茉瑠奈と友恵・後編
雨宮茉瑠奈は、可愛い。
ふわふわ、とちょっと癖のかかった髪の毛。
茉瑠奈は纏まりが悪くていやだと言うけど、私は好きだ。
彼女らしくて素敵だと思う。
確かに、手入れとか纏めるのは大変そうだけど、いろいろとアレンジだってできる。
やや直毛気味な私にとっては、羨ましい限りなんだよな。
それと、くるり、としたまつ毛とくっきりな二重。
ぱっちりとした大きな瞳も好き。
お人形さんとか、お姫様を彷彿とさせるじゃないか。
反面、私は切れ長で目つきが悪くて、よく怖がられる。
表情を変えるのは苦手。
そのせいで、周りからいつも不機嫌そうにしてる、近寄りがたい人って思われてしまうのも、よく理解している。
少しくらい愛想よく笑えれば、冷たい印象もいくらかは好転するのかもしれない。
でも、自分を偽っているようでいやだった。
そんなわけで、友達は多い方じゃない。
けど、茉瑠奈がいてくれれば、私はそれでじゅうぶん。
まあ、たくさんの良い友に恵まれますように、なんて願いを込めて名づけてくれた両親には、申し訳ない気持ちだけど。
少しふっくらとした体型も、女の子らしくて良いじゃないか。
本人は甘い物がどうとか、ダイエットがなんだって言っているけど。
昔から剣道ばかりやっていて、無駄な肉が削がれてしまった筋肉だけの体なんかよりも、そっちの方が良いに決まってる。
茉瑠奈は人見知りだけど、気配りができて、平等に優しさをあげられる人だからよくモテる。
それは小学生の頃から、今でも変わらない。
いつかは、茉瑠奈にも彼氏ができる日が来てしまうんだろうな。
そうなったら、今までのように一緒にいられなくなってしまうのだろうか。
私は、幼少期から剣道一筋だったし、告白なんてされた事もない。
恋愛に興味がないわけではないのだ。
年相応に、男と付き合ってみたいとも思ったりもする。
最も、良い人がいればの話だけど。
そんな相手はいない。
ただの一度も、男に胸をときめかせた事なんてなかった。
なので、まだ当分はお預けだろうな。
来年になれば、三年。
その次には、卒業が控えている。
高校を卒業して大学に進学するのか、それとも就職するのか。
それはまだわからない。
その時になっても、私達は笑い合っているのだろうか。
※
二人で談笑しながら登校すると、あっという間に着いてしまうな。
真庭高校。
私達の通う、公立高校の名前。
桜並木の続く坂道の先にあり、小高い山の上に建てられた学校だ。
私達の住むこの真庭市は、もともと何も無い閑散とした土地だった。
でも、最近は近代化の波に飲まれて一気に発展した。
真庭市駅も改装され、駅に併設された大型ショッピングセンター。
周辺には、流行りのお洒落な飲食店が立ち並び、タワーマンションまで建てられた。
おまけに、電車の路線も主要都市へと繋がる便利なラインが増設された事もあって、近頃は真庭市外から登山を楽しみに訪れる人達も増えたとか。
そしてこの真庭高校も、市からの寄付金により生まれ変わった。
入学前に校舎の下見をした時とは、見違えるほど綺麗になっていた。
やはり自分が通う学校なので、綺麗なのは嬉しい限りだ。
私は、ポケットから携帯をおもむろに取り出すと時間を確認する。
八時二十分。
よし、いける。
「私、教室に行く前に購買に寄ってく! お弁当だけだと、部活前にお腹が空いちゃうんだよね。 それに、お昼にはカツサンドが売り切れちゃうし!」
靴箱の前。
私はいつもより素早い動作で、上履きに履き替える。
八時四十五分にはホームルームがあるから、急いで買って教室に向かえば余裕で間に合うぞ。
「あ、待ってよ友恵っ。 私も、飲み物買いたいから一緒に行くー!」
茉瑠奈も慌てて履き替えると、小走りでついて来る。
その様子が、なんだか小動物みたいで微笑ましい。
うん、心が和むなあ。
一階のフロアに生徒達の教室はない。
主に多目的教室や、学食兼購買スペース、そこをぐるりと回って行けば体育館。
フロアの中央には大きな階段。
その脇に、歴代の生徒達が勝ち取った優勝旗、賞状などが飾られている。
その中には、剣道部の全国大会で、私が準優勝した時に贈られた賞状も飾られていた。
ま、私にはなんの価値もない、ただの紙切れも同然。
早急にカツサンドを買うことの方が、何倍も価値があるというものだ。
並んでいる品物は、主にパンや牛乳などの乳製品。
近所のパン屋さんが朝一で焼いたものを仕入れているから、それはもう美味しいわけで。
生徒達から人気があり、信じられない競争率で昼過ぎには必ず完売するほど。
というわけで、なにか食べたいパンがある時は、朝の時点で買ってしまうのが定石だ。
そんなこんなで購買に着くと、驚くべき光景が視界に入り、私は思わず戦慄してしまった。
既に、カツサンドが残り僅かになっていたのだ。
「お、恐るべし、カツサンドの人気……!」
「わ、やっぱり人気なんだねえ」
とりあえず、無事にカツサンドを入手できた私の横で、茉瑠奈はフルーツ牛乳を購入した。
私は、おや、と首を傾げる。
「あれ、いつものクリームパンは買わないんだ?」
「へっ!?」
私が横でそう言うと、茉瑠奈は肩を震わせてフルーツ牛乳を落としそうになる。
わたわたと動揺しつつも、フルーツ牛乳を落とさんとして、まるでお手玉のような状況に。
一人大道芸に興じる茉瑠奈の様子を眺めて、私は冷静に分析する。
ふむふむ、なるほど。
本当に茉瑠奈はわかりやすい。
「もしかして、またダイエット?」
「……う、うん」
私がそう聞くと、フルーツ牛乳を胸元あたりで収めた茉瑠奈は、バツの悪そうな顔で頷いた。
「……茉瑠奈。 私は、わざわざ食事を制限してまで、無理に痩せる必要はないと思うけど。
今のままでも、充分女の子らしい体型じゃない。 それくらいの方がちょうど良いって。 それ以上痩せたら、骨になっちゃうよ?」
「と、友恵はスリムだし、いくら食べても太らないからわからないんだよっ。 私は食べたら食べた分だけ太っちゃうもの」
言いながら、茉瑠奈は自らのお腹をさする。
「最近、ちょっと食べ過ぎることが多かったから、お、お腹周りがそ、その……うぅ」
顔を赤面させて鼻を鳴らすと、口を噤んでしまった。
彼女のお母さんが作るご飯は、どれも美味しい。
家に遊びに行った時には、必ずのようにご馳走を振る舞ってくれるもんだから、私もそのあたりはよくわかる。
しかし、普段は大人しい茉瑠奈だけど、ダイエットの話になると途端に自分を曲げなくて、頑固に自分を突き通すなあ。
こうなってしまうと、私が何を言おうが全て徒労に終わる。
ここは大人しく引き下がるとしよう。
「そう。 まあ、無理はしないで。 頑張り過ぎて、体を壊しても意味ないからね」
引き下がりつつも、一応釘は刺しておく。
無論、これは大切な親友の体を労わってのことだ。
それを察したのか、茉瑠奈は少し申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「う、うんっ、気をつける……、あ、でもっ、せめてあと三キロは、はえ!?」
「え、え? どうしたの!」
言いかけたところで。
茉瑠奈は、顔から湯気が出るんじゃないかと心配になるほど、顔に赤みを迸ほとばしらせる。
そして、ぷるぷると震え出した。
私は、全身からはてなマークが乱舞しそうなほど状況が飲み込めず、ただただそんな茉瑠奈を前に呆然と立ち尽くすだけ。
ほどなくして、茉瑠奈は私に飛びついて両手を握ると、上下に激しく降った。
「とっ、ととっ、友恵!! 今の話、聞かれてたかなぁ? もしかして、ダイエットのところから聞かれてたのかなぁ!?」
「えっ、なにが? いったい、どうしたっていうのよ!?」
長年連れ添った親友の間柄であるが、未だかつて見たことのない親友の乱れっぷりに、私は動揺してしまう。
そして、話の筋がまったく理解できない。
私は、茉瑠奈の両肩に手を置いて、とりあえず落ち着かせる。
「茉瑠奈、落ち着いて。 ……ゆっくりでいいから、状況の説明、できる?」
若干息を荒げる茉瑠奈は、一度深呼吸をした。
一息つくとだいぶ落ち着いたようで、それから改めて口を開く。
「今、通ったよね……、私の隣、男の子が」
「隣? そ、そうね、確かに誰か通ったかも」
そう言われれば確かに通ったな、くらいの曖昧さ。
男か女かと聞かれれば、男だった、気がする。
でも、こちらからだと背中しか見えてなかったので、顔は認識できていない。
反対に、茉瑠奈側だと顔もしっかり認識できる。
茉瑠奈の顔が、またもや赤くなる。
大きな瞳が微かに潤んでいて、こっちまで息が苦しくなりそうなくらいだった。
ま、まさか。
私の頭の中に、ある憶測が過った。
ここはひとつ、試しに聞いてみよう。
そう思って、私は何故か妙な重みを感じながら口を開く。
「も、もしかして……、好きな人でも通ったとか?」
今や誰もいない学食スペースに、私の声がこだまする。
しばしの沈黙のあと、茉瑠奈はこくりと頷いた。
「……う、うん」
後頭部をバットで殴られたかのような衝撃と、意識が遠退いていく感覚。
気をしっかり持っていなければ、次に目を覚ますのは保健室のベットの上だろう。
がしかし、こちらの気などいざ知らず。
頬を仄かな紅色に染め、肩をきゅっと縮めて、フルーツ牛乳のパックが潰れてしまいそうなほど握りしめる茉瑠奈。
間近の距離にいるからか、彼女の早まった心臓の鼓動が、私の体にも響いてしまいそう。
私は恋愛に疎い。
それでも、痛いほどわかる。
茉瑠奈のこの反応は、人が本気で異性に惹かれた時の反応に他ならないのだと。
どこにも行き場が無くて、もどかしくて、切なくなる感情。
こちらまで、赤面してしまいそうだった。
本来なら、所謂恋話とかいうやつで盛り上がれるのだろうが、生憎私の経験値ではそんな高等技術は無理。
なにより、茉瑠奈とはずっと一緒にいて姉妹のような間柄だったためか、今の彼女は見るにたえない。
だって、こんなになっている茉瑠奈を見るのは初めてなんだ。
どんな言葉をかけて、どう接してあげるのが正解なのか、わたしには見当もつかない。
それにしても、とんだ幸せ者がいたもんだ。
二年生に上がってから間もなく、数多くの有望株に告白されながらも悉く断っていた、あの茉瑠奈が惚れこんだ男とは何者なのか。
無性に気になる。
ああもう。
そいつのクラスと名前さえわかるのなら、今すぐにでも教室に殴り込みに行ってやるのに。
そしてじっくり顔を拝んだあとに、土下座のひとつでもさせてやる。
茉瑠奈の恋路を応援してあげたい気持ちは、もちろんあるし協力もしてあげたい。
でも、大切にしていた妹が誰かに取られたような、焦りとも怒りとも言えない感情が私の中でふつふつと沸き上がる。
この感情を、なんて名づけてあげればいいのやら。
「茉瑠奈、そいつの名前は? クラスは? 一度顔を拝んでやらないと気が済まないかも、私。 そんでもって、二、三発ひっぱたいてから、土下座させてやる……!」
壊れてる、私今壊れてる。
大量の水をせき止めていたダムが崩壊してしまい、歯止めの効かなくなった激流の如く、謎の感情が私の中で暴れていた。
「と、友恵! ひっぱたくとか、土下座とかっ、やめてよっ……、あ、あの、その人、友恵と同じクラスの人なんだよ、えへへ」
「えっ! 誰だ……?」
思わず素っ頓狂な声が出てしまい、口元に手を当てる。
これは予想外。
何故なら、二年C組は男の面子が悪くて有名だから。
私が言えたことではないけど、全体的にもっさりとしているのだ。
主に顔が。
一体誰なんだ?
検討もつかないわけなのだが、好都合だ。
授業中、隙を見てシャープペンを投げてやろう。
躊躇いなく思いきり、明確な殺意を込めて。
「今回は、友恵にもきちんと言っとかないとねっ。 私の好きな人が誰なのか。 やっぱり、隠し事は良くないし!」
そう言う茉瑠奈は、どことなくうきうきしている様子だ。
口元が明らかにニヤけている。
さっきまで顔を赤面させていたのに、意中の相手と偶然ながらもすれ違えたのが、よほど嬉しいのかな。
そのまま天まで飛んで行ってしまいそうで、嬉しさのオーラを全開に放っている。
まったく、本当に茉瑠奈はわかりやすい。
「あはは……、いやなら、無理に言わなくてもいいんだよ。 まあ、もし付き合うことになったら、一応報告は欲しいけど」
「つ、付き合うって。 ……まだ、全然そんなんじゃないよ。 だって、話だってまともにしたことないし。 向こうは私のこと、知ってるかも怪しいんだ」
なるほど。
完全な片思いってわけだ。
「とにかく、友恵には知っておいてほしいのっ。 ……言うね」
拳を握りしめ、一人で決意を固める茉瑠奈の様子を見て、ついつい私まで緊張してしまう。
目を瞑って深呼吸をすると、落ち着いた面持ちで口を開いた。
「……春野蒼太くんっ」
ガンッ!!
「……ちょっ」
私は、またもや頭部をバットで殴られたかのような衝撃を感じていた。
いいや、殴られたなんて生易しいものではないな。
これは、タコ殴りにされて、撲殺されてしまったくらいの衝撃だ。
冗談抜きで、意識が飛びそう。
そんな私を他所に、茉瑠奈は恥ずかしそうに自らの顔を両手で覆っていた。
どうして、よりによってそいつのなのか。
何故、そいつを選んでしまったのか。
どの名前が出てこようが、素直に応援しようと思っていたのに、こればっかりはだめだ。
本来なら、私が口を出す問題ではないのかもしれない。
でも、これは親友を想ってのこと。
心を鬼にするのも、大切。
「ねえっ、友恵。 春野くんってクラスではどういう……、友恵?」
落ち着いて、冷静に。
私は、ゆっくりとした動きで茉瑠奈の肩を掴む。
対する茉瑠奈は、目を見開かせてただただ私を見つめていた。
「……いい? 茉瑠奈、春野蒼太は——」
キンコンカンコン、と。
ここからが大事だと言うのに、チャイムのやつが最悪のタイミングで校内に響き渡る。
ていうかマズい。
これ、ホームルーム直前を知らせるチャイムだ!!
そんなこんなで、死に物狂いで走った結果、なんとかホームルームには間に合ったのだが。
結局、疑問は解消されていないし、肝心な言葉を言えずじまい。
ああ、もうっ。
これでは、授業になんて到底集中できない。
「……ちッ」
私は、背後の席に座るやつに向かって勢いよく振り返ると、そのまま無言で睨みをきかせる。
窓側、最後列。
後ろの席に座っているやつこそ、春野蒼太だ。
「……な、なに?……授業、始まるけど」
顔なんてろくに見てないけど。
春野は、こちらの牽制にえらく動揺していて、授業が始まるから前を向いた方がいい、とかなんとか、しどろもどろになりながら言っている。
「おーい、狭山ぁ。授業始めるから、前向けー」
「ふんっ!」
老練なベテラン先生の声に、一応従って前に向き直る。
うしろの席なら、シャープペンを投げることもできないじゃないか。
もう、今日の授業はあきらめた。
縦肘をついて、窓の外の景色を眺めふけることにしたのだった。




