【第42話】とんでもないことが起きたかもしれない
ビッグサンダーマウンテンを降りたとき、成はあまりのスリルに足が震えていた。
微笑む泊をよそに、芽吹は優しく声をかけてくれる。気遣われているうちに、足の震えは収まり、成は次のアトラクションに向かえるようになっていた。
一人だったら立ち直るのに、もっと時間がかかっていたことを考えると、部活に入ってよかったなと感じた。
レストランでの話し合いの結果、五人は午後はアドベンチャーランドに移動して、ジャングルクルーズへの乗船から始めることに決まった。
ヤシの木が生え、おとぎ話みたいな家々が並ぶアドベンチャーランドの深くに、ジャングルクルーズの入り口はある。待機スペースに収まらないくらい人が並んでいて、五人はしばらく待たなければならなかった。
三〇分ほど待つと、五人の前にも少し古びた船が見えてくる。五人は乗ろうとしたが、探検服を着たキャストに止められてしまった。
「ゲストの皆様は、五人一緒でのご乗船でしょうか?」
「はい、そうですけど」と一番前にいた芽吹が答える。キャストは、相好を崩さないまま口にした。
「ただいま、席が残り二つしか空いていませんが、いかがなさいますか?」
成が見ると、確かにかなりの人数が乗船していて、船は一番後ろだが空いている状態だった。
芽吹とその隣にいる渡が振り返ってくる。頼るような目で見られても、成には答えようもない。
「もし、次のクルーズにお乗りになるなら、一五分ほどお待ちいただきますが」
船からいくつかの視線が、五人に向けられている。早くしろと言わんばかりに。
「どうします?」と芽吹が聞いてきた。泊がとっさに答える。
「先に二人で乗ってきなよ。私たちは待ってるから」
「いいんですか?」
「いいのいいの。別に逃げるわけじゃないんだから。二人で一足先に楽しんできなよ」
泊が言い切ってもなお、渡は迷っていたが、芽吹はいち早く泊の提案を受け入れ、キャストに「二人で乗ります」と伝えていた。
そのまま渡の腕を取って、船へと向かっていく。慎重に船へと乗る二人を、成はロープの内側で眺めていた。
船長役のキャストの軽快な合図で、船は動き出す。何人かの乗客がこちらに向かって手を振ってきてくれたけれど、渡と芽吹の座った席は、乗り場から遠い席だったので、特に手を振ったりはしてくれなかった。
船はカーブを曲がって、完全に見えなくなる。戻って来るまでの間、成たち三人は他愛のない話をして、時間を潰した。
ところどころ仕掛けがあるのか、乗客の陽気なリアクションが乗り場まで聞こえてきて、三人は「どうなってるんだろうね」と笑っていた。
やがて一〇分ほどして、船が戻ってくる。出発とは逆の向きで船は乗り場に戻ってくるから、今度は渡と芽吹の顔を見ることができる。
だが、二人は一言もしゃべらず、ただ降り口の方を見つめていた。特に近い方の渡の横顔は、汚水を見ているようだ。
キャストの「ありがとうございました」との合図にも軽く会釈をするだけで、二人は早々に出口へと向かっていく。成たちの前を横切るときも、渡は足を止めることさえしなかった。
同じように、芽吹も足早に成たちの前を通り過ぎようとしたので、成は思わず声をかける。
「どうしたの? 楽しくなかったの?」
「いや、楽しかったよ」
芽吹の口調は吐き捨てると言った方が相応しく、気に入らなかったという感想を、隠しきれてはいなかった。
「大丈夫? もしかして、船に酔ったとか?」
「いや、別に何ともないです。入り口の正面にある木のところで待ってますから、どうぞ言ってきてください」
心配する泊にも、素っ気ない対応をして、芽吹は出口へと消えていく。
不可解に思った成も、ロープが開くと、キャストに促されるまま、船へと向かう。座席はまだ前の人の感触が残っていて温かい。
他のゲストが乗船している間、成はずっと出口の方を見つめていたが、渡や芽吹が戻ってくることはなかった。
一〇分間のジャングルクルーズは、船長役の軽妙なトークや、滝の裏側を通るなど趣向が凝らされていて、成にとってはちゃんと楽しく思えた。隣に座った泊がいちいちリアクションをしていたこともあり、船の雰囲気も悪くはなかった。
それだけに渡や芽吹が不機嫌そうな顔をしていたことが、成には引っかかる。ただ単に相性が悪くて、楽しめなかっただけならいいのだが。
三人が出口を後にすると、渡と芽吹が木の下で待っていた。
だけれど、二人の間の距離は一メートルほど空いていて、お互いに一言も発していない。ワイワイ話しながら出てきた三人とは対照的で、思わず成はその口を止めてしまう。
二人とも出てきた三人には気づいていたけれど、一瞥しただけで、またスマートフォンに視線を落としてしまっていた。
「えっ? マジでどうしたの? やっぱ何かあったでしょ?」
成は二人に問う。だけれどどちらも答えないから、照りつける太陽だけが暑い。佐貫も泊もどちらにつけばいいのか、決めかねている。
口を開いたのは芽吹だった。
「やっぱって何だよ。何かあったって勝手に決めつけんなよ」
成よりも柵に寄りかかっている芽吹の方が、まだ背が高い。見下ろす視線に、成は睨まれているように感じてしまう。出会った頃にはなかった感覚だ。
「それより、次はウエスタンリバー鉄道に乗るんだろ? 早く行こうぜ」
そう言って、芽吹は成たち三人の間を突っ切って、ジャングルクルーズの隣の乗り場に向かっていった。三人はただついていくのみ。
後ろから渡がついてくる足音が聞こえた。成が振り返るとこんなにも暑いのに、渡はズボンのポケットに手を入れて、いつもより小さい歩幅で歩いていた。
乗り場にはちょうど緑色の列車が到着していて、五人はすぐに座ることができた。
芽吹がいち早く端の席に座り、それに呼応するかのように、渡がその一つ後ろの一番離れた席に座った。
やはり何かあったに違いない。成はそう思いながらも、佐貫が渡の隣に座ったので、そっぽを向いている芽吹の隣に座る勇気は出ず、結局泊と一緒に渡の前の席に座った。
成はムードを回復させるために、渡にこの列車の名前は何と言うのか聞いたが、返ってきたのは「ミズーリ号」という機嫌悪げな一言のみだった。
急速に気まずくなった五人を乗せて、列車は動き出す。入念に手入れされた自然も、成にはあまり目に入ってこなかった。
それからというもの、芽吹は毎日部活には顔を出していたものの、渡と話すことは明らかに減っていた。話しても部活に関係がある、最低限の会話のみだ。席も二学期に入っての席替えで、二人の席は前と後ろに、キッパリと分かれてしまっている。
二人の間に挟まれて、成はどこか落ち着かない日々を過ごしていた。
日々はどんどんと過ぎていき、成が気づいた頃には制服は冬服に戻り、部活の活動時間も三〇分短くなっていた。三人が違う現場に行くことも多くなり、精神的距離は緩やかに離れていっていた。
「今日は来れてよかったね」
テナントを出るやいなや、成は横を歩く手塚と根岸に話しかけた。三人の手には膨らんだビニール袋が提げられている。廊下に流れるポップな洋楽。
この日、三人は駅前の百貨店に来ていた。偶然、部活の休みが重なったので、買い物にでも行こうと、成が言い出したのだ。
「やっぱ、この時期だと秋物は安くなるよね。良いのが残っててよかったよ」
「あーちゃん、慎重に選んでたもんね。ニットとかプリーツとか色々見比べてたし」
「服は人となりを表すからね。そりゃ慎重にもなるよ」
「そのわりには、最後これが半額だからって値段で決めてたじゃん」
「それはしょうがないでしょ。私たちバイトとかしてるわけじゃないんだし。かおるんだって値札見て決めてたでしょ」
「まぁね。でも、私は自分の感覚を大事にしてるから。なんか見た瞬間に、いいなってピンと来ちゃうんだよね」
「確かにかおるん、決めんの速かったよね。でも、ベージュのパーカーとか、大きめのデニムとかちゃんと似合いそうなの選んでた。どうやったらそんなことできるの?」
「うーん、なんだろ。生まれつきのセンス? 天性だったりすんのかな」
「ちょっとは謙遜しなよ」
手塚が突っ込むと三人の間に、小さな笑いが生まれた。成にとっては抱きしめたいくらい大切な光景だ。足取りも軽くなる。
一階へと昇るエスカレーターを降りると、ショーウィンドウに並べられた洋菓子が目に飛び込んできた。
「ところで、南風原さん。ご飯どうする? もうお昼近いけど」
「うーん、私としてはいつものカフェに行きたいんだけど、二人はどう?」
成の提案に二人は反対しなかった。きらびやかな店内を、成はかかとを鳴らして進んでいく。
すると、カフェの前で、ポケットに入れていたスマートフォンが振動した。成が見ると、アクター部の一年生のライングループに、芽吹からメッセージが届いていた。
〝ちょっととんでもないことが起きたかもしれない!!〟
文面が気になって、成はラインを開いてすぐに既読をつけた。そして、瞬く間に既読は二つに増える。
返事を入力する暇もないまま、芽吹は畳みかけるようにスタンプを送ってきた。いつか聞かされた人気Vtuberが、両手を上げて喜んでいるスタンプだった。
「南風原さん、どうしたの? 早く入ろうよ」
根岸に指摘され、自分が画面を食い入るように見つめていたことに成は気づく。「いや、なんでもない」と笑いながら答えて、再びスマートフォンをポケットにしまった。
三人が席について、昼食のワッフルとドリンクを注文している間にも、成のポケットの中ではスマートフォンが揺れ続けていた。
さすがに手塚も根岸も見なよと、視線で促してきたので、成は再びスマートフォンを取り出す。渡が相槌を打ち、芽吹がURLを貼ることで答えていた。
〝このブログで黒崎ダイアのことが紹介された!〟
成がラインを開いてURLをタップすると、アイドルグループの公式ブログにつながった。書いている女性は知らないが、グループ名ぐらいは成も聞いたことがある人気グループだ。
「最近はまっているもの」と題して、コンビニスイーツや少女漫画と並んで、黒崎ダイアの名前が挙げられている。
〝今までいそうでいなかった、書道系バーチャルYoutuberです。可愛いだけじゃなく、書の歴史も分かりやすく教えてくれるので、とてもためになります。影響されて、私も筆を執ってみました。〟
成の知らない漢字をしたためる、アイドルの写真。なんて書いてあるのかは分からないが、とにかく黒崎ダイアが紹介されたことには間違いない。
テレビの向こうにいるアイドルが、自分たちと繋がったような奇妙な感覚を、成は抱いた。
〝これってステマじゃないよね?〟
〝いや、全然。俺もツイッターで指摘されてはじめて知った。それでさ、昨日から再生回数の伸びが凄ぇんだよ。軽く引くぐらいに〟
成はアプリをYoutubeに切り替える。老婆心で黒崎ダイアの動画は何回か再生しているから、自然と一番上に来るようになっている。
だけれど、一週間前に見た数字とは、文字通り桁が違った。特に、最初に投稿された自己紹介動画の再生回数は、もう二万回に上ろうとしている。先週までは九〇〇回くらいだったのに、有名人のパワーは絶大だ。
昨日までほとんど存在していないに等しかったのに、まるで急に発見されたみたいだ。
その現象に、成が最初に感じたのは歓喜だった。
芽吹は毎日というわけではないが、少なくとも週に一度は動画を投稿してきた。再生回数が伸びなくても、めげずにこつこつと。
成には芽吹の努力が報われた気がして、自分のことのように嬉しかった。
〝めっちゃバズってんじゃん!〟
〝俺もここまでとは予想してなかった。水崎さんには本当に感謝しなきゃ〟
〝これで黒崎ダイアも人気Vtuberの仲間入りだね! これから忙しくなるんじゃない?〟
〝まぁ学校もあるし、支障の出ない範囲でがんばるよ〟
手塚に「どうしたの?」と聞かれて、成は自分が思っている以上に、にやついていたことに気がついた。
だけれど、バズりを経験できる人間はほんの一握りだ。注目を浴びることは喜ばしいことだ。そう思えるのは、それが他人に起こったことだからだが、このときの成はバズることを、絶対的な善だと考えていた。
根岸の不思議そうな顔も、気にはならない。
だけれど、渡からの反応がないのは気がかりだ。最初に相槌を打って以来、渡は一度もラインを送っていない。
言葉に迷っているのだろうか。シンプルに「おめでとう」でいいのに。
成はスマートフォンを机に置いて、先に届いた紅茶を口にする。鼻腔に昇ってくる酸味を感じていると、またスマートフォンが振動した。
〝あんまり浮かれすぎんなよ。どうせ明日になれば、黒崎ダイアのことなんて、みんな忘れてるんだからよ〟
渡からのラインは、辛辣なものだった。成は無意識のうちにまたスマートフォンを手に取る。
〝なに、その言い方。渡は黒崎ダイアがバズったの嬉しくないの?〟
〝バズったのは黒崎ダイアじゃなくて、その水崎っていうアイドルの力だろ。俺には黒崎ダイアが、他の何万再生されてるVtuberと同じだけのクオリティを備えてるとは、思えねぇんだけど〟
そこまで言う必要はあるのか、成には疑問だった。冷や水をかけるにしても、度が過ぎていないだろうか。
だけれど、当の芽吹は〝確かに今回のバズは完全にラッキーだけれど、これからはこの再生回数に見合うVtuberにしていくようがんばるわ。教えてくれてサンキューな〟と、あくまで感謝を示している。
成には舌の裏がざらつく感じがした。何だろう。この上手くいっているのに、何かを置いてきぼりにしているような感覚は。
妙な心地の悪さを覚えたまま、成はバッグからワイヤレスのイヤフォンを取り出す。そして、話している手塚と根岸に渡した。
「二人とも、ちょっと見てほしいものがあるんだけど」
二人は、成に渡されるままイヤフォンを受け取って、耳に装着した。
成は黒崎ダイアの動画を再生する。現在進行形でバズっている自己紹介動画だ。スマートフォンは二人の方に向けているので、動画が流れている間、成は審査されているような緊張感を味わう。
二人がイヤフォンを外した。動画が終わったらしい。
「ねぇ、このVtuberどう思う?」
「可愛いんじゃない? 着物も似合ってるし」
「やってたの書道でしょ? ギャップがあって面白かった」
二人の肯定的な感想に、成は一息つく。礼を言いながらイヤフォンを受け取っていても、どこか強張った感覚は抜けない。
だが、その正体を探ることは、運ばれてきたワッフルに中断される。クリームがかかっていて、フルーツもてんこ盛りだ。黄色い声をあげる三人。口に運ぶと、柔らかい生地に上品な甘みが心地いい。
口にしているうちに、成の中からは疑念が、姿を消していなくなっていた。
(続く)




