エビフライ三本
茉瑠奈の想い人が発覚してから、はや一週間が経とうとしていた。
気持ちの立て直しに、数日を要するほど重症だった。
それは何故か。
よりによって、あの春野蒼太が想い人だったから。
あの日から今日まで。
なにかと、ちっ、と威嚇をして、シャープペンを投げる機会を伺っていたものの、これは未遂に終わってしまった。
残念でならない。
そんなこんなでお昼休み。
この時間になると、私と茉瑠奈は決まって屋上に行き、一緒にお弁当を食べるのだ。
お互いのお弁当を開いて見て、好みのおかずがあれば交換し合ったりする。
これが、私たちの密かな楽しみ。
授業終了の鐘が校内に鳴り響くと、私は足早に教室を飛び出す。
本日も天候に恵まれ、爽やかな青空。
さあ、楽しい時間がやってきた。
るんるん気分で屋上に着いた矢先、茉瑠奈が衝撃的な言葉を口走ったのだった。
「お願い友恵! 今度一緒にお弁当を食べようって、春野くんを誘ってほしいの!」
顔の前で手と手を合わせて、懇願してくる茉瑠奈。
駄目? と言わんばかりの上目遣い。
これをやられて、お願いを断れる男がいるのだろうか。
いや、いない。
しかし私は女。
えぇーっ、と不満気な声を出してしまった。
さすがに口には出さないけど、あんな辛気臭いやつと一緒に弁当をつつくなんてごめんだ。
「な、なんで私が春野を……、ていうか、そんなに言うなら、茉瑠奈が直接誘えばいいんじゃないの?」
そうだ。
自分で春野を誘って一緒にお弁当を食べるというのであれば、私だって我慢する腹づもりだ。
しかし私の言葉を聞いた茉瑠奈は、肩を小さくすると顔を俯かせて口を開いた。
「前に、何度か試してみようとは思ったんだよ? ……けど、やっぱりクラスが違うし、相手は男の子だし。 なかなか踏み出せなくて……」
両人差し指を、ちょんちょん、とさせている茉瑠奈。
いや、私にとってもあいつは、歴とした男の子なんだけどなあ。
「友恵は、春野くんと同じクラスだから。 誘いやすいかなと思って」
「茉瑠奈。 ……たとえ、同じクラスだからといってもね。 あの春野を誘うのは、なかなかに骨が折れると思うけど」
相手は、他人に一切の興味が無さそうなやつだ。
いつも一人でぼんやりとしてて、授業中も窓際の席で、外の景色を眺めているか、白昼堂々と居眠りをしているか。
何を考えているのかわからない、変なやつだ。
最低限の連絡事項以外に。
クラスの生徒はおろか、教師でさえあいつに干渉する者はいない。
誰かと話している姿なんて見たこともないし、友達と呼べる存在なんて、少なくともこの学校にはいないのだろう。
なんというか、すごく不気味。
とにかく、だ。
そんなやつが、一緒にお昼ご飯を食べよう、なんて誘いに応じるとは考えにくい。
というか、ここまで言葉を並べてみて、改めて思ったことがある。
茉瑠奈は、あんなやつのどこが良いのだろう?
ため息混じりに頭を掻いて、渋る私を見かねた茉瑠奈は、
「今日のお弁当にね、お母さんの作ったエビフライが入ってるの!」
「——ッ!?」
ぱっ、と話題をすり替えるように言い放つ。
そのまま、お弁当の蓋をこれ見よがしに、ゆったりと開けた。
「そっ、それは……!?」
私は戦慄した。
そして、生唾を飲み下した。
四角いお弁当箱の中には、ぱんぱんに膨らんだアルミホイルが入っている。
それを、ぺりぺり、と乾いた音を立てて開封する。
現れたのは、大量のエビフライ——おそらく十本くらい、だった。
さすがは、茉瑠奈のお母さんだ。
良い仕事をしているなあ、なんて、深く感心しながらエビフライを観察する私。
まず一つに。
お弁当に入れると、せっかくの衣がしなしなになってしまうエビフライ。
だが、それをアルミホイルで包むことによって、通気性を確保。
多少はしんなりするけども、それなりに衣の食感を楽しめるのだから驚きだ。
そして、本日も揚げ具合はばっちりと見た。
お次に、この尻尾に注目してほしい!
先端が切られている。
これは、汚れた水分がしっかり取り除かれていて、尻尾が入念に先揚げされているのがポイント。
かりかりの尻尾まで美味しく食べてほしい、という想いが伝わってきそうなくらいの、丹念な仕事ぶりだ。
とどめに、横に添えられた、たっぷりのタルタルソース。
なんと自家製なのだ。
しかも刻んだ柴漬け入りなんて、もう天晴れじゃないか。
このタルタルソースだけで、ご飯がいくらでもかきこめるっ。
……とにかく。
茉瑠奈のお母さんが作るエビフライは、ほんっとうに美味しい。
そして、私はエビフライに目がない。
それは、彼女も知っている揺らぎようのない事実。
ということは、どういうことか。
そう。
あの大人しい茉瑠奈が、エビフライで釣ろうとしているんだ、私を。
あんぐり。
開いた口が塞がらない、とはこのこと。
予想を越えた強行手段に、私は言葉を失った。
もうどうしていいのかわからず、茉瑠奈とエビフライを交互に見る事しかできない。
そんな、煮え切らない態度の私に、茉瑠奈はとどめの一言を刺してきた。
「これ、全部あげるっ」
ふっ、と。
どうしようもなく、笑いが込み上げた。
この場合、逞しくなったなと感動すべきなのか、道を踏み外しかけている親友を窘めるべきなのか。
もどかしい気持ちを噛み締めながら、私は喉を鳴らした。
「三本……、貰えれば、いいよ」
※
美味だったエビフライの余韻に浸りながら、五時限目の授業が開始する。
美術の授業だ。
内容は、ペアを組んで、お互いの顔をスケッチしましょうってやつ。
「……ッ」
無言でスケッチブックに鉛筆を走らせる私。
心なしか、筆圧がいつもより強くなってしまう。
仕方ないだろう。
目の前には、憎き春野蒼太がいるのだから。
つい、鬼の形相で春野蒼太を睨みつけて、殺気を纏った鉛筆を走らせてしまう。
結果として。
誘惑に勝てずに、エビフライを三本もたいらげてしまった私。
代償として、春野蒼太を明日の昼食に誘わなくてはならない。
そんな矢先に、ペアを組んでのスケッチタイム。
この好機を逃す手はないだろう、と。
周りの視線などお構いなしに、春野蒼太の首根っこを掴んでペアを組んだのだが。
どう切り出せばいいのやら。
ここに来て、思考が路頭に迷う。
会話など皆無。
互いに黙々と鉛筆を走らせている。
本来であれば、周りのように談笑をしながら楽しくスケッチをするべきなのだろう。
けど、こいつとは絶対に無理!
重ね重ね、なにを考えているかわからない。
ずっと無表情で、すらすらと鉛筆を動かしているだけの屍人のようだし。
というか、なにか一言くらい喋れば? と思ってしまうし。
私から喋りかけるのを待ってたりするのだろうか? と苛々してしまう。
いろいろな感情が行ったり来たりで忙しくて、むう、と唸って顔を俯かせてしまった。
それを見かねたのだろうか、先に沈黙を破ったのは、
「狭山さんさ……なんか、怒ってる? この前も睨んできたよね。 それに、最近なにかと威嚇してくるし」
春野の方だった。
言われて、俯かせていた顔を上げると、目の前の春野蒼太が困ったような顔になっていた。
「は? ……い、いや、別に怒ってるわけじゃないけど」
思わぬ言葉に、つい素っ頓狂な声で返してしまう。
春野は、怪訝な表情を浮かべながら、腑に落ちない、と言いたげに眉根を寄せていた。
「怒ってないにしても、なにかあるんだろ? ……でなきゃ、まともに会話もしたこともない俺を誘うなんて、あり得ない」
顎に指を添えて、なにやらぶつぶつと独り言を並べたてている春野。
程なくして、ひらめいた、といわんばかりに手を叩くと、
「俺が気に食わない事をしてしまったから、一発しめようとしてるとか?」
えらく失礼な発言をするなあ、こいつ。
「あ、あんたねっ、しめるってなんだ! っていうか、私にどういうイメージを持ってるの!?」
鉛筆を折らんばかりに、拳を握り締める。
ぼんやりしてる癖に、妙に勘が鋭くて腹立たしい。
「どんなイメージって、そういうイメージだけど?」
「ぐっ……!」
こいつ、実にあっけらかんと言ってくれるじゃないか。
でも、なんだか反論できないのも事実。
言葉にできない屈辱感を味わっていると、はっとなった。
「そういえば、初めてだ。 春野と会話するの」
「そうだね」
稀に授業で当てられた時くらいでしか喋らないので、すっかり忘れていた。
なんというか、意外と涼やかな声をしているんだよな、こいつ。
それにしても、初めてだというのに新鮮味がないというか。
嫌な緊張感とか、気恥ずかしい気持ちがない。
そもそも、男子と話す機会だってあまりないのに。
……だというのに、なんだか安心してしまうような、不思議な感覚。
「……なんだろう。 初めてって気がしないや」
「言われてみれば、しないかもな。 どこかで会ったこと、あったか?」
「い、いや、ないでしょ」
すると、んんー? なんて。
私を置いてきぼりにして、また一人で考え始める春野。
なんとも言えない沈黙が訪れたかと思った矢先、私の胸あたりを凝視していることに気がつく。
というか、春野の顔と胸が、目と鼻の先くらいの距離……。
「——ッ!?」
穴が空きそうなくらいに鋭い目線。
たまらず、私は自分の胸を守るように、すかさず両腕で胸元を覆った。
「あ、あんたさあ、さっきからまじまじと、どこ見てんのよ……!?」
「え……、あっ、ちがっ、違うんだ! いや、違わないけど! とにかく、これは違うんだよ!」
「わけがわならないわよっ! ……変態っ!!」
「ごっ、誤解だって……!!」
顔を真っ赤にさせながら、必死に両手をばたつかせて否定する春野。
悲しいかな、私の胸は茉瑠奈ほど立派ではない。
別に見られても減るもんじゃない、ってのもわかってはいる。
けど、男子に胸をじろじろと観察されるのは、さすがに我慢ならなかった。
そこで、先生と周りのクラスメイトが、呆然とこちらを見ていることに気がついた。
静閑なスケッチの授業。
これだけ言葉の応酬を白熱させれば、当然の結果といえる。
「「……ご、ごめんなさい……」」
揃って二人で頭を下げる羽目に。
本当になんなんだ、こいつは!




