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【第97話】早く行きましょうよ



 大賀祭一日目は、どんよりとした空模様のなか始まった。降水確率二〇パーセントという天気予報が信じられないほど、晴明には雲が厚く見えた。


 ブレザーを着て、家を出る。


 本番は明日なのに、目にするもの全ての輪郭があやふやで、晴明は心配と緊張に苛まれていることを自覚した。


「じゃあ、今朝の練習はこれくらいにするか」


 大賀祭の日は朝礼も授業もない。開幕式は午前一〇時からとなっていて、晴明たちは普段よりも遅い時間に集まって、落ち着いて練習することができていた。


 佐貫が終了を告げても、渡や芽吹の表情はあまり晴れてはいなかった。


 晴明からすれば淀みなくできていたが、着ぐるみを着た状態では動きの勝手も違う。本人たちはまだ納得がいっていないのだろう。


 運動着から制服に着替えている間も、あまり会話はなく、晴明は重たい空気が両肩にのしかかるのを感じていた。


「俺もう行くけど、どうする? まだここにいたいって言うなら鍵渡すけど」


 佐貫と泊はアクター部の部長副部長として、開幕式への出席を義務付けられている。


 一五分前には体育館に着いているようにとのお達しらしいから、そろそろ出かけなければ、間に合わないだろう。


「いえ、僕たちも行きます。だらだらと先輩の部屋にいるわけにもいかないですし」


 そう言う芽吹に、晴明と渡も頷いた。佐貫の部屋は居心地が悪くはなかったが、晴明からしてみれば他人の部屋特有の心細さがある。


 佐貫は「遠慮しなくてもいいのに」と言いながら、かすかな笑みを浮かべている。一人で学校に向かうのは、気が引ける様子だった。


 四人は玄関を出て、エレベータホールへと向かう。エレベーターは一階にあって、到着するまでにしばしの待ち時間が生まれた。


「佐貫先輩、どうします? 大賀祭が終わる四時までの間」


 佐貫がボタンを押すやいなや、芽吹が尋ねる。


 大賀祭はいくつかの教室に文化部の展示があるだけで、とてもではないが六時間は持たない。あちらこちらで雑談に花を咲かせるのが、大賀祭の過ごし方の主流と言ってもよかった。


「まだ決めてないけど、まあ適当にやるよ。でも一一時からの吹部の発表は見るかな」


「それくらいしか選択肢ないですもんね」


「知ってるかどうかわかんねぇけど、ウチの吹部この前、市のコンクールで銅賞だったんだよな。つまりは市大会敗退ってわけ。で、俺らと同じで三年は大賀祭で引退だから、仲良い奴もいるし、一応は見に行ってやろっかなって」


「そうなんですか、その人ってパート何なんですか?」


「トランペット。まあ中高とやってきたのに、伴奏しか担当できてねぇんだけどな」


「そういえば、南風原の友達も吹部で、トランペット吹いてるって言ってましたよね」


 渡が成の名前を出したことで、一瞬だけ会話が止まった。エレベーターの表示はまだ四階を指し示している。


 晴明は、渡が何の気なしに口にしたのではないと、気づいていた。


 はっきりとした意図が込められた言葉に、佐貫の瞳はかすかに揺れる。


「そうなのか? 知らなかった」


「この前のコンクールでも、ソロを担当したって言ってましたよ。高校から始めたばかりなのに凄いですよね」


 行ったり来たりの会話のやり取りが、晴明にはあまり意味をなしていないように思われた。いつ決定的な言葉を放つか、探りあっているようだった。


 透明な扉の向こうから、エレベーターが喧しい音とともにせり上がってくる。開いた扉の中が、晴明には行ったこともないのに、教会の懺悔室のようにさえ見えた。


 「ほら、乗るぞ」と佐貫がわざとらしく言って、いち早くエレベーターに乗り込んでいく。


 三人も続き、佐貫が一階のボタンを押すと、扉はゆっくりと閉まり、エレベーターは下降を始める。


 一階に着くまでには、三〇秒にもかからない。それでも晴明は、のわずかな時間がやたらと長く感じられてしまう。


 誰もが黙ってやり過ごそうとする中、渡がおもむろに口を開いた。


「佐貫先輩、南風原と何かあったんですよね?」


「何かって何だよ」


「たとえば告白されたとか」


 エレベーターは、するすると下っていく。扉が開く瞬間が、刻一刻と近づいていく。


 直球を投げ込んだ渡に、芽吹が唖然としているのを、晴明は見上げなくても分かった。


 エレベーター内には、一気に緊張が走る。


 当の佐貫はじっと操作盤を見つめていた。扉が開くまでやり過ごそうとしている。エレベーターの外に出たって、状況は何も変わりはしないのに。


 渡も言葉を重ねることなく、エレベーターは一階に辿り着く。三人は、自分たちが降りることを優先させてくれた佐貫がやってくるのを、立ち止まって迎えた。


 佐貫は平然としようとしていたが、その奥にある焦燥や戸惑いを隠しきれてはいなかった。


 出口に向かおうとする佐貫。晴明も後を追おうとした瞬間、渡の声が二人を呼び止めた。


「佐貫先輩、外よりもここで話した方がよくないですか」


 立ち止まって振り返る佐貫。多方向からのLED照明に照らされて、その顔に影はない。


「誰にも言いませんから、正直に話してください。佐貫先輩、先週の土曜日、南風原に好きって言われましたよね」


 渡の言葉を受けて、佐貫は晴明に鋭い視線を向けた。晴明は小さく首を横に振る。あくまで渡は自力で気がついたのだ。晴明が何かを言ったわけではない。


 視線は渡に戻り、晴明は申し訳ないと思いつつも、ほっとしてしまう。


「どうしてそう思うんだ?」


 普段よりも低い声が、ゆっくりと沈んでいく。渡が目線を下げずに答える。


「僕見ちゃったんですよ。休憩時間中に佐貫先輩と南風原がどこかへ歩いていくところを。あれは南風原に呼ばれて行ったんですよね?」


「動きの打ち合わせかもしれないだろ」


「それだったら休憩室でもできたじゃないですか。第一それじゃ、どうして南風原が少し浮かない顔をしていたのか、説明つきませんよ」


 渡は一歩も引かない。


 佐貫は気まずそうに頭を掻くと、一つため息をついた。


「見られないよう、注意してたつもりだったんだけどな」


「ってことは佐貫先輩……」


 芽吹が言葉を止める。


 佐貫は振り返って誰もいないことを確認してから、一語一語を確かめるように、慎重に口を開いた。


「マトの言う通りだよ。俺は南風原に好きだって言われた」


 四人を取り囲む空気が、よりいっそう引き締まる。束の間の沈黙の後、芽吹がおそるおそる尋ねる。


「それでなんて答えたんですか?」


「まだ何も言えてない。そんな簡単に決められることじゃないからな」


 晴明の時と同じやり取り。芽吹は次の言葉を見つけられず、唇に歯を当てている。


 話が一段落ついても、誰も外へは歩き出そうとはしなかった。生まれたての磁力が、晴明を床に吸いつけていた。


 「佐貫先輩、こんなことあまり言いたくないんですけど」と、前置きをした渡に三人の視線が集まる。


「告白の返事を保留にして、南風原を弄ぶのはやめてください」


「……まあそう言われても仕方ないよな。煮え切らない俺が悪いんだし」


「そうですよ。南風原は今だって、佐貫先輩のことを思ってやきもきしてると思いますよ。南風原のためにも、早く返事をしてあげてください。どんな答えでも、アイツは必ず受け入れますから」


「本当言う通りだよな。いつまでも返事を先延ばしにするわけにもいかないもんな。でも、もうちょっとだけ考えさせてくれ。簡単なことじゃないからこそ、じっくり悩んで決めたいんだ」


「分かってますよ。最後は佐貫先輩が決めることですから」


 絞り出すように答えた佐貫に、渡はそれ以上追及することはなかった。


 「そろそろ行かないと、遅れちゃうんじゃないですか」と、佐貫の足を前へと動かそうとする。


 佐貫も「そうだな」とだけ言って、四人は厚い雲が覆う外へと向かっていった。


 外に出て晴明が空を見上げると、雲の隙間に先ほどまではなかった、小さな晴れ間が出来ていた。




 演奏が終わると、体育館には消極的な拍手が巻き起こった。五〇人ほどの観客は、部員の友人や家族が大半。つまりはほとんど味方しかいない。


 それにもかかわらず小さな、かすかに戸惑いを含んだ拍手は、演奏の出来が不十分であったことを示していた。気を遣っているのがありありと分かる空気は、ステージに立つ部員にとってはむしろ残酷だ。


 実際、晴明からしてみても、吹奏楽部の演奏は惨憺たる有様だった。


 ピッチは崩れ放題だし、楽器同士の音量のバランスがまるで取れていない。足並みの揃わない不格好な演奏は、楽曲の体をなしてさえいなかった。市のコンクールでは銅賞だったらしいが、その中でもかなり下の方だろう。


 と、そこまで心の中で毒づいたところで、晴明は自分たちも大差ないなと思い直す。現状では、せっかく期待して来てくれた観客を、満足させるには程遠いからだ。


「ま、まあ発表するだけでも凄いことですよね。こんな大勢の目に触れるのって勇気要りますもん」


 ぞろぞろと観客が帰り始める中、成が座ったままで言う。


 フォローになっているのか怪しい言葉は、自分を勇気づけようとしているのだと晴明は感じた。


「でも、成の友達のトランペットの子は上手かったじゃん。ソロの時、私ちょっと感動しちゃったんだけど」


「あーちゃんはウチの吹部のエースですからね。吹部の一番の武器だから、トランペットソロが目立つこの曲にしたって、本人も言ってましたし。もう次の部長になることが決まってるみたいですよ」


「そうなんですね。来年は金賞とれるといいですね」


「うん。私からもそう言っとくよ。まあ入ってくる部員次第だとは思うけどね」


 前の席に座る女子三人が会話を交わすのを、晴明は黙って見ていた。口を挟むのにはなかなか勇気が要った。


 体育館の喧騒は、徐々に引いていく。佐貫が背もたれに寄りかかりながら、六人に声をかける。


「どうする? この後。このまま合唱部の発表も見てくか?」


 吹奏楽部の発表が終わってから三〇分後の一二時ちょうどに、合唱部の発表は始まる。ステージ脇からちらほらと吹奏楽部の部員が、楽器を持って出てき始めている。


 この様子だと観客も大幅に入れ替わるだろう。このまま雑談で時間を潰すことはできる。


 だけれど、晴明の腹は軽く空き始めていた。


「いや、お昼ご飯にしましょうよ。時間もちょうどいいですし」


 芽吹がそう提案してくれたので、渡りに船とばかりに晴明は頷いた。


 本当は今すぐにでもこの場を離れたかったが、あまり強く主張すると、合唱部に失礼な気がしていた。


「そうだな。飯にするか。皆ご飯持ってきてるんだよな?」


 六人は頷いた。大賀祭の日は購買は休みだから、一日いるなら弁当を持参した方がいいと、晴明は佐貫から事前に教えられていた。


 校舎の前に並んでいる、二台のキッチンカーを利用するという手もあるが、今日来ている人間の数を考えると、あまり現実的ではない。


 「せっかくだからみんなで一緒に食べましょうよ」と桜子が言う。一か月前までだったら、晴明も何も考えず賛成していたに違いない。


 だけれど、今のこんがらがった状況を考えれば、それは必ずしも得策ではないように思えた。


 それでも、当の成や泊、佐貫が乗り気だから、晴明も流れに乗るしかない。


 体育館では吹奏楽部と入れ替わりで、合唱部が入ってくる。晴明はもたもたしていられなかった。


「じゃあ、どこで食べよっか。この曇り空だと雨が心配だしなぁ」


「それは歩きながら決めればいいんじゃないですか。早く行きましょうよ」


 少し腰を浮かせた晴明に、他の六人の視線が集まった。黙っていた晴明の唐突な発言に、少し驚いていた。


 それでも、桜子がいち早く察して「そうですよ。行きましょう」と援護してくれる。一年生二人の性急な様子に押されたのか、先輩たちも少しずつ立ち上がっていく。


 一番通路に近い自分が動き出さなければと、晴明はおもむろに歩き出す。


 体育館を出るまでの間、渡に「似鳥、そんなに腹空いてんの?」と言われ、晴明は恥ずかしい表情を装って頷いた。


 背後、ステージからはキャスターが転がる音が、聞こえてきている。


 晴明は歩を速めた。



(続く)

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