第4話 ゲーム会社渾身の結婚式
第十章 ゲーム会社渾身の結婚式
結婚式には、ゲーム会社が最も予算をかけたのではないかと思うほどの豪華さがあった。
もちろん、そんな事情を知っている者は公爵令嬢一人だけだった。
王都の大聖堂へ続く道には旗が並び、窓という窓から人が身を乗り出していた。
先導する騎兵の装具には金糸が入り、その後ろを儀仗兵が進む。
大聖堂の鐘が鳴り終わると、専用に作曲された婚礼のファンファーレが始まった。
高い金管の音が石造りの空間へまっすぐ伸び、その下から低い楽器が厚く支える。旋律は一度短く収まり、扉が開く瞬間にもう一度大きく立ち上がった。
女性侯爵シャルロットは、結婚式にふさわしい正統な白いドレスで入ってきた。
長い裾には細かな刺繍が入り、光が当たるたびに模様が浮いた。宝石の量で押すのではなく、布と仕立てそのものに手間がかかっている。
エミールは祭壇の前で待っていた。
シャルロットが隣へ来ると、エミールはほんの少しだけ顔を寄せた。
「緊張してる?」
「しています」
「私も」
「殿下もですか?」
「今日くらいはね」
式次第は長く、誓約、指輪、王家と侯爵本人の婚姻を確認する文書、祝福、音楽と続いた。そのたびに立ち、座り、また立つ。
女性侯爵は一つずつ間違えずに進めた。
最後のファンファーレが鳴った時、第一王子が小声で言った。
「全部できた」
「先生に報告できます」
「そこなんだ」
「大事です」
二人は笑った。
◇ ◇ ◇
この世界は、見た目だけなら徹底して乙女ゲームだった。
ヴィヴィエンヌ自身が目を引く美人で、シャルロットは自然な愛らしさを持つ。エミールや若い側近だけでなく、ルイを含む年長の男性まで妙に絵になる。シャルル公爵家へ戻れば執事まで端正で、四圃式の畑で働く農民たちは、汗に濡れた上半身へ筋肉が浮くような男ばかりだった。
「……農民までイベントCGみたいなのは、どうしてなの」
公爵令嬢が思わず漏らすと、隣の侍女が首をかしげた。
「何かございましたか?」
「何でもないわ」
前世で遊んでいたころから、人物の立ち絵とイベントCGには妙に力が入っていた。政治や経済の裏側まで同じ密度で作り込まれていたゲームではなかったが、見栄えの良さだけは現実になっても一切崩れていなかった。
第十一章 十年
最初の六圃式実験から、十年がたった。
その十年間も、ヴィヴィエンヌは新年の拝謁や王族の祝い事、外国使節を迎える式典、大きな夜会などで、たびたび王都へ出ていた。
公爵家は元王族で、王国でも上位の家柄である。公爵本人が出ることもあれば、ヴィヴィエンヌが公爵家を代表して出席することもあった。
エミールと結婚したシャルロットも、当然そこにいる。
避け続ければ、それ自体が目立つ。
シャルロットは、ヴィヴィエンヌが知っているというゲームをプレイしたことがない。題名も、登場人物も、どんなエンディングが用意されているのかも知らなかった。
それでも、ゲームというものがどう作られているかは知っている。
ゲームには、決まった台詞を返す人物がいて、条件を満たすと会話が変わり、何気ない選択肢からフラグが立つこともある。
相手がこの世界をゲームとして見ているなら、自分から変わった反応を見せるほど、何かのイベントだと思われる可能性が高くなる。
だからシャルロットは、ヴィヴィエンヌの前ではNPC(プレイヤーが操作しない、ゲーム内の登場人物)の振りをすることにした。
露骨に避けず、敵意も見せず、知りすぎている様子も出さない。
宮廷で誰にでも使える言葉を返し、公爵領で公になっている成果には、普通に感心してみせる。
最初に王宮で顔を合わせた時もそうだった。
「お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
「ありがとうございます。シャルロット様もお変わりなく」
「はい。公爵閣下もお健やかと伺っています」
「父も元気にしております」
「それは何よりです。よろしくお伝えください」
そこで別の貴族が挨拶へ来た。
「では、また」
「ええ」
翌年、公爵領で新しい農法を広げているという話が王都まで届いた。
「農業改革が順調だとうかがいました。新しい農法を領地へ広げておられるそうですね」
「ええ。まだ途中ですけれど」
「素晴らしいことだと思います。領民の暮らしがよくなるといいですね」
「ありがとうございます」
さらにしばらくすると、高炉を増やして鉄の生産量を上げたことも話題になった。
「鉄の生産も増えたそうですね」
「はい。高炉を増やしました」
「大きな仕事ですね。領地の産業が育っていると聞くと、私もうれしく思います」
褒めるところまでなら、宮廷の会話として何も不自然ではない。
シャルロットは収量を尋ねない。
鉄の販売価格も、品質も、設備費も聞かない。
公爵領の改革がうまく進んでいると聞けば、「素晴らしいですね」と答える。
その次の年には、
「今年も穏やかな年になるとよいですね」
帰領すると聞けば、
「道中、お気をつけてお戻りください」
ヴィヴィエンヌが何を知っているのか、シャルロットには分からない。
分からない相手へ、自分から材料を渡す理由もなかった。
礼をして、笑って、褒めるべきところを褒める。
そこから先へ会話を進めない。
シャルロットは、それで何年も通した。
王家が抱えていた砂地は、もう昔の姿ではない。
最初の12km²で手応えが出た段階から、事業は拡大された。
十年後には、1200km²に達している。
泥灰土を混ぜ、用水路と排水を整え、大きな区画へ整理した上で、六つの畑を一年ずつずらして回した。
運河につながる水路は、灌漑だけでなく収穫物の搬出にも使われた。
「最初は、ここ全部砂だったんですよね」
女性侯爵が水路沿いに立って言った。
エティエンヌが笑った。
「私も、最初の地図を見ると信じにくいです」
「小麦、大麦、カブ、大麦、クローバー、クローバー。ちゃんと回っていますね」
「はい。既存農地のかなりの部分は牧畜へ回しました」
遠くで牛が草を食べている。
「クローバーは管理もしやすいです。牛が雑草も食べますから」
「牛乳も肉も増えましたね」
「穀物より、そちらの変化を喜ぶ町もあります」
「特許の方も、正式に認められました」
「十年かかりましたね」
「先に出しておいて正解でした」
元がほぼ生産ゼロの土地だったため、改良途中の減収はなかった。
生産は、ほとんど純粋な上積みになった。
そして市場へ流れる穀物量が増え、その分だけ穀物価格は下がった。
◇ ◇ ◇
公爵領では、以前から試験区を担当してきた女性の農業技官が、報告書を前に難しい顔をしていた。
「収量は、ほとんど増えていません」
公爵令嬢は十年前と変わらない机に座っていた。
「四圃式を入れたのに?」
「元から土が良かったのです。平均以上の収量が出ていました」
「ゲームでは……」
言いかけて止める。
女性農業技官には意味が分からない。
ゲーム会社は、ノーフォーク農業を4圃式の輪作としか理解していなかった。せいぜい、同じ作物を続けて作る連作障害を避ける農法、という程度だった。
だが、イギリス東部のノーフォーク地方で行われた農業改革は、輪作だけで完結するものではない。砂質の土地では、地下にある泥灰土を掘り上げて表土へ混ぜ、保水性を高め、用水と排水を整える。その上で4圃式や6圃式の輪作を行い、カブやクローバーを飼料にして牧畜まで組み合わせる。
王家直轄地で進めたのは、こちらだった。
もともとほとんど作物を生産していなかった広大な砂地の遊休地そのものを、農地へ変えている。
公爵領は最初から土が良かった。そこで4圃式だけを導入しても、新しく増える生産量には限界があった。
「クローバーは四分の一です。牧畜も増えましたが、王家直轄地ほどの規模には届いていません」
「費用はかかっていますね」
女性財務官が別の書類を置いた。
「かなり」
鉄の方も同じだった。
木材燃料の高炉を増やし、銑鉄の生産量は増えた。
公爵領の技術水準は、そこから先へ進める段階に届いていなかった。
設備と燃料には莫大な金がかかった。
「鉄の生産は増えています」
「でも収入が」
「王家側の鋼材が市場へ出ています」
公爵令嬢は黙った。
ゲームでは、ノーフォーク農業も鉄生産も、選択して時間がたてば成功として数字が上がった。
現実では、新しいことを始めれば先に費用が出る。
他の土地も動く。
市場価格も変わる。
攻略情報の中に、まだ使える選択肢がなかったか。
公爵令嬢は記憶を探した。
それでも、前世の彼女は普通の女子大学生だった。
王妃教育も、ゲームのターン制経済を現実の領地経営へ変換する訓練ではない。
「次に使えそうだったのは、何だったかな……」
小さくつぶやいた。
◇ ◇ ◇
王家側の製鉄所では、二基の高炉が数年おきに交互運用されていた。
一方を止めて補修している間も、もう一方は動く。
コークス炉、焼結設備、石灰岩を扱う工程、高炉、転炉、熱間圧延、副生ガスの回収と再利用まで、十年かけて一つずつ設備と人材が揃った。
「二号高炉、次の補修計画です」
製鉄主任となったマルセルが図面を広げる。
第一王子は、もう若い王子ではなかった。
「一号はその間も動かせる?」
「はい。生産量は落ちますが、全面停止は避けられます」
王子の隣に座る女性侯爵が図面を見る。
「ガス系統は?」
「更新します。以前より回収率が上がっています」
「お願いします」
王子が横を見る。
「十年前、君が紙に書いた話が、本当にここまで来たな」
「技官の皆さんが作ったんです」
「最初に言い出したのは君だよ」
「神様です」
「まだそれで通すんだ」
「一生通します」
王子は笑った。
第十二章 穀物の値段
王家直轄地で増えた穀物の大部分は、それまでほとんど生産に使われていなかった広大な砂地の遊休地から生まれていた。地下の泥灰土を混ぜ、保水性を高め、用水と排水を整え、その上で6圃式を回した土地である。
既存農地の作物を置き換えた増産ではない。生産量のほとんどが新しい上積みだった。
そこから大量の穀物が市場へ出るようになると、影響は王領だけでは収まらなかった。
穀物価格が下がる。
穀物と競合しない作物を作っている多くの農民にとって、食料が安くなることは歓迎される。
都市の住民も助かる。
一方、穀物を事実上の収入としてきた領地は苦しくなった。
同じ量を収穫しても、売った時の金額が違う。
税や地代として穀物を集め、それを市場へ出して現金化していた領地ほど影響が大きい。
特にもともと土が良く、穀物生産だけで豊かだった領地では、四圃式を入れても収量が大きく伸びない。
費用だけが先に出て、市場価格は下がる。
十年前には豊かだった領地の中に、経営が苦しくなるところが現れ始めた。穀物販売を事実上の収入源としていた領地では、従来の支出を維持できず、領政そのものが立ち行かなくなる例まで出た。
公爵領も、その圧力から自由ではなかった。
「小麦価格が、また下がりました」
女性財務官の報告に、公爵令嬢は窓の外を見た。
遠くには整った四圃式の畑がある。
ゲームの画面なら、成功の表示が出ていたはずだった。
「農業生産は落ちていないのよね」
「落ちていません」
「鉄も増えた」
「銑鉄は増えています」
「それでも、収入は伸びない」
「はい」
公爵令嬢は長く息を吐いた。
ゲームの答えを知っている。
それだけでは、現実の答えにならなかった。




