【第20話】サポーターっていうのは
蘇我駅の改札をくぐると、成と五十鈴が待っていた。親しげに話していて、傍から見たら親子に見えるのではないかと晴明は思う。
それに、以前来たときにはあまり気にならなかったが、この駅はハニファンド千葉のチームカラーである赤一色だ。床にはチームロゴがプリントされ、いくつもフラッグが提げられて、二人が立つ横には、でかでかと握手がモチーフのエンブレムが躍っている。
ここがスタジアムの最寄り駅であることは、誰の目にも明らかだった。
「おはよう、似鳥」
成は手を挙げながら、午前一〇時にふさわしい挨拶を繰り出してきた。五月なのに英字のTシャツ一枚という軽装と、膨らんだリュックのアンバランスさが少しおかしい。
隣の五十鈴も、続いて挨拶をしてくる。「似鳥君」という言葉の持つ穏和な響きが、晴明の心をほぐした。
「おはようございます。先輩も先生も早いですね」
「そりゃ先輩が遅刻してたら格好がつかないからね。それより似鳥、ちゃんと着替えとタオル持ってきた? 今日は貸してあげらんないよ?」
「大丈夫です。どちらも二枚ずつ持ってきました」
「ならよかった」
「似鳥君、今日は一七時過ぎまでかかるけど、ちゃんと両親の承諾は取ってきてあるのよね?」
「はい、親には練習にそれくらいかかるって言ってあります」
「え? 今日は練習じゃなくて、本番だけど? 似鳥、親になんて言って出てきたの?」
「あの、実は色々あって、演劇部に入ってることになってるんです」
晴明の言葉に、二人は顔を見合わせる。アイコンタクトに込められた意味は晴明には分からない。
背後で、電車の到着を知らせるアナウンスが鳴る。
「まあ確かに説明するの面倒くさいもんね。ウチの親も一回じゃ理解してくれなかったし。でも、早いうちにちゃんと言っといた方がいいよ。あまり大事にならないうちにさ」
「はい、そうします。ところで……」
「ところで、何?」
晴明は振り返って状況を確認した。改札をくぐってくる人の中には、赤いユニフォームを着た人が少なくない。その中に、部員の姿はなかった。
集合時間に間に合う電車は、もうない。
「今日は本当に僕たちだけなんでしょうか……」
「そうですよ。今日は南風原さんと似鳥君と私の三人だけです。昨日のミーティングでも言った通り、他の部員には幕張のイオンモールでのイベントに行ってもらってますから」
五十鈴の言葉は優しかったけれど、晴明に現実を突きつけてくる。成が首を傾げながら聞いてきた。
「もしかして似鳥、フミがいないと心配なの? 入部してからフミと別々の場所に行くのって、今日がはじめてだもんね」
「そ、そんなんじゃないですよ」
「大丈夫だって。誰にも言わないどいてあげるから」
この先輩は自分と桜子の関係を邪推している。そう晴明は思ったが、駅に向かう時でも、電車に座っている時でも、桜子が隣にいないのは、何だか妙な感じがしたので、強く否定もできなかった。
上機嫌な先輩に水を差さないよう、無理して笑顔を作る。
「じゃあ、行きましょうか。二人ともついてきてください」
五十鈴の合図で、三人は西口へと歩き出す。
構内を抜けると、夏を先取りするかのような太陽が、三人を力強く照らした。
スタジアムへと向かう道は、以前来た時よりも格段に人が少なく、広い歩道を三人で並んで歩くことができた。それでも、赤いユニフォームがちらちらと先を歩いている。成によると、入場は試合開始の二時間前で、この時間帯に来ているということは、よほどハニファンド千葉が好きらしい。
晴明には、そこまでして情熱を傾けられるものがある彼ら彼女らが羨ましかった。
道の途中にはコンビニエンスストアもあった。窓には選手が写ったポスターが貼られている。
「似鳥、何か買っておくものない? スタジアムに入ったらなかなか外出られないから、買うとしたら今のうちだよ?」
特に買いたいものもなかったが、「今のうち」という言葉に押されて晴明は頷いた。
成は店内に入ると、一直線にドリンクコーナーへと向かっていき、一番下の段から二リットルのスポーツドリンクを手に取る。その手つきがあまりに自然すぎて、晴明も続けて同じスポーツドリンクを買い物かごに入れた。
月のはじめに比べて気温は五度ほど上がっているし、今日は夏日の予報だ。手にのしかかる重さが、待ち受ける重労働を予感させる。
ふと思い出し、晴明は制汗剤もかごに入れた。無難に前回、成が使っていたものと同じ銘柄を選んだ。
次は自分も学校指定のカバンではなく、リュックを背負ってこようと、晴明が考えているうちに、スタジアムが見えてくる。
スタジアム前の広場の賑わいは、以前来たときの一〇分の一といったところだろうか。
紺色の簡易テントのもと、統一感のない服装の人々が、出店の準備を進めている。
客席へ向かう階段の側にはいくつかビニールシートが敷かれていて、五十鈴が言うにはいい席を確保するために、早くから並ぶ人が一定数いるらしい。
言うなれば、花見の場所取りみたいなものと、成が目を細めながら呟く。
彼ら彼女らは今何をしているのかと聞くと、スタジアム内で横断幕を張っているとのことだった。
三人はまっすぐ関係者受付に向かっていく。年配の警備員に止められたが、五十鈴が入場許可証をカバンから出して用事を説明すると、快く通してくれた。
入り口をくぐると、赤地に黒のラインが入ったピステスーツを着た筒井が、三人を迎えた。
「五十鈴先生、南風原さん、似鳥さん、おはようございます。今日もよろしくお願いしますね」
筒井に晴明は挨拶を返そうとしたが、成に止められてしまう。「横に並んで」と言われ、隣に立つと小さな声で「せーの」と声をかけられる。二人分の「よろしくお願いします」が入り口に響いた。
筒井は黒いクリップボードを手にして、穏やかに頷いている。
「筒井さん、今日もよろしくお願いします。似鳥君は今日が初めてのスタジアムですので、私もサポートしますが、いつも以上に注意深くアテンドしてあげてください」
五十鈴に促されて、晴明はおずおずと頭を下げた。まだ何もしていないのに、喉が渇いてくる。スタジアム内はピステスーツを着たスタッフや、黄色いビブスをつけたボランティアが何人も行きかっていた。
まだ試合開始までは三時間半もあるというのに、バックヤードは一瞬も止まることなく動き続けている。
筒井に案内されて通されたのは、以前訪れたときと同じ会議室2だった。ドアを開けてすぐ、ブルーシートの上に置かれたライリスとピオニンの着ぐるみが目に入る。
いざ目の当たりにすると、晴明の気持ちはぐっと引き締まった。
荷物を部屋の隅に置くと、椅子に座る間もなく、筒井からプリントが配られる。
晴明には追加でもう一枚。四人は着ぐるみの前で輪になった。
「では、簡単に説明をします」
筒井の声を聞きながら、晴明はプリントに目を落とす。
「本日はSJリーグ二部第一六節、京都サンクスとの試合です。キックオフは一四時。先行入場は一一時四五分からで、一般入場は一二時からです。ライリスとピオニンには一一時から二〇分の場外グリーディング、一一時四五分から三〇分間のお客様のお出迎え。選手の後に続いて入場。ハーフタイムに、試合終了後は選手と一緒に挨拶。終了は一六時三〇分となる予定です。あとは状況を見て、ピッチへの登場も随時行いたいと考えています」
プリントに書かれている予定が、筒井によってそのまま読み上げられる。晴明の想像以上に出番は多い。
休憩は適宜挟まれているが、体力が持つかどうかは不安だ。
「ハニファンド千葉はただいま三連敗中で、順位も一四位と下降しています。もしかしたら、気が立たれているお客様もいらっしゃるかもしれませんが、入場の際には元気づけるためにも、いつも以上に明るい動作を心掛けてください。それと、一一時からの場外グリーディングですが、本日は京都からも三〇〇人ほどのサポーターがいらしています。もう何年も一緒にやっている相手なので大きな心配は不要と思われますが、京都の青紫のユニフォームを着た方にも千葉のサポーターと変わらない対応を心掛けてください」
「あの、すいません」
「どうしました、似鳥さん?」
「ちょっと気になることがありまして。サポーターって何なんでしょうか?」
晴明の質問に、さすがの筒井も目を丸くした。まさかそこに突っ込まれるとは思っていなかったらしい。隣にいる成が晴明の袖を引っ張った。口を耳に近づけながら言う。
「サポーターっていうのは、クラブをとりわけ熱心に応援しているファンの人のことね。前の日は何をしていても試合のことが頭から離れなくて、試合中は形にかかわらずチームの勝利を願って、勝っても負けてもスタジアムの空気に触れて、エネルギーを持ち帰っていく。そういうクラブが生活の一部分に組み込まれている人のことを、サポーターって言うの」
しみじみと語る成。筒井が頷いていたので、その解釈はあながち間違っていないようだった。
晴明の視線の先には、窓越しにピッチ、そして客席が見える。薄いオレンジ色の椅子が、座られるときを待っている。
「それと言い忘れていましたが、水分補給はこちらでも麦茶を用意しますので、ご自由に行ってください。昼食は入場の対応が終わった後に弁当が出ますので、そちらをいただいてください。加えて、会議室から外に出るときは、ボランティア用の黄色いビブスを、必ずつけていただくようお願いします。私からは以上ですが、皆さんから何か質問はございますか?」
「すいません、一ついいですか?」
発したのは成だった。引き締まった空気が、少しだけ緩む感じがする。筒井が促すと、成は顔を上げて話し始めた。
「今日って京都のみやびちゃんは来るんでしょうか?」
「今日は来ないと聞いています」
「そうですか。みやびちゃん、可愛いんで会いたかったんですけどね」
小さく肩を落とす成を、五十鈴が簡単に励ましている。他に質問は出なかった。
「では、私は運営本部に少し用事があるので、これで。一〇分後には戻ってきますから、そうしたら着替えを開始しましょう」
簡単なミーティングが終わり、部屋の空気が少しだけ落ち着いた。成はわずかな待機時間にも体力を温存しようと、パイプ椅子に座っている。
文庫本を開いているが、ページを捲るペースは文章を読んでいるとは思えないほど速い。
晴明はその様子を眺めてから、再び着ぐるみに目を向ける。数一〇分後には、自分はこの中に入って人前に出るのだ。今は床に置かれているライリスの頭。その瞳が、自分に決意を問いかけてくるようだった。
晴明がその場を動けないでいると、まだ部屋に残っていた筒井が話しかけてきた。
「似鳥さん、今日がスタジアムデビューということですけど、ちゃんとマニュアルは持ってきましたか?」
「はい、今カバンの中にあります」
前回、晴明がライリスの中に入ったときは、急だったので筒井から口頭でしか注意事項を伝えられなかった。
しかし、本来、ライリスとピオニンには六ページにわたる使用マニュアルがある。晴明は一昨日、泊から受け取っていた。
服装も黒い長袖のハイネックに、下は学校指定ジャージを持参している。
「なら、大丈夫です。出番までにもう一度確認しておいてくださいね。それと、サインはトイレに行きたいときは背中を二回、具合が悪くなってきたときは背中を三回叩くでいいですか?」
晴明は頷いた。
着ぐるみは喋れないので、緊急事態用のサインをあらかじめ決めておくこと。それもマニュアルに書いてあった注意点だ。
「じゃあ、さっきも言った通り、待機でお願いします。すぐ戻ってきますので」
そう言うと、今度こそ筒井は会議室から出ていった。晴明は成の真正面の席に座って、マニュアルに目を通す。
動きはオーバーアクション。子供と接するときは目線を合わせる。
成や筒井、それに樺沢に言われたこととほとんど似たようなことが書いてあった。六ページしかないので、二分もせずに読み終わる。
筒井から配られたもう一枚のプリントを、晴明は手に取った。描かれているスタジアムの構内図を、頭に入れようと目を凝らしていると、前から文庫本が置かれる音がした。
何の反応も示さない晴明を、成がまじまじと見つめている。
「どう? 似鳥。試合日は初めてだけど緊張してる?」
晴明が目線を上げた隙を狙って、成は言葉を挟みこんでくる。先輩の言葉は無視できない。
「緊張もしてますけど、それ以上に心配の方が大きいです。前回みたいに見向きもされなかったらどうしようって」
晴明の吐露を成は笑わなかった。同意するように頷き、これから入るピオニンの着ぐるみを一瞥して、再び晴明に視線を戻す。
細められた目が、安心していいと語りかけてくるようだ。
「それは大丈夫だよ。だって、これからのグリに参加してくれる人たちは、ライリスとピオニンに会いに早く来てくれてるんだよ。この前みたいに無視されることは絶対にないし、むしろ向こうから近づいてきてくれる。きっといいグリになるよ。まだ経験の浅い似鳥に必要なのは、求められるってことだからね」
求められるという言葉の響きを晴明は噛みしめていた。ここ最近、アクター部以外で打算抜きにその言葉を贈られたことがあっただろうか。
透明にはなりたいけれど、誰からも無視されたいわけではない。一見相反するように思える感情が、晴明の中では同時に存在していた。
「でも、気を付けてね。今までライリスの中には、笹川さんや私が入ってたけど、急に似鳥に代わって動きが小さくなると、『元気がないな。どうしたんだろう』って心配されちゃうから。はじめはぎこちなくてもいいから、大きな動きを心がけてね。大丈夫。疲れたら私が代わりにライリスの中に入るから」
成が右手を出して親指を立てた。その姿が一才しか違わないのに、とても頼もしく見えて、晴明は思わず笑みをこぼす。
成も釣られて笑い、二人を見る五十鈴も、また穏やかな顔をしていた。
会議室のドアが開く。筒井が宣言よりも三分も早く戻ってきた。後ろには市村もいる。
筒井は部屋を見回すと、一つ頷いて告げた。
「じゃあ、ちょっと早いけど着ましょうか」
晴明は席を立つ。歩き出す度に、期待と不安が徐々に大きくなっているのが分かった。
(続く)




