茉瑠奈と友恵・前編
春の朝日を浴びながら、私は眠たい目を擦る。
冷たい空気が体の芯まで凍てつかせるので、おかげで眠気も少しは冷めた。
電線で羽を休める小鳥達の忙しない合唱を聞きながら、それを眺めてあくび混じりに歩を進める。
長い長い坂道。
私の通う学校へと続く通学路。
前と後ろ。
同じく通学する学生達が、やはり半開きの眼で白い息を吐きながら歩いている。
それでも、中には元気に談笑している人達もいるので、朝が強くて良いなあ、と心底羨んだ。
立派に花びらを蓄えた桜の樹が、惜しげもなくそれを散らしている。
本日は快晴。
気持ちの良い朝だった。
どこまでも広がる、雲ひとつ無い鮮やかな青空に、燦々と輝く太陽がぽっかりと浮かんでいる。
このまま、空まで飛んでいけたのなら、学校に行かなくていいのにな。
つまらない授業を受けなくてもいいのになあ。
なんて、幼い妄想を膨らませていく内に、なんだか可笑しくなって一人で笑っていた。
坂を登りきる。
自宅から学校まで、ちょうど中間地点に位置する、見通しの良い大きな十字路に到着。
そこで、私は一息ついて足を止めた。
この地点は、親友との待ち合わせ場所。
ここで落ち合って、肩を並べて学校へ行くのが私達の日課だった。
私は、ベージュ色のスクールコートのポケットから携帯を取り出す。
ディスプレイに表示された時刻は、七時四十五分。
「ちょっと早く着いちゃったなあ」
ディスプレイとにらめっこして、私はむう、と唸る。
待ち合わせの時間は、八時ちょうどだ。
約十五分も早く、待ち合わせの場所に到着してしまったらしい。
恥ずかしいことに、いつもなら時間ぎりぎり。
むしろ数分ほど親友を待たせてしまい、慌ただしい登校になってしまうのが恒例行事なんだけど。
主な理由は二度寝。
私は、朝にとことん弱い。
それなら早く床に就けばいい、単純な話。
でも、趣味の絵を描いていたりすると、ついつい遅くなってしまって。
今日の朝は、お母さんによる決死の妨害作戦に打ち負けて、二度寝を阻止されてしまった。
それで、普段のサイクルが早まってしまい、いつもより早めの到着というわけだ。
「ゆっくり待とう」
一人呟きながら、車道と歩道を隔てるガードレールに腰を下ろす。
お尻が冷たい。
でも、花見気分で桜を眺めながら、ゆったりと親友の到着を待つのも悪くはない。
首に巻いたマフラーにスクールコート。
それと、手にはめた手袋。
可能な限りの防寒具を装備しているけど、それでも今日は一層冷え込んでいて。
風が吹くと、やはり寒い。
私は手と手を擦り合わせ、息を吐いて温めた。
そんな私をよそ目に、桜の花びらが楽しそうに不規則な軌道を描いて、やがて歩道に落ちる。
穏やかな朝の一景。
すっかり眺めふけっていた私の肩を、誰かが軽くつついた。
たったそれだけなのに。
私は、犯人が誰なのかすぐにわかってしまう。
自分でも、たちまち笑顔に変わっていくのがよくわかる。
「おはようっ、友恵」
言いながら、つつかれたほうを向くと、やはり予想は的中していた。
儚気な春の景色なんて、今にも吹き飛ばしてしまいそうなくらいの。
高校生とはかけ離れた美貌の持ち主。
それなのに、目の前の女の子は無自覚な美しさなんていざ知らず、白昼堂々と鼻水を垂らしている幼さ。
人目を惹きつける美しさと、どこかまだ幼いアンバランスさが同居する、綺麗な女の子が立っていた。
彼女は友恵、私の親友だ。
「おはよう、茉瑠奈。 ……今日はさびぃね」
茉瑠奈。
私の名前だ。
友恵はぶっきら棒にそう言いながら、乙女にあるまじき音を立てて鼻をすすっている。
豪快な彼女を見て、私は思わず吹き出してしまった。
制服の上から、緑色のコートを羽織っていて。
小鹿のように細いけど筋肉質な、しなやかに伸びた足を黒のニーソックスで包む。
赤いマフラーを口元まで巻きつけて、がちがちの完全防備。
それでも友恵は、両手をコートのポケットに入れて、肩くらいまで伸びた髪と一緒に、小刻みに震えている。
友恵は、昔から寒がりだった。
「寒そうだねえ」
「うん、寒いよ。 ……なに、茉瑠奈は寒くないの?すごいねっ」
すごいね、なんて。
切れ長で綺麗な瞳を真ん丸にすると、友恵は白い息を吐きながら心底驚いている様子。
まるで、自分が人外の存在——噂の死神になってしまったんじゃないか、と思ってしまうほど。
大袈裟なくらい、見事な驚きっぷりだ。
「えへへ、そりゃあ私だって寒いよ。 でも、友恵ほどじゃないかなあ」
言いながら、友恵の白い手を取って自分の手と擦り合わせる。
すっかり冷え切った手に、私の体温と友恵の体温とが交わって、次第にぽかぽかと暖まっていくのがわかる。
初めはきょとんとした様相で、されるがままだった友恵が目を細めて微笑む。
「ありがとう、茉瑠奈。 だいぶ暖まったかな」
口数が多い方ではなくて、あまり表情を変えない友恵は、冷たいイメージを持たれやすい。
よく小耳に挟む言葉を簡潔にまとめると、なんだか近寄り難い存在なんだとか。
だけど、親友である私はよく知っている。
友恵は、笑うと本当に可愛くて、綺麗な女の子なのだ。
その事実を知っている人が少ないというのは、なんだか寂しい。
けど、友恵をよく知る親友の特権。
なんて気もして、なんだか優越感。
「将来、茉瑠奈と結婚する男は、きっと幸せなんだろうねー」
「へっ!? どうしたの、急に?」
思いもよらない友恵の言葉に、私は鳩が豆鉄砲を食ったような表情になってしまう。
にししと笑う友恵は、歩き出す。
方角は、私達の通う学校だ。
「あ、待ってよ、友恵!」
すたすた歩いて行ってしまう友恵に、私は慌ててついて行く。
「茉瑠奈は、私と違って女の子らしい。 ふわふわな髪の毛とか、真ん丸い目とか……、お人形さんみたいで可愛い」
「ええっ? そ、そんなこと……」
「それに、よく気配りもできるし、明るいし、料理上手だし優しいし。
将来、男に尽くしてあげる、良いお嫁さんになるだろうなって思ったの、今」
「……そうかなあ。 わ、私なんか、別に」
「その、私なんて、とか、私なんか、とか。 良くないよ」
淡々と、頬が熱くなるような言葉を並べていく友恵。
なんだかむず痒い。
けど、言葉は耳に入っていくものの、頭で合致しない。
そんな自覚なんてないし、正直友恵の買い被り過ぎだと思う。
「私、知ってるよ。 二年生に上がってから、もう何人かに告白されてるでしょ?」
「へっ?」
心臓が、きゅっ、と音を立てて窄まる。
息が止まるかと思った。
「……し、知ってたんだ」
「そりゃあ、私は茉瑠奈の親友ですからね」
友恵の言う通り、告白された。
他クラスの、バスケットボール部とサッカー部の男の子とか。
すごく成績優秀な、同じクラスの男の子。
でもなんだか気恥ずかしくて、友恵には言えずじまいでいた。
まさか、知られていたなんて。
でも、学校というネットワークの狭い環境。
それだけ噂が広まるのは早いだろうし、当然と言えば当然のことなんだろうけど。
私は、いたたまれなくなって顔を俯かせる。
「ご、ごめんね。 隠そうとしてたわけじゃないんだけど……、なんだか言いづらくて」
「ううん、それは気にしてないけど。 誰とも付き合ってないんだね」
「……う、うん」
「私の知ってる限りだと、顔は悪くないやつばっかなのに。 あ、もっと格好いいのが良いんだ? 茉瑠奈って、意外と面食い?」
友恵はそう言うと、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。
私は、慌てて手を振る。
「格好良い、格好悪いとかじゃなくてっ。 その、なんて言うのかなあ……、なんか、違うなって。 そう思ったから、断ったのっ!」
「ふうん、なんか違うか。 要するに、茉瑠奈にとって、あの中で付き合いたいって思える人がいなかったわけね」
うんうん、と頷きながら顎に指を添える友恵。
「ま、まあ、そんな感じかな」
みんな、格好良い人達だった。
お近づきになりたい女の子も、たくさんいるんだって聞いてた。
だからこそ、私じゃ釣り合わないと思った。
この人達には、もっと相応しい人がいるはずだって。
断った理由は、それに尽きる。
昔から、自分に自信が持てない。
引っ込み思案で、上手く自分を主張できなくて。
よく笑顔が良いって言われるけれど、それは自己主張ができなくて、笑って誤魔化しているだけに過ぎない。
勉強も優秀ってわけではないし、言わずもがな運動は壊滅的。
得意と言えるものは、料理と裁縫。
あと、昔から好きだった絵を描くこと。
そんな具合で。
つくづく、自分の魅力というものがわからない。
私を可愛いって、友恵は言ってくれる。
けど、自分を可愛いなんて思ったことは、人生でただの一度もない。
友恵。
あなたの方が、私なんかよりもよっぽど素敵な人なんだよ。
※
狭山友恵は、昔から私の憧れであり、ヒーローのような存在だった。
何をしたって様になっていて、かっこよくて。
足が速いから、よくリレーのアンカーになってたし。
私がいじめられていると、すぐに助けてくれたり。
小学生の頃は、クラスの男の子を引き連れて、裏山に秘密基地を作ったりして。
まさに、頼れるみんなのリーダーって感じだった。
友恵の実家は家系を遡っていくと、有名な武将に熱い信頼を寄せられていた武士がいる。
要するに、家臣だった人物。
友恵の家系は、由緒正しい武家の家系である。
友恵のお父さんは警察官。
正義感が強くて、熱い心を持っていて、絵に描いたような筋肉隆々のお父さん。
街ですれ違おうものなら、目を合わせる事すら阻まれる外見なのに、友恵の前ではとても優しいお父さんになるんだから面白い。
友恵のお母さんは、綺麗で優しくて、お父さんに負けず劣らずの武闘家。
二人の出会いは、拳と拳の語り合いで。
友恵曰く、夫婦喧嘩は自宅が戦場になるのだとか。
お料理が上手で、特にお母さんのシチューは絶品だと思う。
かなりの酒豪で、お酒の量ならお父さんより上かも。
お父さんと、お母さん。
二人とも、まるで我が子のように私を可愛がってくれる。
友恵のお家にお泊りに行くと快く迎えてくれて、夏になれば庭で花火だったり、冬だったらかまくらを作ったり、一緒に遊んでくれて。
本当に大好きな二人。
そして、友恵。
お父さんの影響で、決して強要されたわけではなく、物心がついた時には自ら剣道をやり始めたとか。
その腕前はやはり凄まじいらしく、十六歳にして剣道の段位階級は三段。
私にはさっぱりなのだが、周りが言うにはすごい事で、時が来れば四段もすぐに取れるだろうと言っていた。
やっぱり、友恵はすごい。
そんな友恵と初めて出会ったのは、小学二年生の頃。
新学期のクラス替えで、今まで仲の良かった子と離れ離れになってしまった。
もともと友達が少なかった私は、あまり交流のない子達だらけのクラスに組み込まれてしまった。
何とも言えない心細さを痛感している中、隣の席に座っていた女の子が友恵。
綺麗な子だな、って胸がときめいたのを今でもはっきりと覚えている。
彼女はまさに竹を割ったような性格をしていて、自分の意見をきっぱりと言うし、物怖じしない。
体育の授業では、剣道の賜物なのかそれとも持ち前なのか、運動神経の良さで男の子顔負けの活躍をする事も多々あった。
私はそんな友恵を陰から眺めて、人知れず憧れていた。
それは、男の子にとっても同様だったようで。
友恵の事が気になっている男の子達は、例に漏れずわざと意地悪をした。
けれど、はっきりとした自分を持っていて、尚且つ自分の意見をきっぱりと言う友恵。
やがて男の子と口喧嘩を始めたかと思うと、殴り合いの喧嘩に発展する。
そうして、この過程が日常茶飯事となるのだ。
最初はみんなで止めようとしていたものの、一週間後には止める事を諦めてしまった。
ある日、いつもより激しい喧嘩を繰り広げたあと、鼻血を垂らしていた友恵を手当てしてあげた。
その時に、私達は初めて言葉を交わして、仲良くなったんだ。




