【第96話】そこまでする意味あるのか
翌日も引き続き、音楽を流した状態で、通し稽古は続けられた。回数を重ねるごとに、声と動きがスムーズに合うようになってきて、晴明は手ごたえを得つつあった。
それでも、自然と目は佐貫と成を捉えてしまう。二人とも気持ちを切り替えて、練習に集中していたが、晴明が見た限りでは、二人の目が合うことは、練習中一度もなかった。お互い意識しすぎているのだろう。
しかし、だからといって晴明に行動を起こせるはずがない。成の恋心を大々的に知らしめることは、絶対にしてはならないことだと分かっていた。
明日の放課後には、教室を片付けて、劇を上演するための準備をする。余った時間でそのまま練習も行うので、コミュニティセンターを使用するのはこの日で最後だ。
館長に感謝の意を伝える部員たち。館長に「劇、がんばってください」と励まされて、深く頭を下げる。練習の場を提供してくれたことに、晴明は頭が上がらない。
「また機会があったらよろしくお願いします」と佐貫が言った。晴明もまったく同感だった。
一ヶ月間お世話になったコミュニティセンターに別れを告げて、部員たちは学校に戻る。街灯が地面を照らし、涼しい風が吹く環境は、ほとんど真夜中のように晴明には感じられた。
先頭を五十鈴と佐貫が歩く。その後ろに二年生、一年生が続き、最後尾を泊が歩いていた。後ろの三人には会話はあまり生まれない。泊は黙々と歩くだけ。
重い空気に耐えきれないと言うように、桜子が振り返って泊に声をかけた。
「いよいよ明後日からですね、大賀祭」
泊は、虚を突かれたような表情をした。何か考え事をしていたのだろうか。
「うん、そうだね。フミは大賀祭楽しみ?」
「そりゃ楽しみですよ。だって、高校に入って初めての文化祭なんですよ。私、二学期に入ってから大賀祭を楽しみに、学校に通ってたんですから」
桜子の声は弾んでいた。しかし、晴明は同調できない。
散々噂は出回っているのに、それでも期待できる桜子が不思議なくらいだ。
「水を差すようで悪いんだけど、ウチ文化祭そこまで盛んな方じゃないよ。一応二日間あるとはいえ、自称進学校なんだから。フミだってもう聞いてるでしょ」
「それは……」
桜子は口ごもってしまう。当然だ。泊の言う通り、上総台高校は文化祭に力を入れていない。
それは友人の少ない晴明だって、もう何度も聞かされていた。ぽつぽつと文化部の発表はあるものの、クラスで一致団結して何かをすることはなく、登校自体も学生の自由に委ねられている。
だから、一日も参加しない学生も多くて、学校は普段よりも閑散とする。映画や漫画のような、盛り上がりを見せることはないのだ。
カリキュラムに組み込まれているから、形だけでもやっているだけで、学生たちからの評価は総じて辛辣だった。
「でも、それって裏を返せば、イベントが少ないからこそ、一つ一つのイベントが重要になるってことじゃないですか。時間的にも、吹部や合唱部の発表と被ってないですし。お客さん集め放題ですよ」
「フミ、あんた凄いね。よくそこまでポジティブになれんね」
ため息の後、泊は呆れるでもなく、素直に感嘆しているといった様子で言った。晴明も桜子の自信と楽天さには驚きつつ、内心では励まされていた。
前方には暗闇の中に、ほのかに浮かぶ校門が見えてきている。
それでも、晴明はコミュニティセンターを出発してから、泊の足取りが軽くならないことが気になっていた。心配が疑問に姿を変えて口をつく。
「泊先輩は、劇が楽しみじゃないんですか?」
晴明の疑問に、泊は目を瞬かせた。そして、ぎこちない笑顔を作る。脳は笑おうとしているが、表情筋がそれを拒んでいるかのようだった。
「今は七対三くらいかなぁ。もちろん楽しみな気持ちの方が大きいけど、上手くいくんだろうかって不安も、否定できないみたいな。そんな感じ」
口では楽しみにしていると言っていても、晴明には五対五か、もしくは不安の方が上回っていると感じられた。
泊は演出として、今回の劇を引っ張ってきたのだ。自分たちには見えていないものが、見えていてもおかしくない。
学校に差しかかる前に、軽自動車が一台晴明たちを追い抜いた。ヘッドライトが、表情からにじみ出る泊の本心を、巧妙に隠していた。
「大丈夫ですよ。正直、私も不安がないと言ったら嘘になりますけど、まだ二日あるんですから。より確実な劇ができるように、ラストスパートがんばりましょう」
桜子の励ましに、泊は「うん、そうだね」と言って頷いた。言葉がどこまで泊に届いたかは晴明には分からない。だけれど、深くまで浸透してくれればいいなと感じる。
部員たちは校門をくぐって、静まり返った校内に入っていく。
晴明がふと見上げると、半分ほどに欠けた月が出ていた。
校門が閉まる一九時に間に合うように、この日の部活は終了して解散となった。部員たちは、一目散にそれぞれの帰り道を目指す。
晴明と桜子はぽつりぽつりと話しながら、千葉中央駅へと向かっていた。
晴明は桜子に緊張のほどを尋ねたが、全然大丈夫だよと返される。あまり強がっているようには見えない。早く当日にならないかなとも言っていて、桜子の純粋な目に晴明は、少し羨ましさを感じていた。
駅に到着する二人。駅前には上総台の制服を着た学生は見当たらなかった。
改札をくぐって、ホームへの階段を上る。
すると、ホームの中ほどに、渡と芽吹が立っていた。
二人は何気ない顔をして声をかけ、四人は自然と五分後に来る電車を、一緒に待つことになった。
「そういえば、成先輩は一緒じゃないんですね」
事情を知らない桜子が投げかけて、晴明の胸はかすかにざわつく。
「終わるやいなや、すぐ帰っていったからな。どっか寄り道してるか、前の電車に乗ったんじゃねぇの」
表情からして芽吹は、成の告白に気づいていないようだった。
晴明は落ち着いて普段通りの態度を心がける。不自然な言動をして、感づかれてはならなかった。
「そういえば南風原、アイツ最近付き合い悪いよな。練習終わったらすぐ帰っちゃうし。マト、お前何か知ってる?」
話を振られて、渡は少し考えこむような素振りを見せた。
動いた目線が、晴明とも一瞬だけ合う。だけれど、すぐに逸らされて、それが晴明には少し引っかかった。
「さあ。勉強でもしてんじゃない? 弥生大は県で一番の難関大学だから、今から少しずつがんばんないと合格できないとか?」
それらしい理屈に、芽吹と桜子は納得しかける。しかし、晴明だけが内実は違うことを知っている。事はそう簡単ではないことを知っている。
晴明は頷きながらも、さりげなく渡に視線を送った。だけれど、渡は晴明を見やることはない。
涼しい夜風が、晴明の頬を打ちつける。
発車時刻が近づくにつれて、ホームには徐々に人が増えてきていた。
「大丈夫だよな?」
「南風原先輩なら心配いらないと思いますよ。なんだかんだ言ったってあの人器用ですし、きっと勉強と部活の両立もきっちりしてくれますよ」
「いや、そうじゃなくて俺たちが」
ぼそりと呟かれた芽吹の言葉は、晴明の意図していた返事とは違っていた。
晴明よりも一拍早く桜子が「どういうことですか?」と聞き返す。
見上げた芽吹の表情は、深刻さを帯び始めていた。
「だって、佐貫先輩と泊先輩が引退したら、たぶん次の部長は南風原だろ。でもさ、もし南風原が受験勉強に専念したいって言って、部活抜けたらどうするよ? 部長を失って、俺たちやってけんのかな。上手くまとまれんのかな」
いつになく真剣なトーンで、芽吹は不安を吐露していた。もしかしたら、休部していた期間がある分、休部や退部という選択肢が、身近にあるのかもしれない。
晴明は絶対ないと言い切りたかったけれど、曖昧な未来に確信が持てなかった。どんなことでも起こりうるし、現状では自分も進級したら部活を辞めてしまう。強く否定することは、できるはずもなかった。
「確かに成先輩の存在は大きいですよね。抜けたら相当影響ありそうです」
「ちょっと、ハル。何ネガティブなこと言ってんの。まるで本当に成先輩が辞めちゃうみたいじゃん。そんなの本人に聞いてみないと分からないでしょ」
「いや、でも南風原先輩にはまだ聞かない方がいいと思う。ほら、今って劇に集中しなきゃいけない時じゃん。余計なこと聞いて惑わせるべきじゃないよ」
「似鳥の言う通りだと思うよ。それに南風原はそんなやわな人間じゃないからさ。きっと何があっても乗り越えてくれるんじゃないかな。もちろん、何事もなく上手くいくのが一番なんだけど」
渡の口調は成を信じていることを思わせる、確信がこもったものだった。口の端からかすかに笑みがこぼれている。
頭上からは、もうすぐ電車が到着するというアナウンス。
にわかに人が増えてきたホームで、雑音にも負けず晴明たちは話し続けた。
劇のこと。佐貫と泊のこと。そして、成のこと。話題は尽きず、千葉駅で降りて別れるまで四人は話し続けた。
晴明は胸に引っかかった思いを解消するために、渡の顔色をしきりに窺ったが、その表情から心の内を読み取ることはできなかった。
晴明が帰宅したのは、二〇時を回ろうかという頃だった。
遅い帰宅に、晴明は両親に怒られるのではないかと思ったが、一緒についてきてくれた桜子が事情を説明してくれたこともあり、二人は納得したようだった。桜子がいる手前、大っぴらに怒るわけにもいかなかったのだろう。
晴明は命拾いした心地を味わった。持つべきものは、親にも認められている友人だと思った。
部屋着に着替えてリビングに行くと、長方形のホットプレートが晴明の目に飛び込んできた。
丸皿に切られた野菜が盛られていて、黒と金のパックにはサシが入った牛肉が並んでいる。焼き肉は晴明が好きなメニューの一つだ。
席に座って「いただきます」の挨拶をする。
ホットプレートに油が敷かれ、見るからに高そうな牛肉が並べられていく。肉汁が跳ねる音を聞きながら、冬樹は既にコップに注がれたビールに口をつけていた。
「晴明、いよいよ明日から大賀祭でしょ。練習は順調なの?」
ホットプレートの上で食材が焼けるのを待っている間、奈津美が思い出したように尋ねてくる。
晴明は「うん、まあまあかな」と煮え切らない言葉を口にした。逃げるように、焼き色がつき始めた玉ねぎに箸をのばす。まだ少し辛かった。
「楽しみだなぁ。私着ぐるみ劇観るのはじめてだから。どんなお話なの?」
「それはネタバレになるから言えないよ。来てのお楽しみだから」
明言を避けられても、奈津美はがっかりすることなく「そろそろかな」と言って、菜箸で牛肉を裏返した。
かすかに茶色い焼き目がついていて、全身を纏う肉汁が天井照明に照らされてキラキラと輝いていた。
「劇、明後日の一時からでしょ。私暇だし、少し早く上総台に行っちゃおうかな」
「いいよ、そんな早まんなくて。早く来たって何もすることないよ。模擬店もないし、ぽつぽつと文化部の展示があるだけだから。めぼしいものなんて、二台しか来ないキッチンカーぐらいだし、始まるまで家でゆっくりしててよ」
「そりゃまた地味だね。私の学校はもっと、映画に出てくるみたいに派手だったのに」
「今時の文化祭はどこもそんなもんだよ」
その上総台高校を勧めてきたのは、いったい誰だ。そう言いたい気持ちを晴明はグッと抑えて、平然と答えた。
タイミングを見計らって、冬樹が牛肉に箸をのばしている。晴明はもう少し焼けるのを待とうと、ホットプレートの上に目を向ける。それは結果的に、両親から目を逸らす形となった。
「そこまでする意味あるのか。そんな地味な文化祭に」
厳しい意見を投げかけてきたのは、当然冬樹だ。アルコールが入って、かすかに頬は紅潮しているが、口ぶりは冷静そのものだ。
晴明は無言で牛肉に箸をのばす。何を言っても、そう簡単に冬樹の態度は変わらないことは分かっていた。
それなのに、脊髄反射のように奈津美は反論する。
「ちょっとお父さん、その言い方はないでしょ。いくら地味でも晴明にとっては、たった三回しかない高校の文化祭なんだから。せめて今しかできないことを、優しく見守ってあげようよ」
平和に食事を楽しみたい晴明にとっては、ありがた迷惑ではあったが、味方をしてくれるのは嬉しくもあった。
だけれど、冬樹の態度は全くもってつれない。
「今しかできないことよりも、将来役に立つことを優先させるべきだろ。ただの一高校生になった今の晴明には、勉強が何よりも大切なはずだ」
と、百遍は聞いた主張を繰り返している。
晴明は我関せずと言った様子で、牛肉を口に運んだ。こんな時でもしっかりと肉の味がして、少し気まずくなった。
「別に勉強は二年になってからでもできるでしょ。晴明だってそう思うよね? 今は勉強よりも部活の方をしていたいんだよね?」
話題は自分の事なのだ。無関係でいられるはずがない。
ただ、分かっていても奈津美に意見を求められて、晴明は若干辟易してしまった。おそるおそる冬樹を垣間見る。
空になったコップに自分で瓶ビールを注いでいる姿は、晴明にとってはやや不機嫌に見える。
何を言っても無駄。そんな言葉が頭に浮かんだ。
「いいよ、お母さん。そんなに必死にならなくても。だって、お父さん明後日の劇には来ないんでしょ?」
「そんな言い方されると、何か嫌だな」
「じゃあ、来てくれるの?」
「いや、行かない。俺はお前が着ぐるみに入るとこなんて、見たくないからな」
「まあ僕はその日は着ぐるみに入ったりしないんだけど、やっぱりそうだよね。面白いものになってるから個人的には、観に来てほしいんだけど……」
冬樹の蔑んだ目を見ると、その先を言うことは、晴明にはためらわれた。
この父親はまだ着ぐるみを、子供騙しの唾棄すべきものだと決めつけている。
諦めたわけではないが、冬樹と口論することにエネルギーを、このときの晴明は使いたくなかった。
「だけど、何だ?」と冬樹が尋ねてくる。
晴明は「ううん、何でもない」と言葉を濁した。
深入りしたくなかったのは、冬樹も同じだったのか、それ以上何も言ってこなくて、晴明としては助かる。
「ほら、ご飯の続きしよ。お母さん、お肉焼いてもいい?」
無理やり食事を再開させようとする晴明。奈津美も晴明の心情を汲んでくれたのか、晴明に菜箸を渡してくれた。
晴明は慎重に牛肉をつまみ、ホットプレートに並べる。
香ばしい香りと湯気が立ち昇っていたが、どこかぎこちない食卓の空気を、修復するまでには至っていなかった。
(続く)




