【第95話】みなまで言わせんなよ
昼休み。晴明は昼食を食べ終わると、すぐに席を立った。桜子にどこに行くのか尋ねられたが、事情を話して、一緒に来なくてもいいことを伝える。
すると、桜子は快く晴明を見送り、また友人との会話に戻っていった。
晴明は久しぶりに、二年生の教室へと向かう。廊下にたむろする学生たちは自分よりも背が高い分、年齢以上に大人びて見えた。
目指す2ーAの教室は一番奥にあって、晴明が通るたびに、周囲は少しざわつき出す。一年生の自分は物珍しいのだろうと思いこみながら、晴明は教室のドアを開けた。
友人たちと喋っている成は、ドアの音にすぐに反応して、晴明に向かって微笑みかけた。
表情もいくらか晴れやかで、晴明が何か言う前に、「じゃあ行こっか」とずんずん進んでいく。小さい背に似合わず、成は歩くのが速い。離れないように晴明は早足でついていった。
部室に入った二人は、机をはさんで向かい合う。
成は長椅子に直に座り、ワイシャツの袖を二つまくった。晴明は気になる行動だったので、思わず声をかける。
「南風原先輩、大丈夫ですか?」
「大丈夫って何が?」
「いや、クッションとか敷かなくていいんですか? それに袖まくらなくても、十分涼しいですし」
成は少し目を丸くした後、小さく笑ってみせた。晴明の気遣いを、不快には感じていないようだった。
「心配してくれてんの? ありがとね。でも、私もともと体温は高い方だから大丈夫だよ。それに、今はそういう時期でもないしね。ほら、時間もないし、さっさと音響プラン決めちゃおっか」
それとなく成は話をそらし、晴明は言われた通りに、家で書いてきたQシートと、キューを書き加えた台本をクリアファイルから取り出した。おおむね、成や泊と打ち合わせた通りに直した形だ。
再生できる機器はなかったが、それでも二人は勉強の成果かQシートを見ただけで、音のイメージがおおまかにだが掴めるようになっていた。
打ち合わせはほとんど確認作業がメインで、一〇分もしないうちに終わった。校舎から離れた部室棟には、あまり学生たちの騒ぎ立てる声は届いてこない。
「うん、じゃあこれで決定ってことで。とま先輩には私から話しとくね」
そう言って成は晴明からクリアファイルごと、Qシートと台本を受け取った。
机の上に物がなくなると、二人が部室にいる理由もなくなる。
だけれど、成は立ち上がる様子を見せずに、頬杖をついた。晴明はかしこまって、膝に手を置く。
「似鳥さ、さっきはなんで私のことを、気遣うようなこと言ったの?」
「えっ……、だって南風原先輩、最近少し元気なかったじゃないですか。泊先輩に聞いたら、ちょっとは察しなよって言われたので……」
「私、元気ないように見えた?」
「いや、そういうわけではないんですけど……」
じっと見つめられると、明言することもできずに、晴明は言葉を濁した。心地よかった静寂が、急におぞましくさえ感じてしまう。
成は晴明から視線を外そうとはしない。晴明は適当な理由をつけて、この場を立ち去りたい思いに駆られた。
「やっぱとま先輩にはバレてんのかなぁ。いなかったはずなんだけど、とま先輩鋭いからなぁ」
ため息交じりに成が気になることを言うから、晴明は聞き流すことができなかった。
「やっぱり何かあったんですよね? 週末に何かあったんですか?」
晴明が聞いても、成は動揺を見せることなく、即座に返す。
「そんなの言えるわけないじゃん。いくら似鳥でも、黙っておきたいことぐらいあるよ」
やんわり拒絶されて、晴明は言葉に詰まってしまう。
成は視線を落とした。口を結んだ顔には、どことなく陰りが見えて、晴明はその表情の訳を推測してしまう。
そして思い当たったのは、口に出すのも憚れる最悪のケースだった。
「南風原先輩、答えたくないと思うんですけど、もしかして身内に不幸があったりしたんですか……?」
飛躍しすぎた晴明の推測を、成は「何言ってんの」と一蹴してみせた。いつの間にか頬杖は解かれている。
口元とは反対に目元は笑っておらず、晴明は自分と成の間にある、わずかな距離を垣間見る。
「そこまで悪いことじゃないよ。誰も死んでないし、離婚とかでもない。まあ、諸手を挙げて喜べるような、いいことでもないんだけどね」
「じゃあ、何なんですか。いつもの南風原先輩らしくないですよ。もちろん誰にも言いませんから、それとなくでもいいので教えてくださいよ」
晴明は思い切って、一段踏み込んだ。心の底から成のことが気がかりだった。
だけれど、成の瞳はシャッターを下ろしたように、心の奥を見せない。半年間で親しくなれたと感じていたのは、晴明の思い上がりに過ぎなかったのだろうか。
「ごめん。似鳥のこと、信用してないわけじゃない。たぶん、誰にも言わないだろうなっていうのも分かる。だけど、言えないよ。だって恥ずかしいもん。誰にだって、言えるようなことじゃないんだもん」
縮こまる成は、ただでさえ低い背がより小さく見える。バツの悪そうな表情は、墓場まで持っていくと言わんばかりの拒否反応を示していた。
だけれど、あからさまな表情が、晴明の脳裏に一つの推測をもたらしてしまう。自分の身に置き換えてみれば、成が恥ずかしいと言ったのも頷ける。
不躾な質問だとは分かっていても、晴明は勇気を出した。
「南風原先輩、もしかして……」
「似鳥、それ以上は言わないで。もうこの話は終わりにしよ。ほら、午後の授業もあるし、そろそろ出よっか。鍵は私が返しとくから」
予鈴も鳴っていないのに、成は慌てて席を立って、晴明にも教室に戻るように促した。
晴明の推測は確信に変わる。それでも、成に確認することはしない。成の弱いところを突くなんて、できなかった。
二人は部室を出て、校舎へと戻っていく。成の足取りは来たときよりも、ゆっくりとしていた。
さっそく放課後の練習は、完成した音響プランを流しながら行われた。五十鈴の私物であるタブレットを使わせてもらい、音量を抑えて行われた。始めは素の状態で、最後には着ぐるみを着て。
小さい音量でも、音楽があるとタイミングが掴みづらくなるのか、アクターとナレーターの息はイマイチかみ合わず、晴明は不安になる。
それでも部員たちは適応力を発揮して、徐々に練習した通りの、動きと声ができるようになっていた。音楽の力が加わって、観客に響く舞台になる予感が、晴明にはしていた。
練習が終わり、夜の七時前に、この日は解散となった。
桜子がいつものように、一緒に帰ろうと言ってきたが、晴明は教室に忘れ物をしたと言って、その誘いを断った。
桜子は「それくらい待つよ」と言ってくれたが、晴明は「待たせたくないから」と押し通す。最後には何とか納得してくれて、昇降口の前で二人は別れた。
帰っていく桜子を見つめることもなく、晴明は踵を返して、上履きに履き替える。
そして、下駄箱を左に曲がった。それは教室とは逆方向だった。
薄暗い校舎の中でも、一階の明かりだけはついている。
突き当たりに差しかかろうというところで、職員室のドアが開く。
出てきたのは、部室の鍵を返し終わった佐貫だ。晴明と鉢合わせることは、予想していなかったのだろう。目を皿のように丸くしている。
職員室の明かりを背にした佐貫は、誰にも言えない秘密を抱えているようだった。
「どうしたんだよ、似鳥。今日はもう終わりだろ。早く帰ればいいじゃんか」
「佐貫先輩、今少しだけお話することはできますか?」
「別に今じゃなくてもいいだろ。明日の朝とかじゃダメなのか?」
「いえ、今二人しかいない、このときがいいんです。あまり人に聞かれたくない話なんで」
強硬な晴明の態度に、佐貫は怪訝な目を向けていた。
夜の校舎は職員室から聞こえる話し声以外は、しんと静まり返っている。
その場に留まってくれた佐貫に、晴明は端的に告げる。
「佐貫先輩、先週のどこかで、南風原先輩に何か言われました?」
それだけで、佐貫は晴明が言わんとしていることに、感づいたらしい。目に一瞬焦りの色がにじむ。
それでも、すぐに立ち直って、「何かって何が?」と声を潜める。
答えを先延ばしにしている佐貫に、晴明は決定的な言葉を放った。
「たとえば、佐貫先輩のことが好きだ、とか」
思い切った晴明の質問に、佐貫は強い否定をしなかった。両手をぶら下げて、晴明を見つめている。
身長は一〇センチメートルも変わらないのに、晴明はそれ以上の高さから睨まれているように感じた。
「それ、南風原から聞いたのか?」
「いや、昼に話したとき、明言はしてなかったんですけど、雰囲気で分かってしまいました」
「まだ誰にも言ってないよな」
「はい、誓って言ってないです」
佐貫がひとつ浅いため息を吐く。外の闇に溶けていくような吐息に、晴明は確信を抱いた。
隙間風が吹きこんで廊下はかすかに肌寒い。ワイシャツの袖から覗く佐貫の腕には、ぽつぽつと鳥肌が立っていた。
「似鳥さ、絶対誰にも言うなよな。これは俺たち二人の問題なんだから」
「ってことはやっぱり……」
「みなまで言わせんなよ。いざ口にするとなると、やっぱり小っ恥ずかしいからさ」
佐貫の頬はわずかに、朱色を強くしている。ほとんどYESと言っているようなものだ。
いざ、事実を突きつけられたとき、晴明の胸には小さな戸惑いが生まれていた。
自分たちは、ずっと部員、仲間という関係でいると思っていた。表立って恋愛沙汰になることは、自分たちの関係が、今まで通りではいられないことを意味する。
慣れ親しんできた関係性が一変してしまうのが、晴明にとっては未知の恐怖のように思えた。薄暗い夜が自分を飲みこんでしまう気さえして、焦って口を開く。
「それで、佐貫先輩はどう答えたんですか……?」
本当は聞かなくても分かっていた。成の様子を思い出せば、推測するのは容易だった。
小さく肩をすくめる佐貫を見ていると、侵してはいけない領域に、自分が足を踏み入れた気がした。
「……何も言えなかった」
視線を落とした佐貫の呟きは、懺悔にも似た色合いを帯びていた。晴明は黙って言葉を受け止めるしかない。
佐貫はぽつりぽつりと、こぼすように続ける。
「南風原が俺をそういう目で見てるってこと、気づいてないわけじゃなかったんだ。いつかはそう言われるんだろうなってことも、自意識過剰だけど感じてた。だけれど、いざ言われた瞬間、頭が真っ白になった。受け入れることも、断ることもできずに、ただうなだれてるだけだった。去り際に少し時間をくれとは言ったけれど、それは何も言ってないのと同じだよな。本当、申し訳ないし、情けないよ」
伏し目がちになった佐貫。口元には、玉虫色の感情が滲み出ている。苦い表情に、晴明は佐貫も自分と一緒の、不完全な人間だと知った。
悔やむ佐貫を肯定したくて、晴明は思わず呼びかけていた。
「そんなことないですよ。即答できるような話じゃないですし、佐貫先輩の反応は至って正常ですよ」
「似鳥はさ、そう言われたことあんの?」
今度は晴明が言葉に詰まってしまう。安易な言葉で、同情するべきではなかったと思い知る。
答えられない晴明を前に、佐貫は俯いたままで言う。
「分かってるよ。ずっと先延ばしにするわけにはいかないってことは。でも、俺自身どうしたらいいのか、まだ分かんないんだよ」
絞り出すように言った佐貫を、晴明は心の底から助けたいと思う。だけれど、自分には何もできないことも重々承知していた。
夜の校舎は、まるで時が止まっているかのようだ。言葉をなくした二人は、その場に立ち尽くす。
「帰りましょう」なんて、晴明にはとても言い出せなかった。
(続く)




