12話
目が覚めた。
まだ日は出ていない。日の出前のわずかに冷たく、静かな空気が町には満ちている。マナも、穏やかに流れている。
オレは窓辺に行って丸くなり、外を見つめた。
風が旗を揺らす。鳥が枝をつつき、朝市の準備の音が微かに聞こえてくる。静かな、でも確実に新しい一日が始まっている匂い。
「クロ、準備はいいか?」
アレンの声が背後から届く。
低く、でも確かな柔らかさを持った声。
オレは立ち上がり、前足を伸ばして伸びをすると、耳をぴんと立てて答えるようにしっぽを揺らした。
宿屋の階段を降りると、オレたちと同じように旅支度をした冒険者が二人、三人といる。
「あら、今日出発かい?」
オレの耳に、女将の声が柔らかく届く。ふと振り返ると、腰にエプロンをつけた女将が、布巾を軽くたたみながら立っていた。
「ああ、世話になった」
「気をつけるんだよ」
女将はオレを見て、優しい微笑みを浮かべつつ続ける。
「もしクロちゃんがこの町に残るんなら、うちの看板猫でもどうかと思ってたんだけどねえ」
アレンはちらりとオレに視線を送る。
オレはアレンの頬に頭を擦り付けてみせた。ついでにしっぽも首に巻きつけておく。
アレンは緩く口角を上げて言う。
「俺と行くみたいだな」
あははっと女将の笑い声が早朝の宿屋に響く。
「じゃあクロちゃんも、気をつけて行くんだよ」
「にゃぁう」
(心配いらねーよ。オレは路地裏育ちだぞ)
オレはゆるくしっぽをふって答えた。
宿の外に出ると、町はすでに目覚めていた。
屋台の人々が品を並べ始めている。旅立つ者、見送る者、それぞれの気配が混じり合って、朝の空気を軽やかにする。
アレンは淡々と荷物を肩にかけ、ポーチを確認する。中には干し肉、パン、薬草。時間が緩められているので傷むことはない。
オレはアレンの肩の上で毛づくろいをしながら、静かに観察する。光の流れがうっすら揺れて見える。
アレンはオレを見て言う。
「準備万端だな」
そうだろう?今日の毛並みも上々だ。
小さく頷くアレンに、オレは前足でそっとその肩を叩く。
「アレンさーん!!」
後ろから、声が聞こえた。振り向くと、ラドが大きく手を振りながら駆けてくるのが見えた。
(今日も元気だなあ、あいつ)
「ラドか」
肩に小さな鞄をかけ、額に汗を浮かべながら、にこやかに走ってくる。
オレは舌で肩の毛を整えつつ、目を細めて見つめる。
ラドは息を整えると、アレンの前に立った。
「今日、出発するんすよね。見送りにきたんす」
アレンは少しだけ口元を緩め、頷く。
「…ああ」
オレもラドをちらりと見る。冒険者仲間の、顔馴染みの人間だ。
ラドはにっこりと笑い、クロの首元の銀の輪に気づく。
「お、クロも装備整えたんすか。似合ってるっすよ」
(だよな!なかなか気に入ってんだ、これ!)
オレはみみをぴんと立てて、軽くうなずくようにしっぽを揺らす。ラドの目尻が下がる。
「じゃあ、気をつけてくださいね。まあ、アレンさんを前にしたら、危険の方がしっぽ巻いてどっか行っちゃいそうっすけど」
ラドが苦い笑いを浮かべながら言う。
アレンは肩の上のオレを見て、静かに答える。
「分かってる」
「じゃあ、またっす!」
ラドは手を上げ、最後にもう一度笑うと、町の人混みに紛れていった。
オレはしっぽをゆらゆらと揺らしながら、アレンの動きを確かめる。
町の通りを抜け、石畳の道を歩く。背後には見慣れた屋根、遠くには日が出始め、輝く山々。
オレが住んでいた路地裏は、もう遠い。
わかっている。もう、この旅は始まるんだ。
これから向かう未知の土地はまだ見えない。でも、それが面白い。
オレの金色の瞳には、街の上に漂うマナの流れも、光が溶ける風の微細な動きも、すべて映っている。
アレンには見えない、でも感じるものはある。互いの目がほんの少し交わり、理解する。言葉はいらない。
外の世界は広い。緑の森、山、川、時に魔獣が潜む危険な場所もある。だが、今はただ、旅の始まりの静けさを胸に刻むだけ。
「行くぞ、クロ」
「にゃあっ」
(ああ!)
アレンの声が低く響く。オレはしっぽを力強く揺らす。
石畳が土の道へと変わる。
二人は、まだ見ぬ世界へ足を踏み出した。
朝の光が、クロとアレンを包む。
これから始まる物語に、どんな出来事が待ち受けているのか。
胸の奥が、期待で熱くなる。
旅は、まだ始まったばかりだ。
これにて第1章完結となります。読んでくださってありがとうございます。
明日にアレン視点の間話を挟んで、明後日から第2章がスタートします。中央平原の国のひとつ、ヴァレンシア王国に向かうみたいです。
引き続き、毎日20:20ごろに更新予定です。




