く。お前、オレを落とすなよ。


 だが狼は止まらない。今度は右へ。草の茂みをくぐり、岩場をひょいと飛び越える。


 おい、揺れる揺れる。オレは爪を立てないように必死にバランスを取る。完全猫的身体能力、ここで発揮。背の上で体勢を低くし、尻尾で重心を取る。……よし、いける。


 しばらくして戻ってくると、アレンが腕を組んで呆れたような顔をして立っていた。


「そんな風にウロチョロするから迷子になったんじゃないのか」


 ぴたり、と狼の動きが止まる。


 図星か?


 狼は耳を伏せ、「くーん」と小さく鳴いた。尻尾が弱く揺れる。分かりやすすぎるだろ。


 オレは狼の頭を軽く前足で叩く。


 そうだそうだ、反省しろ。


 だが狼は懲りない。次の瞬間、また駆け出す。おい。アレンがため息をつく。


「……元気なのはいいが、あまり距離を取るな。離れすぎると置いていくぞ」


 その言葉に、狼は急停止。くるりと向きを変え、ぴたりとアレンの横についた。賢いのか単純なのか分からん。


「お前はどうなんだ」


 アレンがオレを見る。


「楽しいか」


 まあ少しだけ。ほんの少しだけ、楽しい。オレは目を細める。狼はそれを肯定と受け取ったらしい。尻尾がまた激しく揺れる。


 午後、また狼は走り出す。今度は小川を見つけたらしく、水しぶきを上げて跳ねる。冷たい水が飛んでくる。


 やめろ。オレは水あんまり好きじゃないんだよ。


 オレは背中から跳び降り、岩の上へ着地。狼は水の中でこちらを見ている。誘ってる。行くか、行かないか。


 ……行かない。


 オレは顔をくしくしと洗ってみせた。


 狼はしょんぼりとしっぽを垂れさせてから、またすぐに水を跳ねさせて遊び始めた。単純。


 夕方、アレンがぽつりと言う。


「王都に着いたら、しばらくは大人しくしとけよ」


 狼の耳がぴくりと動く。


「飼い主のもとへ戻るんだからな。また迷子になったらダメだろう」


 その言葉に、狼は一瞬だけ静かになる。


 オレはその横顔を見る。分かっているのか、いないのか。


 だが次の瞬間、狼はまたオレの前にしゃがみ込む。背中を低くして、どうぞと言わんばかり。


 ……懲りないな。オレは軽く跳び乗る。狼は嬉しそうに走り出した。


 風が抜ける。草が揺れる。遠くに王都へ続く道が見える。アレンの声が背後から届く。


「迷子になるなよ」


 狼は「くーん」と鳴いた。


 

 こんな調子で、狼は走り、叱られ、また走る。

 その繰り返しの中で、道は少しずつ王都へと近づいていった。


 移動すること数日。


 穏やかな丘を越えた瞬間、狼が足を止めた。


 オレはその背からひらりと飛び降りる。アレンも視線を上げる。


 その視線の先には――白い城壁が、夕陽を受けて黄金色に染まっていた。


 それはまるで巨大な要塞のように平原を断ち切り、王国の威光を誇示するかのようにそびえ立っている。


 いくつもの塔が空を突き、旗が風にたなびいている。


 ヴァレンシア王国。


 アレンが小さく息を吐いた。


「……見えたな」


 狼は尻尾を振り、誇らしげに胸を張る。オレは目を細めた。


(ここがお前の帰る場所か)


 沈みかけた太陽が、三つの影を長く伸ばす。


 王都は、すぐそこだった。


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