【第86話】バレバレだよ
「えっ? 栞さんって大学の頃は陸上やってたんですか?」
「うん。長距離選手で駅伝の大会にも出たことあるよ。実業団には入れなかったけどね」
「じゃあ、どうして今は沖縄のクラブ職員やってるんですか? 就職も東京でしたんですよね?」
「それはまあ色々あってね」
そう言って鬼平は、隣に座るアテンドの酒巻に目を向けた。酒巻は微笑みながら目配せを返す。
晴明は黙って、女子二人と鬼平の会話を聞いていた。
着ぐるみを脱いでから息つく間もなく、鬼平は話しかけてきて、近くに座っていた成や桜子が応えている。二人とも話好きだから、鬼平との相性は良好だ。
男子三人と植田は、口を挟むことなく会話に耳を傾けていた。汗が引くと襲ってくる眠気に、晴明は必死で耐える。
「それより、どう? 文化祭でやる劇の進み具合は。あと三週間しかないんでしょ」
鬼平が心の底から心配そうに聞いてくる。
「もう少しで半分ってところです。これから通しての練習もありますし、まだまだがんばらないとって感じですね」
「そうなんだ。どんな感じの劇なの?」
「一言で言うなら、主人公が歌手を目指すお話ですね。でも、夢を目指すことだけを応援するんじゃなくて、現実を生きることも同じように応援する内容になってます」
「それはいいね。私も夢が叶わなかった側の人間だから、応援してもらえると励みになりそう。見れないのが残念だよ」
「もしよかったら、スマホで録画して送りましょうか?」
「本当に!? そうしてくれると助かるわ」
三人はスマートフォンを取り出して、何やら操作を始めた。ちらりと見えた画面から、ラインを交換しているのが晴明には分かった。
三人はにこにこと笑い合っている。まるで年の離れた姉妹みたいに。
「ありがと。楽しみにしてる。がんばってね。引退する三年生のためにも」
桜子が「はい! 期待に添えるようにがんばります!」と力強く言う一方で、成の返事は少し遅れてしまっていた。
きっと佐貫と泊のことを考えていたのだろう。成には晴明が知らない二人との一年があるから、無理からぬことだ。
「そうですね。二人に最高の思い出をプレゼントできるように、ますます練習がんばっていきたいと思います」
「私には想像もつかないけれど、着ぐるみを着て劇をするなんて、きっとものすごく大変なことなんだろうと思う。辛いこともあるかもしれないけど、がんばった分だけ報われるって信じて、乗り越えていってね。特に部長さんのためにもさ」
「あの、どうしてそんなに三年生のためにとか、部長のためにとか強調するんですか?」
「えっ? だって成ちゃん、部長さんのこと好きなんじゃないの?」
その瞬間、サーッと波が引いたように会議室は静まり返った。
晴明の視線は、自ずと成に向いてしまう。動揺で声も出ていない様子だった。
微妙な空気を察知した鬼平が「ごめん。言っちゃいけないことだったかな」と成の表情を窺う。全員の注目を集める中、成は首を横に振っていた。
スタジアムの賑わいにかき消されそうなほどの小声で、口を開く。
「どうして、そう思うんですか……?」
「正直に言っていい?」
頷く成。晴明たちに、二人の会話をせき止める権利はない。
「どうしても何も、態度でバレバレだよ。昨日、うっとりするような目で部長さんのこと見てたでしょ。あれだったら誰でも気づいちゃうよ。悟られたくないなら、もっと隠さないと」
横目で見る成は、分かりやすく顔を赤くしていた。これでは、せっかく先週ごまかした意味がない。
成は肯定することも否定することもせず、ただ机に視線を落としている。晴明たちの前で佐貫への好意を認めるかどうか、迷っているようだった。
「もしかして、部長さんの隣にいた女の子、たぶん副部長さんだよね、に遠慮してなかなか言い出せないとか?」
鬼平は刀を振りかざすみたいに、三人の人間関係に切りこんでいく。
桜子が成を心配そうに見つめていたけれど、本人がうんともすんとも言わないので、晴明たちは会話の行く末を見守るしかなかった。
「つっこんだこと聞くようだけど、その部長さんと副部長さんはまだ付き合ってないんだよね?」
「……たぶん、まだだと思います」
ようやく口を開いた成の声は、いかにも恥ずかしそうだった。
「私もね、高校時代先輩に恋してたことがある。ただ見ているだけで、思いを伝えられないまま、その先輩は引退、卒業して京都の方に行っちゃった。先輩が卒業してからの一年は何をしても、いまいち身が入らなくて。何か行動を起こせばよかったってずっとモヤモヤしたまま過ごしてた」
成は項垂れたまま、鬼平の身の上話を聞いていた。ところどころで相槌は打っているものの、どう感じているのかは晴明には知る由もない。
「でも、だからといって、今すぐ告白しなきゃとか行動に移さなきゃって、言うつもりはないよ。私と成ちゃんとはケースも違うし、黙ったままでいるのも立派な決断の一つだから。私にああしろこうしろとか指図されたくはないでしょ? 成ちゃんが考えて出した結論なら、正解も不正解もないから。自分がしたいようにすればいいよ」
それは成の気持ちを誘導しているようにも思えたが、言い切らないところに、晴明は鬼平の思慮の深さを垣間見る。
成は顔を上げて「はい」とだけ返事をした。その横顔はいくらでも解釈の出来る神妙な面持ちだった。
時間はいつの間にか先行入場の五分前になっている。晴明たちは筒井に促されて、席を立った。
着ぐるみに向かいながら渡に話しかける成の顔には、ややぎこちないながらも笑顔が戻っていた。
ライリスがピッチサイドに登場した時、既に太陽は傾いて強烈な西日をピッチに届けていた。座席は今までよりもやや閑散としている。
ハニファンド千葉は前節のアウェイでの町田戦を、二点を追いつかれてのドローという結果で終わっており、ここ二試合勝ち星から遠ざかっている。順位も八位まで落ち、なかなか人を呼べるような状況ではない。
分かってはいたものの、空席が目立つスタンドを見ると、晴明は寂寥感に囚われてしまう。
だけれど、隣の野々村は元気に声を張り上げた。
「皆さん、お待たせしました! ハニファンドTVの時間です! まだまだ残暑も残るなか、ここフカスタに足を運んでくださってありがとうございます! 私、司会を務めさせていただきます野々村美恵と申します! 試合前の短い時間ではありますが、よろしくお願いします!」
野々村が普段通りの自己紹介をすると、カメラはライリスたちの方を向く。大型スクリーンにもライリスたちの姿が映り、三人の名前がテロップで表示される。
だから晴明たちはしばらくの間、動き続けなければならなかった。少なくとも、野々村が再び話し出すまで。
「さて、前節の試合を振り返ってみたわけですけど、ライリスたちはどう思った?」
ハイライトが大型スクリーンに流された後、野々村が聞いてくる。失点シーンを立て続けに見せられて、スタジアム全体が大きなため息をついたようで、必ずしも雰囲気は良いとは言えなかった。
だけれど、こういう沈みがちなシーンこそマスコットの出番だ。
晴明は大きな動作で手を叩いた。悪い結果ではないということを知らせるためだ。晴明には見えないが、成も渡も、それぞれ打ち合わせ通りの動きをしているのだろう。
あくまでもポジティブな働きかけを。
それは晴明たちがマスコットに入るうえで、心がけていることの一つでもあった。
「そうだね。決して残念な結果ではないよね。じゃあ、ライリス。今日は勝てるかな!?」
野々村に問われて、晴明は一歩前に歩み出す。そして、足を肩幅にまで開くと、思いっきり右手で胸のエンブレムを叩いた。ライリスの力強い挙動に、メインスタンドは釘付けになる。
「勝てると皆が信じれば絶対に勝てると、そう言いたいんだね!」と野々村が解釈してくれるから、晴明も二度頷いた。
すっかり心の底から、ハニファンド千葉の勝利を願うようになっていた。
「皆さん、選手や監督を信じて、今日もできる限りの後押しをしましょう!」
野々村が言うと、主にホームゴール裏から拍手が飛ぶ。
SJリーグ二部では、六位以内に入ればプレーオフで一部昇格の可能性が残る。今日を入れてまだ一五試合もあるから、諦めるのには早すぎるのだ。
スタジアムの士気が高まるのを晴明は肌で感じた。
「それでは、スタジアムも盛り上がってきたところで、今日のゲストに登場していただきましょう! 今日のためにわざわざ沖縄から駆けつけてくれたAC沖縄のマスコット、ジンベッチくんです!」
野々村の呼びかけがスタジアムに響く。
するとメインスタンドの下に待機していたジンベッチが、スタジアムへと姿を現した。
歩幅は小さいが無理に急ごうとしない歩き方は、悠々といった言葉がふさわしい。独特のテンポにメインスタンドのサポーターは拍手をしながらも、息を呑んで見守っている。
慣れないスタジアムで向かい風さえ吹きそうなところを、ジンベッチは登場しただけで風向きを変えていた。
その姿に、鬼平が着ぐるみに入り始めて日が浅いと、晴明は思わなかった。
ジンベッチがライリスと野々村の間に入る。長方形のフォルムが西日を浴びて、長い影を作る。
「改めて、ジンベッチくん! フカスタへようこそ! どうかな? 一年ぶりに来たフカスタの感想は?」
質問を受けると、ジンベッチはゆっくりとメインスタンドを、身体の向きを変えることで見まわしてから、短い右手を挙げ、同時に左足を前に出してみせた。
晴明には動きの意図はよく分からなかったが、テンションが上がっていることだけは間違いなく、野々村に「フカスタに来れて嬉しいんだね!」との言葉を引き出させる。
身体をわずかに前に傾けるのが、どこが首なのか判然としないジンベッチが頷いた合図だ。
「どう? ライリス。今年は沖縄には行けなかったから、会うのはシーズン前に皆で集まった時以来だよね。久しぶりにジンベッチくんに会えて嬉しい?」
晴明は大きく二つ頷く。言葉通りの二つ返事だ。
ジンベッチがライリスたちの方を向いたので、晴明と鬼平はおそらくメッシュ越しに目が合った。目を逸らさないでいると、ジンベッチがその可愛らしい手を差し伸べてきたので、晴明は優しくハイタッチをした。
とことこ歩いて、ピオニンやカァイブともハイタッチをしに行くジンベッチ。
心暖まる光景に、カメラのシャッター音が花を添えていた。
定位置に戻ると、ジンベッチは野々村を手招きして耳打ちをした。
とはいっても、本当に喋るはずもなく、これも段取りの一つだ。
「なんと今日来た記念に、ジンベッチくんがエイサーを踊りたいと言っています! 皆さん、よろしいですよね!?」
沖縄サポーターが座るアウェイゴール裏だけでなく、全方向からまばらだけれど温かい拍手が鳴る。
ジンベッチは四つのスタンド全てに、恐縮だという風に身体を傾けていた。
酒巻が鈴のついていないタンバリンのような小さな太鼓とバチを、駆け寄ってきてジンベッチに渡す。ジンベッチはそれをヒレのような手で器用に掴むと、メインスタンドに再び向き直った。
「じゃあ、ジンベッチくん。準備はいいかな?」と言う野々村に、頷いてみせる。二歩前に出たジンベッチの後ろ姿が、晴明にはどこか精悍に見えた。
「それでは、ミュージックスタート!」
野々村の掛け声でスピーカーから曲が流れ始める。
いかにも沖縄を感じさせる伸びのある歌声が鳴ると、ジンベッチは手で大きく円を描こうとした。しかし、ジンベッチのヒレのような手は短いので、小さい円しか描けない。
精一杯手を動かすジンベッチが、愛おしく見えて、晴明は思わず頬を緩めた。
緩やかなリズムに合わせて、ジンベッチは踊りを続けていく。その姿を晴明は、スタンドから発生した手拍子に合わせるように、手を叩きながら見守っていた。足を広げて太鼓を叩くジンベッチ。その音は晴明が想像していたよりも大きく、上空に高らかに響いた。
最初は戸惑っていた千葉のサポーターも、慣れてきたのかどんどんと手拍子が大きくなっていく。
前後左右に大胆に動いていくジンベッチ。たった一人で、沖縄の風を千葉まで運んできており、いつの間にかスタジアム全体を味方につけていた。
芸達者ぶりに晴明は舌を巻く。躍動するジンベッチに、ただ驚嘆するばかりだった。
ジンベッチのエイサーは、二分ほどで終わった。最後の決めポーズを構えたときには、沖縄のサポーターはもちろん、千葉のサポーターからも大きな拍手が飛んでいた。
すっかり会場の心を掴んだらしいジンベッチ。振り返ったその表情もどこか満足げだ。
「ありがとう、ジンベッチくん! とっても格好よかったよ!」と野々村に言われても、照れることなく堂々としている。
その姿に晴明は、会議室に戻ったらエイサーを踊るようになったのは誰の発案なのか、鬼平に聞いてみようと思った。
その後は観戦時の注意事項を解説して、試合前コーナー、ハニファンドTVは滞りなく終わった。
しかし、ライリスたちはまだ引き上げるわけにはいかない。ジンベッチとともにスタジアムを一周するという仕事が残っているからだ。
ライリスとジンベッチを先頭にして、手を振りながらピッチサイドを歩いていく、四人とアテンドたち。
カメラを構えている人を見れば適当なところで立ち止まり、ポーズを取って応えてみせる。そんな毎試合の繰り返しが、色のいい反応を返してくれるサポーターを見ていると、晴明にはかけがえのないもののように思えた。
晴明たちは東側のメインスタンドの前で立ち止まる。いつも由香里と莉菜が座っているゾーンだ。
普段なら最前列まで降りてきてくれるのだが、この日は少しばかり様子が違った。
由香里は前に行こうとしているが、莉菜は座ったまま動こうとしていない。もしかしたら少し具合が悪いのだろうか。スマートフォンを構えることもせずに、ただライリスたちをじっと見ている莉菜の姿は、晴明には少しだけ異様に見えた。
せっかくスタジアムに来たのだから、もっとにこやかな笑顔を見せてほしいと、思わずにはいられなかった。
(続く)




