表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
13/30

間話(アレン視点)


 俺の朝は早い。


 夜明け前に目が覚めるのは癖だ。長く生きていれば自然とそうなる。光が差す前のわずかな静寂は、戦場でも町中でも、いつも変わらぬ落ち着きをもっている。


 隣から、すう、すうと規則正しい寝息が聞こえる。


 クロは丸くなって眠っていた。


 首元の銀の輪が、薄闇の中でかすかに光を拾っている。


 起こさないように静かに起き上がり、窓辺へ歩く。外はまだ薄青い。街は眠っている。


 静かだ。——本当に、静かだ。


 あの黒い霧の騒ぎから数日。町は落ち着きを取り戻した。だが、あの異形は偶然ではない。直感が告げている。


 原因は分からない。だが、あれは自然発生ではなかった。


 そして。


 あの場で最初に“異変”を察したのは、俺ではない。


 クロだった。



 最初に違和感を覚えたのは、あの霞のときだ。


 広場に立ち込めた黒い瘴気。人々は恐怖し、混乱していた。俺も異様な気配は感じていたが、核の位置は掴めなかった。


 だがクロは。


 迷わず、視線を一点に固定した。


 あそこだ、と言わんばかりに。


 あれが偶然であるはずがない。


 ——見えている。

 

 次はマジックバックのときだ。


 パンを入れたとき、あいつは身を乗り出して覗き込んだ。ただの好奇心かと思った。だが違う。


 術式の展開に合わせて、視線が動いていた。

 風の流れを追うように。


 普通の動物が、あの反応をするはずがない。

 

 そして決定的だったのは、水の生成魔法だ。


 あれは簡素な魔法だ。だが、流れはある。整流し、変換し、定着させる。


 クロは水そのものではなく、その“流れ”を見ていた。


 目が動く。

 俺が操るマナの流れに合わせて、わずかに焦点が変わる。


 偶然ではない。観察している。


 昨夜、それを確かめた。



 水を生成したとき、あいつは無意識に目で追った。

 隠そうともしなかった。


 そして俺が問うと、逃げなかった。


 頷いた。あれで十分だ。


 マナが見える。そう考えるのが自然だろう。



 だがそれ以上のことは考えない。


 こいつは何かの変異か?

 それとも別の存在か?


 そこまで踏み込む必要はない。


 クロは、可愛いやつだ。


 元気で、よく食い、よく寝て、好奇心も旺盛な猫だ。


 それでいい。


 俺は窓を少し開け、朝の空気を吸い込む。

 冷たい。だが澄んでいる。



 マナが見える者がいるのは、悪いことではないだろう。


 俺は強い。少なくともそう言われる位置にいる。

 だが万能ではない。


 出来ないことは、確かにある。


 見えないからこそ、失ったこともある。


 ほんの一瞬、古い記憶がよぎる。


 霧の中。血の匂い。届かなかった声。

 俺が気づけなかった“何か”。


 ……いや。

 今は考える必要はない。


 

 隣で丸くなって眠っているクロのことを思う。

 

 小さな黒猫――あの目に映るらしいマナの流れ。


 魔法を使う魔獣は数えきれないほど見てきた。

 だが、マナそのものを視る存在は――250年以上生きてきて初めてだ。


 それを抜きにしても、クロは、言葉を持たずとも理解し合える相手のような気がする。無邪気で、でも確かにこちらを気遣う目をしている。


「……クロ、面白いな」


 静かに、呟く。声は低く、窓に反射して宙に溶けていった。


 クロのことを考えるたび、俺の心はふと柔らかくなる。


 あの日、路地裏であの暴走に巻き込まれ、弱っていたクロを見つけたときのこと。あの小さな体に抱えきれないほどの混乱と恐怖があっただろう——でも、同時に、わずかな光を放っているようにも感じた。


 魔術暴走のあの瞬間、クロの中に何かが生まれたのだろうか。魔力を視認する力、そしてそれに順応する知性、か?それとも、この子が生来持つ性質なのか。


 俺は、少し微笑む。


「……それにしても、よく生き延びたものだ」


 クロの強運が功を奏したのだろうか。普通の猫ならあの暴走で命を落としていたかもしれない。


 風が冷たく肌を撫でると、思い起こされる。


 竜人として生まれ、数百年を生きてきた時間。


 友人と谷を飛び出した若い頃、外の世界に憧れを抱き、自由を求め、旅を続けてきた日々。


 あの時の自分と同じように、クロもまた新しい世界に足を踏み入れたばかりだ。


 竜の谷の仲間たちの顔が浮かぶ。

 穏やかな谷。永ながい寿命。争いの少ない世界。

 だが——俺は、そこに留まれなかった。


「……やっぱり、旅はやめられないな。こんな出会いがあるのだから」


 俺は、椅子に深く腰掛けたまま、空の彼方を見上げる。静かだ。


 ふとクロが身じろぎをする。何か夢でも見ているのだろうか、うにゃ。と小さな鳴き声がした。

 

「……ふっ」


 思わず息が漏れる。


 机の上の地図に目を落とす。明日からの移動ルート、立ち寄る村や街。危険箇所も、道中の水場も、すべて頭に入っている。必要な情報は集まっている。


「……準備は万端だ」


 クロもきっと楽しんでくれるだろう。いや、むしろクロがいなければ、ここまで明日からの旅の楽しみは広がらなかったかもしれない。


 金色の瞳が、ゆっくりと開く。


 まだ眠たげだ。


 俺を見る。


 しばらく、視線が交わる。


 こいつは言葉を持たない。


 だが、分かる。


「出発するぞ、クロ」


 短く告げると、耳がぴんと立つ。しっぽが一度、揺れる。


 ああ。やはり、解ってりかいしている。



 宿を出るとき、女将は笑っていた。


 ラドは大声で見送った。


 町は穏やかだ。

 だが街道に出れば、何があるか分からない。

 森も、山も、川も、魔獣も。


 そして——あのような異形が再び現れない保証もない。


 肩の上で、クロが静かに周囲を見ている。


 ただの猫ではない。だが、それでいい。


 こいつがこいつならそれでいい。


 その眼を利用するつもりはない。

 監視するつもりもない。


 ただ、隣にいるなら——


「それだけでいい」 


 小さく呟く。


 クロは耳を動かしただけだった。

 


 石畳が途切れる。土の道へと変わる。 

 街の匂いが薄れ、草と土の匂いが濃くなる。


 世界が、広がる。 


 俺は歩く。肩には黒猫。


 視線の先には、これから進む道。


 確信がある。

 この旅は、いやこれからの旅路は、良いものになるだろう。

 ひとりで旅していた時間よりも、ずっと。

 


 隣に、クロがいる限り。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ