胎動
弓場から家までの山道を走り抜けた。
もう、馬場に行く時間さえ惜しい。草原を全力で走る。
なのに、足はもつれて、乾いた草に足を取られて、何度も転んだ。
ちぐはぐなのだ。
恐怖ですくむ体と、守りたいと思う気持ちの間で揺れ動いて、うまくバランスが取れない。
玄関を乱暴に開けはなって、家の中に転がり込んだ。
勢いがよすぎて、棚やテーブルに置いてあったものがいくつか床に落ちる。
「ギア!ギアどこにいるの?お願い、お願いだから早く…!」
キッチンから慌ただしい音を聞きつけて、ギアが顔を出す。
「…どうしたのトリシア。また塾で嫌なことがあったの?」
まるで母親のようにそんな事を言って、近づく。
トリシアが熱を帯びた、鮮烈な瞳でまっすぐに見つめる。
「ギア、お願い。すぐにここから逃げて」
「何言ってんの、どうしたっていうんだ。いつものトリシアじゃない。理知的でシンプルな思考はどこにいった」
ギアは落ち着きを取り戻させようと両肩を包みこんで、冷静になるよう訴える。
が、彼女は毛を逆立てた猫のように興奮していて、彼の手を振りほどく。
逆にトリシアがギアのシャツの襟を掴みかかる。
こんな子じゃない、自分の知っているトリシアはこんな子じゃない。
彼女が我を忘れるところなんて見たことが無い。
「トリシア…」
「お願い、ギアだけでもいいから。すぐにここから逃げて、お願い」
さっきから、同じことしか言っていない。
逃げて、すぐに、お願い、
「ドラゴンが危ないの。何をされるか分からない。ギアは隠れるのが得意なんでしょう?クジラになった知り合いのところにいますぐ行って、ここから逃げて」
頬に涙がはじける。
彼女の瞳に理性が、無い。
「トリシア、私の目を見ろ」
「め…?」
そんなことすら分からないのか。
ギアはトリシアの顔を両の手で包みこんで、鼻先が触れるか触れないかという距離まで近づく。
手っ取り早く暗示をかけるためには、自分の目を見てもらえなければ魔法はかからない。
それに、人間にかけられる暗示の力加減は難しい。
理性を失わない程度だとせいぜい、思考の手助けが限度だ。
「…落ち着いた?」
「…?」
彼女は尻もちをついた。
ギアはシャツを掴まれたままだったのでもれなく彼も引っ張られる。
「なんでキスしそうなシチュエーションになってるの?もっと危機的な場面だったはずなのに」
両頬に添えられた手の事をまず指摘する。
「いや、君は今自分の言動を思い出せる?」
魔法の効きを確かめるために、それから自分を取り戻させるために彼女に問う。
「なんか、自分で言うのも変だけど結構な慌てぶりだわ…」
魔法の効きは良好だ。
これなら、魔法はもうなくても彼女は大丈夫だろう、と視線を離すと同時に魔法も止める。
トリシアはギアの襟を掴んだままの手をほどこうとするが、ひっついて離れない。
そう無遠慮に引っ張られると首が締まって苦しいのだけど。
ギアがトリシアの指を一本、一本引きはがす。
「紅茶を出すから、坊やを抱えておいで」
「…駄目、今あの子を触ったら私のよくない感情があの子を混乱させる」
彼は首を振る。
「どのような話であれ、あの子にもちゃんと話しておかないと余計混乱するよ」
そう釘をさすと、ようやく歩み寄ってタマゴを抱きしめた。
「じゃあ、ちゃんと話してもらおうかな。どうして私が逃げなきゃいけないの?」
用意された紅茶には角切りのレモンがふたつと角砂糖が3つ入っている。
「追跡者になったマーティが私とシャルロッテの関係に勘付いて、呼び出されたの」
深く息を吐いて、気持ちを落ち着かせた。
紅茶の湯気が揺らぐ。
「この2ヶ月で、彼らは5人の人間を捕まえて、みんながみんな『ドラゴンの子どもが生まれたらしい』っていう噂を聞きつけて潜伏していた…つまりこの坊やが狙われてるっていう事」
「話は大体分かったけど、なんで坊やじゃなくて、私が逃げるっていうことになるのかな」
「マーティはD Partyっていう組織が主犯格で、彼らはドラゴンを狙っているって言ってた。多分坊やは子どもだから狙われているだけで、もしもあなたがドラゴンだって勘付かれたら…ギアが…」
そうだ、彼らはドラゴンなら誰でも構わない。
たぶん、そういうことなのだ。坊やは狙いやすかっただけ。
湯気をあげなくなった紅茶のカップに口をつける。
ギアは頬杖をついてため息を吐いた。
「そーんな下っ端の知ってる事を本部が知らないわけがないじゃん」
「えっ」
「別に驚く事でもない。古今東西、人攫いでも龍攫いでも子どもが狙われることが多い。んなこたあ分かってる。だから本部ではしっかり対策を練って、私が派遣されてどうすることも出来るようになってる」
本当に、この子はドラゴンの事になると周りの事が見えなくなるんだから。
一番に、自分の身の安全ではなく、監視係のドラゴンの事を心配して取り乱すなんて本当にお人よしすぎる。
「で、もしも私がその、なんちゃらパーティとやらの話をしてもトリシアには百害あって一利なしだよね。それは分かる?」
不安をあおるだけでは母子ともに精神状態の平穏に問題が出る。
「ごめんなさい…」
「マーティとやらは、上から詳細な情報が無いから君に迂闊なことをしちゃっただけで、君に外部からの攻撃がある可能性なんて話はする予定は無かったの、今頃君はのほほんと出来る予定だったの」
「ごめん、なんか我慢できなく、なった」
ぼたぼたとトリシアの目から涙が堰をきって落ちる。
おそろしい、と思うのは正常な感情だ。
誰が狙われていても、彼女は身近な人間が消え去ることを一番恐れている。
「ギア、私の事ひとりにしないで」
「私はただのドラゴンじゃない。もうすぐ1万歳だ。御長寿だろう」
「離れないで、ギアにもこの子にも不本意な殺人なんて私はさせたくない」
彼女は人間とドラゴンの線引きが非常に上手い。
だから、つい好きになってしまうのだ。
ドラゴンがひとりの人間を偏って愛したり憎しみを持ったりしないことを分かっている。
ドラゴンは、人間を愛してる。
この世界を愛してる。その世界の中に人間がいるのなら、それを憎む理由などない。
トリシアのように愛してくれる人間がいるから。
「トリシアが望むなら、出来る限り努力はするよ。でも出来なかった時…」
「嫌いになんてならないから、大丈夫」
花が咲くように、濡れた頬に笑みを浮かべる。
ギアがコツコツとタマゴを叩く。
「坊やも、どうせ聞こえてるんだろ?トリシアにあんまり心配かけんなよ」
ミシリ、とひときわ大きくタマゴが音を立てた。わずかに亀裂が入っている。
びっくりしてギアが紅茶のカップを落とす。
「大丈夫、まだ生まれないから!」
今のは返事をするつもりで、体を少し動かしただけ。
でもそれだけでひびが入るっていう事は…
もしかして…?
ギアが眉間によったしわをもみほぐす。
そして片方の手で何か数えている。
「…トリシア出産予定日が決まった。1週間後、この子はタマゴの坊やじゃなくなる」
トリシアは、理解が及ばなかったのか、頭が受け付けなかったのか目をぱちくりさせた。
「え?」
いやあ、なんかやっとタマゴじゃなくなるのかあって思う私もいれば
嘘だろ、展開はやくない?ちょっといきなりすぎない?って言う私もいます。
みなさんはどう思いますか?←
なんだか話がごちゃごちゃしてますねえ…
これをまとめ上げるだけの技術と根性がはたして筆者に備わっているのでしょうか?
じわじわやっていきます
では次話も乞うご期待☆




