孵る
処方された薬の量が異常なほど多かった理由が分かった。
どうしようもなく痛い。
痛くて、吐き気を催し嘔吐することもしばしばあり、鎮痛剤に頼らなければまともに生活できなかった。
そのうち異常な量の薬の大半が胃薬であるということも程なくして判明した。
そんな生活も1週間ほどで落ち着いて、今は背の高い椅子に座ってキッチンで料理を作ることもさほど苦ではなくなった。
レイに任せてもいいのだけど、彼は塾で授業をしなければならなかったし、ローリエには「料理」という概念すらなかった。これには驚きを通り越して恐れ入った。
「姉さん!なんてことしてくれたんだ!」
ローリエが自ら自己紹介しドラゴンであるということを明かしてしまったということはわりかし早い段階でギアにバレてしまい、彼は怒りや驚愕を含めた悲痛な叫びを上げた。
「うーわーあーうーわーあー」
今も呻いている。かろうじて人間の言葉だと思われるが、ただ呻いているだけだとドラゴンが呻いているように見えなくもない。
レイとの接し方に悩んでいるのだろうとおおよその見当はつく。こそばゆいことこの上ない、皮膚の下がむずがゆくなるような気恥かしさと格闘しているはずだ。
夢でうなされているのだとしたら彼は相当追い詰められている。が、多分起きているだろう。
ギアの前では毅然とした態度でいるが、レイも似たり寄ったりな状態らしく、塾のトイレで奇声を上げていたとマーティが教えてくれた。
マーティは私とシュトの事情聴取のために一度家に訪ねてきた。
それからマーティのすすめで、医療隊のカウンセリングを受けることになった。
自分でもそれがいいと思った。痛みにうなされ悪夢を何度も見た。
はじめは、鏡で自分の姿を見る事さえできなかった。真っ白な老婆のような髪は痛みの象徴だった。
大切なドラゴンが血にまみれる姿、目の前で人が殺される場面、足を折られた時の絶望…。
何度も何度も夢に出てきては悲鳴を上げて飛び起き、ローリエの肩を借りて泣いた。
このままでは精神が壊れる。
脆弱な心が壊れる。
正常な反応だと言われたけど、それではシュトのとなりにいる意味が無い。
…そう言えば、
「…シュトとまともに会話してないな…」
痛みに苦しんで誰ともまともに会話が出来なかったのだけど、シュトと会話をしていないシュトが近くにいない、ということは今まで経験したことがなかった。
シュトはローリエに連れられて外に出ている。
シュトとは、早いうちにちゃんと話しておかなければならなかった。
「ふあばいばあ」
「…おかえりなさい?」
玄関が開いた直後に幼い声が響いた。しかし「ふあばいばあ」とは何だろう。自分が知りうる限り人間の使う言語のどれにも属さないぞ。
シュトは最近人間の言葉を積極的に使うようになった。ローリエもさほど問題はないと言っていたし、それならばいいか、ということで落ち着いている。
シュトは珍しくギアの所でもストーブの前でもなくキッチンに入ってきた。
背の高い椅子に腰かける私の近くで行儀よく座って私の方を見ている。
どうしたのかとちらっとシュトを見ると玄関からまっすぐくっきりと足跡が続いているのが見えた。
「あっ!シュト、ちゃんと足拭かなきゃだめでしょ!」
「ふぉんあおあほへひひほん!」(訳:そんなのあとでいいもん!)
いったい何と言っているのかますます分からない。鍋を火から外して、シュトの方に向き直ると、大量の草を口にくわえていた。どうやら謎の言葉は草っぱをくわえていた所為だという事がようやく分かった。
「どうしたの、そんなにたくさんの葉っぱ…」
一緒に外に出かけていたローリエが言いにくそうに解説をしてくれた。
「えー、あのな、シュトがトリシアと仲直りがしたいけどどうすればいいのかと聞いてきてな。私は人間の仲直りの仕方なんて知らないし、でもそういえばちらっと見た映画で女が花をもらって嬉しそうにしていたと思って、花を贈ったらどうかと言って…」
シュトは依然として行儀よく座っている。どことなく誇らしげでさえある。
ローリエは沈痛な面持ちでこう付け加えた。
「シュトには葉っぱと花の区別がついていないようなんだ…」
「へ?」
ということは、ということはシュトの中ではこの草っぱのかたまりは花束、なのだろうか…?
「いや、この冬に花が咲いてるわけがないし緑の葉っぱだって探すのが大変だったし、今更それは花じゃないなんて言えないし、もしかしたら人間は葉っぱでも花束になるのかとも思って…」
ああ、そういえば、シュトは冬以外の季節を知らないんだ。春を見たことがないんだっけ…。様々なことが連なって重なり合ってパズルのようにひとつの事に繋がる。
「シュト、それ私にくれるの?」
「ふぁう!」(訳:うん!)
シュトが首をもたげてトリシアの手に収まるように渡す。
何だか体中がじーんとしびれて熱くなった。何か言わなきゃ、言うべき言葉があるし、言いたい事がたくさんあるのに、喉までしびれて言葉にならなかった。
「シュト、外は寒かったしトリシアにホットミルクを作ってもらおう!」
ローリエが気を利かせてキッチンから出ていった。
シュトは、少し躊躇いながら聞いた。
「トリシア、これで仲直り、出来た?」
トリシアは無言で頷いた。
小さな鍋に牛乳を注いで火にかける。
「シュト、あのね…」
そう切り出したのに、頭の中が真っ白になって言葉が続かない。
シュトは依然として行儀よく座っている。
「…あのね、シュトはドラゴンで私は人間でしょ?」
「…うん、そうだね?」
シュトは首をかしげた。当たり前の事過ぎて語尾に疑問符が付く。
「シュトは魔法を使えるけど私は使えないだから魔法の使い方を教えてあげられない…けどシュトの魔法は正しく使わなくちゃいけないと思うの。シュトは何が正しくて何が間違ってるのかまだよく分からないとも思う」
目をつぶって空気を吸い込んだ。
牛乳の甘い匂いがした。
「シュトが間違って魔法を使っても大丈夫なように私がするんだ」
「どうやるの?」
牛乳が焦げ付かないように火から鍋を外して、果物ナイフを取り出した。
それからりんごを手に持って、皮をむく。
しゃりしゃりしゃりと、心地よい音がする。
「シュトの魔法はこのナイフだと思って見て。…ほらりんごの皮がむける、皮がむけたらりんごが食べられる」
そして、わざとりんごに添えていた親指に刃を当てて傷つけた。
傷から丸く赤いものが噴き出て、たたっと滴った。その傷をシュトに見せてすぐに口にくわえた。結構痛い。
「ナイフはとても便利だけど、間違った使い方をしたらこうなる。ナイフをこのまま放っておいたら、ナイフは何もしていないのに周りを傷つけてしまうね」
シュトは瞬きもせず、ナイフを見つめた。そして途方に暮れたような声で聞いた。
「…じゃあナイフはどうしたらいいの?」
トリシアには「シュトはどうしたらいいの?」と言っているように聞こえた。自分がいつ誰を何を傷つけるのか分からなくて、不安で胸がいっぱい。
「こうすればいい」
果物ナイフを木製の鞘におさめた。
「鞘におさめたらナイフはなにも傷つけなくて済む」
トリシアはナイフの刃の部分を握ってみせた。鞘に収まった刃は、肉はおろか皮膚も切り裂けない。
「…シュトが、もしも周りを傷つける刃になっても私があなたの鞘になる。シュトの所為で誰かが傷つくこともシュトが傷つくことも、私がいればさせない」
彼女の顔には会心の笑み。
やっと、自分の在り方が言葉に出来た。自分のあるべき理想が見えた。
親でも兄弟でも友人でも、二人にとっての関係は結局どれでもよかったのだと今更分かった。
トリシアは椅子から降りて、跪いた。
「とても立派な刃をもつ剣には、それにふさわしい立派な鞘があるものよ。そして本当に立派な剣は簡単に鞘から抜いたりしないんだって。…二人で誰からも認められる剣になろうね」
「うん」
どんな宝石にもかなわない光を秘めた瞳がいっそう輝いた。
「これで、仲直り!」
つぼみをつけた枝が草の花束の中に紛れ込んでいた。
二人を見守るようにまだ遠い春を待つ。
さてさて、この話で羽化シリーズはおわりです
…ちょっと長すぎたかな!笑!
みなさんはどんなふうに読んでくださったのか当然のことながら私には分かりませんが、楽しく読んでもらえればそれが一番です
羽化ではトリシアの変化やシュトの変化周りの変化を書いたつもりです
ただし、羽化は羽を持つ状態になっただけで、まだ飛び立ったわけではないです
あくまで変化というニュアンスで羽化という言葉を使っています
次話から新しい章になります
読んでくださっている全ての人をガッカリさせないように頑張ります!
では次話・次章も乞うご期待☆




