胎動(3)
トリシアはあれから5日間何事もなかったかのように塾に通っている。
何事もないように見せるために塾に通っているのだけれど。
片時も坊やから離れたくはない。
離れている隙にあの子が攫われたら、傷つけられたらと思うと不安で気が狂いそうになる。
でも私がいま正気でいられるのは、ギアが用心棒になってくれているおかげかもしれない。
それも、私の家ではなく、龍の巣で。
あの洞窟はもともとシャルロッテの住まいだったから、自然とドラゴンの魔法が染みついていて人を惑わせやすい。
さらにギアがいることで威力は増す。
彼が魔法をかけたり、まじないをしたり、結界を張る必要は全くないという。
龍の巣とは、龍がそこにいるだけで役割を十分に果たすらしい。
私はギアに教えてもらった裏道を使って洞窟に通っている。
馬場は冬に備えて整備をしているので、利用することができない。
だから心置きなく龍の巣へ行けるのだ。
暗い洞窟はもう私を恐怖で身をすくませたりしない。
各所で枝分かれする道に迷う事もない。
私をあの子がきっと、呼んでいるから。
「ただいまあ」
「おかえりー、今日も順調にひびを入れてるよ、ほら見て」
彼が亀裂をなぞる。
「一番初めに入った亀裂がここまで伸びてる」
タマゴのてっぺんから5分の4ほどの長さだ。
「おおー!坊や頑張ったね!」
抱きかかえると、タマゴは大きくきしむ音を立てる。
拍子に小さな殻のかけらが剥落して思わず、抱きかかえた手をほどいた。
ひびの入ったタマゴは彼女の膝の上に鎮座している。
「やっぱり人を選ぶんだなあ、トリシアが来るとすっごく喜ぶんだよ」
「…そ、その調子で早く生まれてきてくれたら私はもっと嬉しいんだけど」
剥落したタマゴの殻は陶器を叩いたような音をして砕け散る。
洞窟通いを始めてすぐに胃を悪くした。
キリキリ痛むし、
ギアやレイに言うと絶対に家で安静するように言われるのが目に見えてるから黙っているけど
食事を取れない事もあるし、食べても吐いてしまう事の方が多い。
今まではギアが同居して私の生活に目を光らせていたけれど、今は坊やと洞窟に泊りこんでいるから私の生活は乱れ切っている。
弓場に行っても、マチコ先生に鍛錬を止められてしまう。
何より、坊やも、ギアもいない家の生活は思っていた以上に辛かった。
「トリシア、今日も朝食抜いたの?」
「ちゃんと食べてる」ギアから顔を背ける。
彼の目は何でもお見通し、っていう感じだから嘘だってすぐにばれる。
分かっていても嘘をつく。せめてもの抵抗として顔は見ない。
心配する顔を見ると、くじけてしまうから。
嘘をつき通せないから。
ぎゅっと、タマゴを強く抱きしめる。
「トリシア、嘘くらい好きなだけ吐けばいい。でも、本音を隠してひとりで抱え込んでも満たされるものなんて一つもないからな」
敵わない、だから悔しい。
そもそも年の差1万歳にかなうわけがない。
「…はやく元の生活に戻りたい」
「素直で結構、ほら坊やもトリシアのためにさっさと出てきちゃいなさい」
けしかけると、坊やはうなった。
「んなこたあ分かってる、だって」
わざと通訳してちくちく嫌味の応酬をする。
彼は苦虫をかみつぶしたような顔でタマゴをにらんでいる。
坊やは、私の事を「お母さん」ではなく「トリシア」と呼ぶようになった。
「ねえ、ギアこの子は男の子かな女の子かな」
「シャルロッテの血統は雌雄同体だからなあ、性別はハッキリさせる必要性が無いというかなんというか…」
ギアはブランケットを広げて私の体をタマゴごと包む。
「名前の事、悩んでるの?」
素直に頷いた。
「父さんと、約束したから」
ギアも遺言の手紙の事は知っている。
「ドラゴンの名前はね、生き様によって後からついてくる。だからトリシアの呼びたい名前でいいと思うんだ」
ギアは知っている。
辞書ほどもある分厚い本をカバンに入れて持ち歩いている事を。
その所為で肩凝りがひどくなった事も、夜遅くまで本とにらめっこしている事も。
「シュトラーフ」
Strahl Flut
トリシアが地面にカリカリと綴りをかく。
ギアは少し笑った。
「光の…洪水?」
「絶え間なくあふれる光、ってつけたかったんだけど直訳するとそうなるわね」
「何でドイツ語?」
「シャルロッテってドイツの方の名前じゃない?」
ギアは笑っている、律義と言うか何というか。
そのためだけに慣れ親しまないドイツ語の文献を読みあさって目の下にクマを作ることもいとわない彼女の姿は、まぎれもないギアがよく知っている彼女だった。
「きっと、この子も気にいる。それじゃあ、もうこの子はタマゴの坊やじゃなくなるね」
くすぐったそうにトリシアが笑う。
「シュトラーフ、シュウ、」
そう呼ぶと
一層嬉しげに坊やが身じろぎする。
トリシアにはひとつ、ギアに頼みたい事があった。ギアにしか頼めない事。
「ねえ、この子が生まれた時にドラゴンの姿になってもらえないかな」
「どうして?」
「人間とドラゴンが違うっていう事をちゃんと分かっていて欲しいの」
「トリシアの前なら構わないよ」
「ありがとうギア」
ささやかな時間が、幸せだと思う。
彼が腕時計を確認する。
「そろそろ、家に帰った方がいい。何かあったらすぐに呼ぶから」
ぎゅっと、タマゴの向こうでつないでいた両手をほどく。
「じゃあ、また明日。早く、生まれてきてね、シュトラーフ」
タマゴは沈黙したまま洞窟の最奥にたたずんでいた。
この世に生を受ける光りが波乱と幸福を連れてくる予感を抱きしめながら。
いやあ、気が付いたら40部だそうです
40部もあったら普通の小説は完結しそうなものなのに、
全くそんな感じ無いよね!むしろやっと始まるって感じだよね!
お付き合いくださって本当に私は幸せ者です。
だけど書く方に一生懸命で他の小説を読む時間が無い、
どういうことだ
裏話、小話ですが
この「シュトラーフ」の名前を考えるのが大変な苦労が必要でして
人間でもペットでもないから、こう、ね
なんか神々しい良い名前つけてあげたいじゃないですか!
かと言って神話とかから引っこ抜くのはちょっとなあ…みたいな
とにかく、ドラゴンの名前って結構考えるの大変です
次話も乞うご期待☆




