組手
この話は割り込みで更新しました
鋭い息が部屋の空気を切り裂く。
歯と歯の隙間から吐き出される短い息はコピー紙のようにあるかないかのそんな重さしか感じさせないが、確実に滑らせた肉を切る。
彼女の黒髪が後頭部で跳ねる。
外すことなどおよそ考え及びもしない拳が彼女の顔面めがけて雨のように降る。
それをかわすことなく細い腕で受け止め、最小限の動きで封じる。
全てマーティーが教えた基本だ。
大きく体を動かし拳をかわす分だけ余計な体力を使う。
最低限の体力で、それは女性であるトリシアにとって戦う上で徹底しなければならない事の一つだ。
しかし、全ての拳をかわさず流すことは不可能である。
絶対にかわせない拳もある。
拳だけではなく蹴りも飛んでくる。
いつ足を捕られるか分からないでもいつまでも守りに徹しているわけにはいかない。ほら、またかわせなかった。注意力も体力も削がれて息が上がって脳みその中が結露した窓みたいに曇って……、ああくそ!
蹴りではなく拳が飛んでくることを確認して思い切ってマーティの足もとに、頭から飛び込む。
逆立ちするような体勢から腕で体を支えぐん、と体を弓なりに跳ねあげる。
足もとから飛んできた物が蹴りであると認識した時には耳の横を風が裂いていた。もちろん頭で考えるまえに体は逃げている。
脊髄反射として自分の体にしみついている。
弓なりに持ち上げた体はすぐに体勢が傾き揺らぎ、おぼつかない。
傾き床に崩れ落ちる前に体をひねりあげる。
あっという間に半回転した下半身が繰り出す蹴りは確実にマーティーの胴体を捕らえて切り裂くのとは別の、空気が弾けるようなパァンという音が響いた。
「やりやがったなっ」
堪えきれずに漏れた声は悔しさを滲ませ、驚きを露わに。
蹴りいれた足を腕で絡み取りトリシアの体ごと彼が背中から倒れ込んだ。
ヤッバイ!!!!!
「マーティー!それはダメ!」
「折る気は無い!」
いや、折るとかそんな物騒なこと言わないでよ!てゆうか、本気になったら折れる事を私にするってこと?!するってことよね?!
そして、悲痛な叫びがこだました…。
汗で鍛練用のシャツがべったりと重たく肌にはりついて、結わえた髪の間から滝のような汗が滴る。
相手の男は涼しい顔でタオルを差し出してくる。
ああ、腹立たしい、その顔に蹴りをいれてやりたい。
顔に書いてあったのだろうか「そんな顔で睨むな」と眉をはの字にする。
「どうしてああも無茶な蹴りをいれるかな」
「その涼しい顔に土つけてやりたいからに決まってんでしょ」
弓場で握手を交わして和解した後も塾の中で衝突しないわけが無い。
何があろうと気に入らないものは気に入らないし、それを認めるまでに握手一つで済むわけが無い。そんなことで仲良くオトモダチになれるなんて大人は泥の中に首を突っ込んで夢でも見てるに違いない。
その点、レイはそれを強要せず見守ってくれている。その辺が教師として信頼を寄せる所以だ。
口下手なことは知っている。
感情的になると口汚くなる事もわかりはじめた。
それで売り言葉に買い言葉になってお互い傷つくのはよくない、それはもうごめんだ。
でもこのもやもやするような胸やけするような腹立たしさはどこにぶつければいいのよ。
弓を引いてたトリシアに「なあ」と仏頂面で声をかけてきたのはいつだったか。まだ上がった自分の息で曇ったフィルターが邪魔をしてうまく思いだせない。
CQC教えてやる。
だから不満はお互いにぶつけあおう。
ただし言葉は使わずに。
たしかそう言って鍛錬場に誘ったのだ。
拳の振い方、脚のはらい方、受け身のとり方、そのひとつひとつを教えて、十分体が覚えたと判断したとたんにコテンパンに伸された。
しかもギブアップと言わない限りエンドレス。
なんなのよ!日頃言い負かされて鬱憤がたまってるにしても他にもっとやりようがあるんじゃないの?!
そう思ってたのはCQCを覚えはじめた時だけだった。
タオルを持った腕を物のように無造作にもちあげる。
だらんとした腕をしばらく握って、ため息を吐く。
「筋肉がついてて命拾いしたな、ああいう体の芯のできてない蹴りをバネ仕掛けにホイホイやると腕がイくぞ」
悔しいが言われたとおり腕がじんじんしびれて筋がきりきり痛んで体が悲鳴を上げている事を無視できない。
「いいか、ああいう蹴りは絶対に仕留める自信がないかぎりするもんじゃない、足もとに飛び込んでくるのは相手の意表を突くからいい手だった。でもな一回転してその手で首をこう相手の首に――――」
トリシアの手を取って手指の形から腕の力の入れ方も手取り足とりそして自分の首に添えてまで説明を続けるその熱意って言うのは曇った脳みそを溺れさせるものがある。
マーティーは絶対に仕留める〝手〟を教えてくれる。
「……のに、あんたは何で手を抜くの」
無意識の声にマーティーはぎくりと身を強張らせた。
「何言ってんだ、手え抜いてるだと?ざけんなよ」
「うそよ」
トリシアは曇ったままの頭で、舌をもつれさせながら言葉を続けた。
「だったら何で私ぶっ倒れてないのよ、あざだらけになてないのよ、どこも体を痛めずに家に帰れるのよ」
今日だって、と
「どうして胴体狙わなかったの、ガードがガラ空きだったことくらい自分でも分かってるんだから…!」
彼はその言いようにふつふつといいようのない苛立ちを感じた。手抜きはしてた、たしかにトリシア相手には本気を出すほどの実力が備わっていない。だから甘く見て今日だってとらわれるはずの無い蹴りをくらった。
最近気を抜いていたら足もとをすくわれることも多々ある。それを手抜きだと言われればそれでしまいかもしれないが、ふつふつとこの清廉な目を見ていると酷く苛立つのだ。
「手を抜かないで!」
「手抜き?ふざけんな手加減の間違いだろうが、お前手抜きと手加減の違いも分かんねえのか」
トリシアの腕を掴んでひねりあげる。
痛みに身をよじると床に胸をつけ組み敷き倒されて身動きも取れない。
「うう、いたい、いたいいたいいたいっ痛い!」
「痛いだろう、痛いのは当たり前だよな痛くしてんだから。いいか、おれが手加減しないとお前のこの細っこい腕なんて簡単に折れるんだぞ、今日だって折れるようなことしたんだぞ、お前は怒っていいことされてんのになに見当違いなバカ言ってんだ」
じわりと涙が滲むのを見ると、彼はすぐに手を離した。
手首には男のものとはっきり分かる手形がついて痛々しく存在を主張している。
「胴体狙わないのはどうしてか?男の体ならすぐに筋肉つくけどお前はサポーターつけていたとしてもあざつくだけじゃ済まないからな、いいかCQCは相手を一瞬でも身動きとれないように再起不能にさせるための体術だぞ。腹に一撃食らったらおれだってくたばる、そんなことをお前にするわけがないだろうが、内臓に傷いったらどうするんだ!子どもが産めない体になったらどうすんだ!あざだらけの体にして嫁の貰い手がなくなったらどうすんだ!ああ?!」
竦み上がるような怒声が腹の底まで響いてきてトリシアは反論や拒絶や恐ろしさ、その感情の一切が削ぎ落され、迷子の子どものように途方に暮れた。
「何とか言え!」
言えったって、そんな……何を言えって?
「さっきまであんなに饒舌におれを塾で言い負かしてただろうが!気味悪いだろ!黙んな!」
「だって、だってだってマーティーが私の事……」
つっかえつっかえ、思ってる事を言わないと、だってマーティー黙ってたらますます顔赤くして怒鳴りつけそうで、こわい。
「だって、マーティーが私の事なんか仲間みたいに扱ってくれてるんだもん!」
想像していたよりもはるかにストレートな言葉が口をついて出てきて、自分でも驚いた。
しかしそれよりも彼の方がもっと驚いた顔をしていた。
「マーティー、ずっと怒ってるんじゃないかって、私なんかが突然塾にやってきて試験受けたり授業に参加したり……口ごたえだってするし…ケンカもしたし…目の敵みたいにCQCでぼっこぼこにするし…怒ってるのかなって、私の事嫌いなんじゃないかって」
思わずまぶたを熱い雫が通り越す。
「待て待て待て待て!何で泣く?!泣くな!泣くな!」
「私女だから」
足引っ張るし、体力だってないし、対等になりたくてもなれっこないし……続いた言葉は自分の負い目ばかりで心までむなしくなる。
「女だからっていうのがそんなにハンデになるのか?」
「……すくなくとも女だからって誰かさんにバカにされたりしなかったと思う」
それを言われたらマーティーの立場は無い。
ああ、馬鹿。
おれはとんでもない地雷を踏んで、その地雷で目の前にいる彼女をここまで卑屈にさせてしまっていた。
気付くのが遅すぎるだろ、と鈍感過ぎる自分に心底腹が立つ。
座りこんで涙ぐむ彼女を見下ろしたままでいるには自分はあまりにも惨い仕打ちをしすぎた。
こういう時、なんて言えばいいのか分からない。親戚にちっこいこどもがいるにはいるが…そんな子どもをあやすような器用な真似をした記憶がない。
とりあえず、ぐりぐりと頭を撫でてやるくらいならできそうだ。
髪が乱れる事も意に介さずぐりぐりぐりぐり黒髪の頭のてっぺんを撫でると「痛いよ」と苦笑いが返ってきてひどく安堵した。
「…おれの言葉が汚くて、口下手で伝えたいことが何一つ伝えられない事はお前がよく分かってると思ったんだがな」
「…しってる」
「サンドバック代わりにお前をここに誘ったんじゃない。おれが…行動でしか誠意や感情や謝罪を伝えられない事も知っててもらえるとありがたかったんだが」
彼は逡巡するように視線を仰がせた。
「今日はもうここまでにしよう……なんかもう鍛錬する気失せた」
「その手、どうしたんだ?」
かすかな頬笑みを浮かべて弓場でグラハスが私の腕を指差した。
「ああ、これ…やっぱり目につく?」
湿布と包帯でぐるぐるに巻いた腕はやはり目立ってしまうのだろう。
塾では弓場か馬場で痛めたと言い訳をしようと思っていたが…グラハスにはどうしてだか嘘を吐けなかった。
グラハスの隣、弓場の壁に背もたれて弓道着の袖をまくる。
ぐるぐるに巻いた包帯をほどくと、はた目にも男の手がただと分かるほどくっきりついたあざが晒された。
「これ…」
険しくなる顔に静かに首を振った。ちがう、グラハスが考えてるようなことはひとつも怒らなかったから、大丈夫よ。
「昨日のCQCで、マーティーにお説教されちゃった」
「痛むか?」
「どっちかと言うと…マーティーに蹴りをいれる時に腕を無理矢理使ったから、そのときに痛めたんだと思う」
蹴りをいれたというのがおかしかったのか、想像できなかったからなのか彼は喉をククッと鳴らして笑った。
「あのね手を抜くなって怒ったら手加減してるんだ馬鹿!ってお説教されたの、私正論すぎて一言も言いかえせなかったわ」
「ああ、あいつらしいな」
「でね、怒られたら…すっごく大事にされてるんだなって……ずぅーーっと嫌われてると思ってたから」
彼が隣でからからと笑った。
「トリシー、本当にあいつに嫌われてたらそもそも鍛錬場にさえ上げてなんかもらえないぞ」
「ええ?」
「組み手だってあいつ気遣いのいらない奴としかやらないからな、もっぱらおれとばっかりで…おれにだって手加減するからな」
あいつは優しいんだよ、と言う横顔はしょうがない奴だよほんとにとも言いたげだった。
「私ね、マーティーに嫌われてなくてよかったってすごく嬉しかったの」
「ああ」
「だからね、グラハス。塾では弓場ですっ転んだ時に手をついて痛めたって話を合わせてほしいの」
CQCのことはまだ他の誰にも教えてないが、どこから話がややこしくなるか予測がつかない。
「トリシーもあいつと似て甘いな」
「ええ?甘い?」
射抜くような時々背筋が寒くなるような青い瞳とはそぐわない表現のように思えて思わず笑った。
「あいつも一回くらいトリシーに痛い目にみせられたっていいもんじゃないか?塾でああも汚い言葉で貶められたのにあいつは平気なツラして塾に顔を出して……」
「あら、手ぬるかった?私はむしろ制裁がないままほっとかれた方が辛いものよ、平気な顔して授業受ける根性があるとは思ってたけど……」
「……嬢ちゃん可愛い顔してえげつないことするなあ…」
彼女は腰に手を当ててちょっとえらそうにした。
「それに私昨日、マーティーに容赦ない蹴りを一発見舞ってやったわ、グラハスあざになってないかちゃんと気にしてあげてね」
今度こそグラハスは「しょうがない奴らだな」と口に出して笑った。
塾生との話を書こう書こうとして、チェキとシンは書けていたのですが
アラン、デミトリ、マーティー、グラハスとの話が書けてなかったなと反省し、本当は番外編で書こうと思ったのですがやはりこちらで書くのが筋かと思いまして
唐突に割り込みました
さて、一番手はマーティでしたね、次は誰でしょうか(何卒期待せずお待ちください)
では次話も乞うご期待☆




