終宴
レジーナと出会い、契約を交わしてからはや一ヶ月が過ぎようとしていた。
これまでの鬱屈としていた人生が嘘だったかのようで。
本当に楽しくて、煌めいていて、生き生きとした毎日。
実に目まぐるしい速さで、人の命を奪う日々が過ぎていく。
僕は、途方もない充実感を得ていた。
それもこれも、すべてはレジーナという素敵な死神が与えてくれた甘露。
まったく、僕にはもったいないくらいの女性だ。
人を殺すということに関しては。
最初は、とにかく無差別に殺してみた。
老若男女を問わず、興味関心が少しでも湧けば、とりあえず殺した。
殺害場所はさまざまだ。
例えば。
あまり意識をしたことはないのだが。
僕は、愛想や人あたりが良いらしく、他人にあまり警戒心を持たれない。
なので、バスや電車で席を譲った際に仲良くなれたお婆さんの荷物を持って、そのまま一人で暮らす自宅にお邪魔させていただく。
ここまで来ればもうおわかりだろう。
そのまま、他者に目撃されることなく犯行に及ぶのだ。
その時々の流れ、状況次第で臨機応変に。
高架下や河川敷。
深夜なら、廃墟や廃病院。
木々の生い茂る森や、山の奥など。
本当にさまざまだ。
凶器は基本的に使わない。
そもそも、僕には無用の長物だった。
死神は契約が成立すると、主人の願いに応じて何らかの力を得るらしい。
レジーナの場合は。
僕に常識をこえた腕力を与えて、自身はあらゆるものの影に溶けこみ、他の影まで移り渡ることができるというものだった。
最初こそ、過ぎた力に戸惑いはしたものの、なかなかどうして。
軽い手刀で人体の各所を折れるのだから、今では非常に重宝している。
身軽に動き回れるのは第一に。
凶器を携帯する必要がないので、不意に警察官から荷物検査をされた際にも安心だ。
そして、レジーナの能力だが。
僕を同行した状態での潜伏や、移動が可能なため非常に有用だと知る。
今後、犯行が明るみとなった場合。
警察に監視されるという最悪のシナリオを辿ったとしても、この力さえあればいくらでも逃げ仰るので有り難い。
レジーナが言うには、彼女自身は“特異型”というものに分類されるらしい。
数多くいる死神の中でも、大まかに三つの型で分類されている、とか。
まあ、便利な力を得られたのだから、正直なんだっていい。
僕は、これらの能力を駆使しながら、ますます惨殺の日々を送った。
一仕事を終えて、心地の良い疲労を感じつつ帰宅するや否や、ベッドの上でレジーナと結合しつつ、次はどんな人物を標的にしようか、と。
事後に抱き合いながら、二人で作戦会議をする。
思いのままに、望むままに生きていた。
ちなみに、死体の処理はしない。
僕の手によって美しく散った、人間であったもの。
それをどうして、わざわざ台無しにする必要があるのか。
見せつけるように、誇示するように遺体を現場にあえて残しておいた。
当然の結果として。
各所で損傷の激しい遺体が発見され始めて、ニュースで連日報道されるようになった。
それ以降、警察も二十四時間体制で見回りに精を出している。
ご苦労なことだ。
レジーナの能力を行使すれば、警察なんて恐るるに足らず。
眼中にない警察なんかよりも。
今や、底なしの恐怖に満ちた華咲市の空気感、過熱の一途を辿る報道。
それらを己の手で巻き起こしているという事実に、誇らしささえ感じられて、まさに万感の思いだった。
そうして、積み上げた死体が二十を越えた。
その頃からだ。
最初こそ、人を手にかける行為で得られていた生の確認作業も、次第に希薄になっていることに気がつく。
都度の標的が違うとはいえ、殺害の仕方などがほぼ同じが故に、新鮮味を失ってしまったのだろうか。
マンネリ、というやつだろうか。
まずいと思った。
なので、僕はあの手この手、あらゆる変化を加えて状況を打開しようとする。
ナンパ紛いの行為を人妻に仕掛け、まるで不倫のようなシュチュエーションを演出しつつ、連れこんだラブホテルで殺してみたり。
条件は同じまま、標的を同性に変えてみたり。
時には、妊婦や大手財閥の愛娘でも手にかけた。
だが、どれも効果は無かったといえる。
次第に、殺人は僕にとって新鮮味のない行為と成り下がり、生への実感を得ることはできなくなった。
日に日に生気を失っていく僕を見て、レジーナは戸惑いながらも、甲斐甲斐しく支えてくれたのが救いだった。
そうして、生きる活力が枯渇し、一旦殺しを休もうかと考えていた矢先。
量ではなく質。という、ひとつのひらめきを得た。
そうだ。
多くの人間を、まるで作業のように捌いていれば、新鮮さが失われるのも無理はない。
最高の悲鳴。
最高の表情。
最高の抵抗。
最高の断末魔。
それらすべてを兼ね備えた、素晴らしい標的を見つけて殺せば、再び再起できるのではないか、と僕は思い立った。
大事なのは鮮度だ。
とにかく実践あるのみ。
当たって砕けろの精神で、挑んでみることにした。
幸いなことに。
ここまで多くの人間を殺していたので、自分の好む傾向は理解していた。
あれは確か、三番目の標的。
背伸びをしたり、大人びていない。
垢抜けてなくて、素朴で年端もいかぬ少女。
この標的を手にかけた時こそ、僕が一番心動かされたのをよく覚えている。
夕暮れ時の廃工場に連れてこられて、この先の理解が追いついていない、あの嗜虐的な表情。
無力ながらも、精一杯に抵抗をして。
どうしたって無駄なのに、それでも搾りだす嗚咽混じりの命乞い。
最後の最後に、自分は死ぬのだとようやく理解して上げる断末魔。
それらすべてが。
まるで、ひとつの映画を観終えたかのような、感動と満足感を僕に与えてくれた。
翌日、僕は最高の標的を見つけるべく華咲市内を駆け回った。
公共の乗り物の中、公共の施設、保育施設や学校施設の周辺など。
遭遇できそうな場所は、徹底的に張りこんで探し求めた。
そうして、華咲小学校の六年生。
友人からは、梨紅と呼ばれていた女の子を見つけた。
事前に設けていた条件は、ほとんど満たしている最高の標的だった。
数日ほど観察してみてわかったこと。
彼女は、運動が苦手だ。
大勢の前で自分の意見を言うのが苦手であり、極度の引っ込み思案。
そして、重度の兄好き。
うん、最高じゃないか。
この子にしよう。
※
「わ、私のことは好きにすればいい……、惨たらしく殺したいのなら、そうすればいい。
ただ、この子だけはどうか、助けてあげてください。 お願いします……、お願いしますっ……!」
赤い夕日が窓から差しこむ一室で。
梨紅という女の子の父親が、目の前で土下座をして何度も何度も懇願する。
情けなく、額を床に擦りつけて。
大事な娘の未来を守るために。
しかし、それは無駄な行為だ。
今の僕は、何をされようが、何を言われようが止まるつもりは毛頭無い。
「そのお願いを叶えてあげることは、できないんです。 本当に、ごめんなさい」
きっぱり頭を下げる。
父親は、すっかり言葉を失ってしまい、呆然としている。
せめて安らかに、と。
手刀で、枯れ枝を折るかの如く、首を破壊する。
めりめり、と。
繊維が裂けて、骨が砕ける、なんとも生々しい音が、静かな部屋に響き渡る。
ほどなくして、彼は口から血を垂れ流すと、そのまま床に伏して絶命した。
その様はまるで。
糸釣り人形が、糸を切られて地面に落ちたような、なんとも言えない呆気の無さだった。
「あら。 ずいぶんとあっさり殺しちゃうのね、セイジロウ」
仕草のひとつひとつに色気を漂わせながら、胸元や太ももを露出させた黒いローブを着こなすレジーナが、驚いたように目を丸くさせる。
「無駄に時間をかけて殺せば、鮮度が落ちてしまうだろう? ほら、こんなに新鮮なんだからね」
「それもそうね。 こんばんは、可愛らしいお嬢ちゃん」
レジーナは、物腰柔らかに挨拶しながら軽く手を振る。
対するは、先ほどまで父親の背後に隠れていた女の子。
顔面蒼白。 まるで、感電したかのように激しく震えている。
愛らしい顔は歪んでおり、大粒の涙が洪水のように流れて顎から滴り落ちていた。
「はじめまして、梨紅ちゃん。 ……ようやく会えたね。 感動の、ご対面ってやつだ……!」
※
「……ふぅ」
真っ暗なリビングは、いまや静寂に包まれている。
壁掛け時計の、機械的に時間を刻む針の音だけが、静かに木霊していた。
庭に通じる大窓から差し込む月光が、僅かに室内を照らす。
途中、中学生くらいで、僕の好みではない少女の契約者と、刀を振るう死神の襲撃を受けたものの無事に撃退。
一仕事終えた僕は、リビングのソファに腰をかける。
スプリングの具合が絶妙で、非常に僕好みのソファ。
くつろぎながら、口の中のモノをゆっくり、ねっとりと転がす。
鉄臭い独特の風味と酸味が、口の中に充満する。
そして僕は、いまだ鼓膜にこびりついている女の子の悲鳴を、何度も脳内再生して余韻に浸っている。
初々しくて、瑞々しくて、生々しい。
これまでに聞いたことのない、最高の悲鳴だった。
そんな少女も、今や目の前で未発達な裸体を露わにし、腸を広げて絶命している。
まるで、少女の腹部から、大輪の花が咲いているかのように壮観な光景。
番いつがを失っている瞳が、死して尚、深い絶望を孕んでいた。
美しい。
僕は満足して、思わずため息を漏らす。
安っぽい性行為では決して得る事のできない、生きていることの安心感。
それを、心ゆくまで堪能する。
「セイジロウ。 口から血が溢れているわ」
こちらの肩に頭の重みを預けて、甘えていたレジーナは、僕の口から溢れた血液を舌で舐め取る。
吐息が頬にあたってくすぐったい。
「ねえ、レジーナ。 きみは、どの悲鳴が最高だった?
服をひん剥いた時、耳を弾いた時、片目を潰した時、指を千切った時、腹を裂いた時……」
僕はそう言って、口の中のものを摘まみ出す。
出てくるのは、唾液まみれになった少女の右手の人差し指。
すでに血色が悪くなっており、雪のように白い。
少女があまりにも愛らしかったので、ついつい指を千切って口に放り込んでしまったのだ。
丁寧に、テーブルの上に置く。
「……そうねえ。 これまで殺した人間と比にならないくらい、どれも別格だったけれど。
強いて言うなら、やっぱり腹を裂いた時かしらっ」
無邪気に言いながら、僕の胸周りに腕を回して抱きついてくるレジーナ。
「あの悲鳴だけで絶頂してしまいそうだったもの、私。 そう言うセイジロウは、どれがお気に入りだったの?」
「ん……、全部、かな」
顎に指を添えて、僕はそう答える。
嘘ではない。どれも甲乙つけ難くて、本当に素敵だったのだ。
故に、僕は少女のすべてを愛す。
「もう、セイジロウったら欲張りね」
楽しそうに笑うレジーナ。
つられて、僕も微笑んだ。
そうこうしていると、玄関から誰かが入ってくる音がした。
来訪者は、玄関先でわめき声を上げている。
「誰かが入ってきたわよ、セイジロウ?」
「ふっ、いよいよ本日の主役の登場かな」
「……なあに、主役って」
勿体ぶらずに早く教えてくれ、と不満げに頬を膨らませるレジーナ。
「この世代の家族構成は、父と母、一匹の犬。 そしてこの女の子と……、一歳違いの兄——は、ちょうど部活帰りかな?」
ちなみに、母親と犬はすでに台所で息絶えている。
「ふふっ。 長いこと余韻に浸っているとは思っていたけど、そういうこと」
僕の真の目的を理解すると、レジーナは最高に恍惚な表情を浮かべた。
「食後のデザートは、別腹だろう?」
少年は台所を経由して、絶望の表情を浮かべながら茶の間に姿を現した。
可哀想になるくらい、おぼつかない足取り。
血の海で満たされた茶の間を目の当たりにすると、彼は即座に膝を落として胃液を吐き出した。
想定通りの展開だった。
彼の帰宅をわざわざ待っていたものの。
ありきたりで、面白みのない行動をするようであれば、首を折って殺してしまおうと思っていた。
けれど、胃液をひととおり吐き出したあと、彼は僕の予想を遥かに越えてくれたのだ。
顔を上げるなり、僕を殺意に満ちた瞳で睨みつける。
濁り、すでに輝きはなく。
しかし、決して僕を許さないと言いたげな瞳は。
彼の人生において、最高であろう絶望の淵に立たされながらも。
それでも、生きたいという執念が見てとれた。
まさに、生への渇望。
彼を見ていると。
僕もまた、今を生きているのだと痛感させられてしまった。
殺しでは得ることのできない、新しい生の実感だった。
これは、彼の妹を殺した瞬間以上の感動だった。
「あは、はははっ! ……良いね、きみ! 最高だ!」
リビングに響き渡る僕の笑い声。
少年は壁を支えにふらふら立ち上がると、玄関の方に体を向けた。
この絶望的な状況の中で、諦めず抗おうとするその姿勢、やはりこの子は面白い。
「捕、か、ま、え、たっ! 悪いけど、あなたにはさらに素晴らしい絶望を築き上げるため、私たちに協力してもらうわよ?」
そろりと背後に回ったレジーナが、少年を優しく包み込むように腕を絡みつけた。
女性の姿とはいえど、彼女は人外の存在。
当然、逃げることは叶わない。
しかし、彼は顔を引きつらせながらも、懸命に暴れて脱出を試みる。
僕はその様子を、微笑ましく見守る。
「……んもうっ、大人しくしなさいな! 暴れたって無駄なのよ!」
その言葉に耳を貸さず、というよりは耳に入ってすらいないであろう少年。
さらに抵抗の勢いが増す。
偶然にも、少年の手がレジーナの顔にクリーンヒットした。
当たりどころが悪かったのか、レジーナはたまらず、といった感じで少年から手を離してしまった。
「あんっ……、なんて乱暴な子なの! 足の一本でも千切って、黙らせてやろうかしら?」
物騒な物言いに、少年の顔が一気に青ざめた。
「彼を解放してあげてよ、レジーナ」
「セイジロウ! 本当にいいの?」
レジーナは驚いたように目を見開かせると、ほどなくして至極残念そうな表情を浮かべる。
「ああ、今日一番に僕を楽しませてくれたお礼だ。 彼は、生かしてあげようじゃないか」
そんなやり取りをしていると、その隙を見て少年が玄関を目指して一気に駆ける。
レジーナは少年を追跡せんとするが、僕はそれを手で制止した。
ドアの開く音がした後、家内はまた静寂に包まれる。
当然の事ながら、今からでもレジーナが追いかければ余裕で少年を捕まえる事ができるが、僕はそれをさせなかった。
レジーナは落胆のため息を吐く。
「……せっかく、史上最高の絶望を味わう事ができたかもしれないのに。 ねぇセイジロウ、あの子を逃したのも何か目的があってのこと?」
レジーナの問いに、僕は首を横に振った。
「いいや、なんとなくさ」
僕がそう言うと、レジーナは呆れたように笑っていた。
なんとなく。
そう言うと、嘘になるかもしれない。
ここで生かして、逃したということ。
それは、彼が瞬く間に家族を奪われながらも。
これから果てのない地獄を噛みしめながら、生きていかなければならないということ。
まさに、生き地獄だ。
それでも、残酷な運命に抗おうとする狂気を宿した彼の瞳に、僕はどうしようもなく惹かれてしまったのだ。
彼の行く末が、無性に気になってしまった。
絶望の赴くまま、彼は自らの命を絶ってしまうのか。
或いは、運命に抗いながらも、あがくように生きていくのか。
まあ、なにはともあれ。
僕とレジーナは、リビングをあとにする。
さらに、最高で美しい標的を見つけるために、ここから再び歩み出すのだ。
※
「……諸星誠次郎、だな?」
その後。
華咲市を離れて、新たな標的を探し求めていた誠次郎であったが。
“死神の外様”を名乗る集団から連日の襲撃に遭い、身を隠す生活を余儀なくされた。
ほどなくして、“死神殺し”と呼ばれる男が現れる。
自身も死神と契約した身でありながら、死神を憎み、殺戮の限りを尽くしているという復讐者の異名だった。
死神殺しと出会ったが最後。
地の果てまで追いかけられ、脅威的な力で殺される。と、巷で恐れられていた存在。
当然、誠次郎の耳にも入っていた。
互いに、一歩も譲らない激闘を繰り広げる両者であったが、誠次郎は大鎌の一撃でついに引導を渡されることとなる。
短くも、悔いのない人生だった、と。
彼は、恨みや妬みの言葉を吐くことはなく。
自身の死すらも幸せそうに堪能し、断罪を受け入れて、満足そうな死を迎えたという。




