【第43話】お前なんかいなくても
渡の予想に反して、黒崎ダイアの人気は、ますます拡大していた。
芽吹は動画の投稿頻度を、週二回に増やし、隔週で生配信もはじめた。コンスタントな活動により、黒崎ダイアは人気を集め、一一月も終わるころには、チャンネル登録者数は一万人、ツイッターのフォロワー数は五万人を超えていた。
もはや一高校生がどうというレベルでは、なくなっていた。
その代わりに芽吹は、部活を週に一回以上は休むようになった。土日の活動日にも来ないこともしばしばある。
理由は本人の口からは語られていないものの、部の全員が暗黙のうちに理解していた。佐貫も泊も、芽吹が黒崎ダイアを運用していることは知っている。
本人のやりたいようにさせようという空気が、部に流れていて、誰も芽吹に毎日部活に来るようにとか、いっそ休部したらどうかとは言わなかった。
だけれど、成は芽吹がいない部室は、その高身長による存在感以上のものを、喪失していると感じていた。
期末テストも無事に終わった、一二月のある日。成は一人部室にいた。
芽吹が部活に来ない日が増えてからというもの、三人の会話は自然と減少していき、一学期のように揃って部室に行くことはなくなっていた。暖房のない部室は、手袋とコートが外せない。
佐貫と泊は二学期末の部長会議に出席していて、三〇分ほど遅れると言っていた。渡と芽吹が、いつ来るかも分からない。
成は一人息を吐く。白い息はすぐに溶けて見えなくなった。
ドアが開いたのは、一〇分ほど後だった。からっ風とともに渡が入ってくる。マフラーを巻いてポケットに手を入れ縮こまっている姿に、成ははじめて会ったときの姿を重ね合わせてしまう。
渡は芽吹と違って、全く背丈が伸びていない。時間の流れをとどめているかのようで、見ていると成は、もう高校生活の四分の一が終わるという現実から、目を背けることができた。
「お疲れ」
「ああ、お疲れ」
渡はシンプルにそう返すと、成とは反対側のベンチに座った。数秒の短いやり取りだけで、成には分かってしまう。渡の表情が浮かないことや、口調が暗かったこと。しばらく切られていない髪の毛が、ぐしゃぐしゃに乱れていたことまで全て。
渡は話しかけてはこず、ボーっと窓の外を見ていた。木に葉はもう一枚もついていないというのに。
気づまりなムードをはらいのけたくて、成は口を開く。
「ねぇ、来週はクリスマスだよね」
「それがどうかしたのかよ」
頬杖をついたまま答える渡。会話を盛り上げようという気は見られない。
「いや、渡はどうやって過ごすのかなって気になっただけ」
「どうせ、ぼっちで過ごすって言ったら笑うんだろ」
「……笑わないよ」
二人は視線を合わせることができない。お互い、心に鎧を着せていた。
「冗談だよ。家族でつつましく過ごすよ。特にケーキもチキンも食べずにな。お前はまた、手塚や根岸と遊んだりすんだろ?」
「いや、私も家族と過ごす予定。っていうか二五日、部活あんじゃん。遊んでられないよ」
「じゃあ聞くなよ」
渡が呆れた様子で言うから、そこで会話は止まってしまう。成はちらっとスマートフォンを見た。佐貫や泊が来るまで、まだ一五分以上もある。それまでこんな息詰まる空気の中で、過ごすなんて耐えきれない。
「芽吹、今日は来んのかな」
成は小さく呟いたつもりだったが、渡の視線が自分に向いたことを、はっきりと感じてしまう。
「さぁ、知らねぇ」
渡が部室に来るまでの間、成は芽吹にラインを送っていた。来るかどうか尋ねたけれど、まだ既読すらついていない。
だから渡を頼ろうとしたけれど、結果はこのザマだ。どうにもできない。
「ていうかさ、圭太いつ来るか分かんねぇんだからさ。もういないのが普通だと思って、活動したほうがいいんじゃねぇかって、思うんだけど」
「そんなこと言わないで!」
成は思わず、渡に強く当たってしまう。だけれど、その後に続く言葉が出てこない。
渡もさすがに悪いと思ったのか、「ごめん」と謝ってくる。成は「うん」とだけ言って頷く。
本当は許せていないというのに。渡ではなくて、頭のどこかで同じように思っている自分自身を。
休日の朝九時だというのに、京葉線は普段では考えられないほどに混雑していた。座る場所もなく成は、人の圧を受けながら立っているしかなかった。
だが、海浜幕張駅に着くと乗車客のおよそ八割が降車する。今日の成の降車駅もここだ。
ホームに降りても人の流れが、立ち止まることを許さない。成は川の流れに沿うように階段を下りて、改札をくぐった。大勢の人間は左折して、南口を目指す。
だけれど、成は券売機の近くで立ち止まっている一団に向かった。
今日はアクター部の、年内最後の活動日だ。日本最大級の年越し音楽フェスティバル・FAREWELL TO 2019。今日アクター部が参加するイベントである。
会場である幕張メッツェのキャラクター、マリメーに成、佐貫、渡の三人が入ることになっている。着ぐるみは三体あり、空き時間をなるべく生まない仕組みだ。
なので、今日は顧問の五十鈴も含めて、ほぼ全員が駅に来ている。激しい雑踏のなかで消えてしまわないように、成は気持ち大きめの声で、泊に話しかけた。
「いや噂には聞いていたけど、凄い人ですね。まだ開場まで一時間以上もあるのに」
「去年は四七〇〇〇人くらい来たって言うしね。今年もそれくらい来るんじゃないかな」
泊もいつもより声を張り上げている。
「マジですか。私、千葉みなと経由で来ちゃったんですけど、めっちゃ混んでたんですよ。帰りもそれくらい混みますかね?」
「まあホームは一回じゃ乗れないほどには、混むんじゃない? 成、絶対蘇我駅経由で帰ったほうがいいよ」
「はい、そうします。ところで……」
成は今一度、周囲を見渡してみる。構内に人はかなり減ったが、それでも肝心の人物は見られない。今度は声を潜めるように尋ねる。
「芽吹ってまだ来てないんですか?」
「うーん、まだみたいだね。ラインにも連絡ないし」
「ねぇ、何か聞いてる?」と泊は隣に立つ渡に尋ねてみる。だけれど、渡も首を横に振っていた。その目が少し俯きがちだったから、緊張しているのかと成は心配をしてしまう。
集合時間までに来る電車は、上下合わせてあと二本だ。
「ちょっと電話してみるね」と、泊は人の少ない北口の方へと離れていく。佐貫は五十鈴と今日の予定について話していて、話しかけられる雰囲気ではない。
成は泊の抜けたスペースに入りこむ。横目に、口を真一文字に結んで改札を眺めている渡が映った。
「何かあったのかな」
「さあな。別にアイツが遅く来るのなんて、今に始まったことじゃないだろ」
言われてみれば、芽吹は朝に強い方ではない。血圧が低く、早く起きるのが苦手だと、本人の口から聞いたこともある。
だけれど、部のラインはおろか、自分たち三人のラインにさえ、メッセージがないとなると話は変わってくる。成は芽吹に直接、どこにいるかを聞くラインを送った。
電車が止まる音。先ほどよりは少ない数の人間が降りてきて、多くが南口へと向かっていった。
「ダメ。電話もつながらない。もしかしてまだ寝てんのかな」
北口から戻ってきた泊が、スマートフォンをしまいながら告げる。佐貫がため息をついたのを皮切りに、五人には諦めにも似た匂いが漂う。
成が「いや、きっと電車に乗っていて電話に出られない状態なんですよ。次の電車で来ますって」と言っても賛同する者は、五十鈴以外はいなかった。
だが、成の楽観も虚しく、集合時間前最後の人波にも、芽吹は含まれていなかった。あわただしい人の群れが落ち着いて、改札横は諦観に支配される。
メッツェへと歩を進める人々を眺めながら、渡が呟いた。
「今日はアイツ来ないんじゃないんですか。もう時間ですし、行きましょうよ。連絡入ったら、そのときに入り口を教える形でいいじゃないですか」
口を尖らせる渡を見ていると、胸の奥底から突き上げてくるものが、成にはあった。怒りよりも、もっとあやふやなものが。
「そんなこと言わないでさ、もうちょっとだけ待ってみようよ。もしかしたら次の電車で来るかもしれないでしょ」
「少しぐらい遅れても大丈夫ですよね?」と成は佐貫に尋ねてみる。帰ってきたのは「まあ一〇分ぐらいならな」という前向きな返事だった。全員の視線が渡に向いていた。無言で説得された渡は「分かりましたよ」と渋々納得していた。
結局、芽吹がやってきたのは、集合時間を二本過ぎてからの電車だった。時間にして一五分遅刻。
苛立ちはあったが、成の中では無事に来てくれたという安堵の方が勝る。説教は佐貫がやってくれるだろうし、何度もすみませんと謝っている姿を見ると、頭ごなしに責めることはできなかった。たとえ、手ぶらで来ていたとしても。
六人は、すっかり人が少なくなった構内を歩き出してメッツェへと向かう。歩道橋の階段を下る前から、入場口に並ぶ列ができていた。会話に勤しむ者やイヤフォンの音漏れが重なり合って、そわそわしたムードを作り上げている。
成は関係者通用口へと向かう自分たちを、少しだけ申し訳なく感じた。
珍しく渡が前から二番目を歩いている。後方にいる成や芽吹のことを、振り返ろうとはしなかった。
前を歩くアテンドが白色の鉄扉を開けると、冬の匂いが目から成の身体に入り込んだ。まだ入場前の来場者は厚着のままで、葉が散ってしまった垣根と季節外れの花壇の健気さが、成に季節を思い出させる。
着ぐるみの中は夏も冬も関係ない。中に入る成は黒の長袖Tシャツ一枚、上に着るベストには保冷剤を仕込んでいる。循環する熱の逃げ場は、ほとんどない。
だけれど、歩くたびに足から昇ってくる冷たさが、幾分マシだと伝えてきて、成は今日最初の出番を、全うしようという気になっていた。
成はアテンドに連れられて花壇の側へと歩いていく。来場者の邪魔にならない位置に立ち、足を肩幅に開いて、右手を振った。
マリメーは羊をモチーフにしたキャラクターだ。手を振るたびに、羊毛を模したポリエステル繊維が寒気に触れて、ひゅうひゅうと小さい音を立てる。成にはその音が、自分を奮い立たせる鉦の音のように感じられた。
マリメーの人気は、成が想像していた以上にあり、特に若い女性が多く近寄ってきていた。
あまりにも可愛い可愛いとチヤホヤされるので、成は自分が有名人になったような感覚を味わう。フラッシュを焚かれるたびに、舞台に上がる俳優たちは、こんなこそばゆいような思いをしているかと感じる。
だけれど、余韻に浸る暇もなく、開場して間もない入場口付近は、次々と人が押し寄せてくる。
かつてない人数の応対をすることは、成には一苦労だったが、一九時に部活が終わり、その後は自由に会場を周ることができると聞いている。好きなバンドのライブを見ることができると思うと、額に汗を浮かべていても笑顔で対応できる。
外まで伸びていた入場列がようやく動き出す。成は左手も上げて、両手を大きく空にかざした。
着ぐるみを脱ぐ。と同時に、泊がフェスティバルの名前が縫われたタオルを渡してくる。
「風邪ひくといけないから早く汗拭いて」というアドバイスに成は小さく頷いた。素早く汗を拭いて、黒のベンチコートを羽織る。まだ服の下ではじわじわと汗が滲みだしていたが、少しの辛抱だ。何も感じなくなるまで待てばいい。
ブルーシートの上では、佐貫がスタッフと芽吹に、別のマリメーを着せられている。泊は成が脱いだ着ぐるみを消臭していて、渡は会議室の上部に備え付けられたモニターを、ぼんやりと見上げていた。まだライブは始まっていないというのに、微動だにしていない。成が隣に座っても目配り一つくれない。
「誰か好きなミュージシャン出てる?」と話を振ってようやく反応を示してくれたけれど、乗り気ではないのは明らかだった。
着用を終えた佐貫が、会議室を後にする。泊と五十鈴は弁当を調達しに一緒に出て行ったので、部屋には一年生三人しかいなくなった。
芽吹は視線を浴びながらも、返すことはなく、足早に二人とは反対の席について、机に伏せた。冬休みに入ってからというもの活動続きだったので、疲れているのだろうか。
自分たちのほうがよっぽど疲れてるんだけどなと思いつつ、成はスポーツドリンクを飲もうとする。
その瞬間、渡が席を立って芽吹のもとへと歩き出したので、成は少しスポーツドリンクを机にこぼしてしまう。リュックからハンカチを取り出して拭いている間に、渡はすでに芽吹の前に立っていた。
嫌な予感がした成が席を立つよりも早く、渡が吐き捨てるように発した。
「おい、何寝てんだよ。起きろよ」
渡の拳は強く握られていて、今にも振り落とされそうだった。成は二人のそばに駆け寄り、制止しようとする。腕を引っ張って引きはがそうとしても、渡は頑なとして動かなかった。
「お前、集合時間に遅れてきて迷惑かけた上に、中に入ってる俺たちを差し置いて、昼寝する気かよ。頭どうかしてんじゃねぇのか」
「ちょっと、渡やめなよ。芽吹だって着付けとか、がんばってくれてるんだから、そこまで言う必要ないんじゃない?」
会議室の外からはライブを待つ観客のざわめき、が小さく聞こえてくる。どこまでも楽しそうで、今の自分たちとは大違いだ。
成は無理やり渡の前に入って、体を押した。身長のわりに薄くない胸板は、やはりなかなか動こうとはしない。
「そんなに眠いんなら家帰って寝てろよ。お前なんかいなくても泊先輩もいるんだし、大して困んねぇんだからよ」
響いたのは頬が波打つ音だった。成の右手にじんじんとした感触がはりつく。後ろでかすかに物音がした気がしたけれど、振り返ってみても、芽吹の姿勢は変わっていなかった。
ドアが開く音。人数分の弁当とお茶を持った泊が「お疲れ~」と呑気な声を出していたが、三人を見てはたと立ち止まってしまう。
成と渡は互いに目配せもせず、何事もなかったかのように机に戻る。弁当を食べる気にはなれず、座って無地の壁を眺めることに成は終始した。
泊が「何があったの?」と聞いてきても、「別に何もないですよ」とはぐらかす。だけれど、手に残るかすかな痛みは数十秒前に起こった出来事を、現実のものとして成に突きつけてきていた。
一二時ちょうどになって、モニターはライブを映し出す。熱心に演奏するバンドと盛り上がる観客を、成は何の感情も持たずに眺めていた。
(続く)




