15話
森へ足を踏み入れた瞬間、村の喧騒が背後に溶けた。湿った土の匂い、踏みしめる落ち葉の柔らかな音。
案内の男は何度も周囲を見回しながら言う。
「このあたりで、よくかくれんぼをしてるんです。あまり奥へ行くなとは言ってあるんですが……」
声の端に焦りが滲む。
アレンは足を止め、しゃがみ込んだ。
「少し待て」
地面に触れ、草の向きを確かめる。
「この辺りの草、踏み入られた形跡があるな」
「ほ、本当ですか?」
男が身を乗り出す。
「ああ。葉が折れている。土も浅く削れている。……小さい足だ。子供だろう」
男は胸を押さえるように息をついた。
「ミレア……」
「慌ててはいない。走った形跡もない。普通に歩いているようだ」
アレンの声は低く、静かだが、確信がある。
オレは鼻を地面に近づける。土、苔、朝露、村人の匂い。……あった。たぶんミレアの匂い、甘い花みたいなやつ。
よし、追える。オレは少し前に出て振り返る。
「にゃ」
(匂い追えそうだぞ)
「……先に行くか」
アレンが小さく頷く。男は戸惑いながらも後を追った。
「その、黒猫も……探してくれてるんですか」
「ああ。頼りになる」
短い。
けど、ちょっとだけ誇らしい。聞いたか?オレ、頼りになるらしいぞ。
そのとき、森の奥から、低く長い遠吠えが響いた。
「アオーン……」
男がびくりと肩を震わせる。
「や、やっぱり狼が……!」
「落ち着け」
アレンは耳を澄ませ、視線を奥へ向ける。
「近くはない。こちらを狙ってもいない。群れでもないな」
「で、でも……最近、森で見たって話が……」
「もし遭遇しても問題ない」
淡々とした言葉が、森の不安を少しだけ薄める。男は唾を飲み込み、「……お願いします」と小さく言った。
ふと、視界の端に淡い揺らぎが走る。マナだ。細い糸みたいに、木々の間を縫っている。オレは足を止め、じっと見つめる。
枝の上、丸い影がぴょんと跳ねた。
……え、スクルミアだ。
ふさふさの尾を揺らし、こっちを見る。ぴょん、と少し進み、また振り返り、止まる。
(なんだ?ついてこいってか?)
オレが一歩踏み出すと、スクルミアは小さく空間を歪ませ、木の実を取り出して地面に置いた。ぽとり。それからまた跳ねる。振り返る。完全に「ついてこい」だ。
アレンがオレの動きを見る。
「……どうした」
「にゃ」
短く鳴いてスクルミアを見る。
アレンは視線を追い、目を細める。
「スクルミアか」
「魔獣、ですよね?」
「ああ。だが敵意はない。……何かを知らせているようだ」
男は不安と期待が入り混じった顔をする。
「案内、してくれるんですか」
「そう見える」
アレンも少し眉根が寄って、困惑しているように見える。
スクルミアを追って少し進むと、マナの揺れが強くなった。上だ。
オレは木を見上げる。
高い枝葉の影、その奥に淡い光の塊。人の形。
オレは幹を蹴った。爪を立て、するすると駆け上がる。
葉の隙間から覗き込むと、枝の上で丸くなっている少女がいた。金色の髪が陽に透け、頬に木漏れ日が落ちている。すう、すう、と寝息。
……いや、寝るなよ。
オレはそっと近づき、「にゃ」と鳴く。少女がゆっくり目を開けた。
「……あ、ねこさん」
ぼんやりと笑う。危機感ゼロ。
下から声が飛ぶ。「ミレア!」男の声が震える。
少女は身を起こし、下を覗き込む。
「おじさん?」
体がぐらりと揺れる。危ない。オレは素早く服の端を爪で引っかける。
(っぶねーな。落ちるなって)
「...かくれんぼは?」
(終わりだよっ!!)
アレンの声が届く。
「ミレア、ゆっくりだ。枝を伝って降りろ。俺が下で受ける」
「うん……」
眠たげに頷くの不安になるからやめろ。
少女は慎重に枝を移る。足を滑らせかけた瞬間、アレンが一歩踏み出し、腕を伸ばす。
「ここだ」
最後はどさっと音がして抱き上げるように受け止めた。男が駆け寄る。
「ミレア!」
「ごめんなさい。木の上で、寝ちゃってて……」
少女は小さく笑う。男は涙ぐみながら頭を撫でた。
「無事でよかった……本当に……」
安堵が広がりかけた、そのとき。アレンの目がわずかに細くなる。
「……近づいてきているな」
空気が変わる。手が腰の剣に触れ、カチャと音がかすかに鳴った。
オレも耳を伏せ、森の奥を睨む。
がさっ、と草むらが揺れた。低い影。鋭い耳。黒色の瞳が、こちらを見ている。狼だ。
男が息を呑む。「ひっ……」ミレアを抱きしめる腕に力が入る。
アレンは一歩前へ出る。
「下がっていろ」
短い声。
影が、もう一度草をかき分けた。緊張が張り詰める。オレは尾を低く構え、視線を逸らさない。
……さあ、どう出る。




