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第3話 毒殺未遂

第七章 毒



 その日の昼食は、王族と近しい者だけの小さな食事会だった。


 食事の終わりに、宮廷のオランジェリーで育てた柑橘が出された。皮をむき、房に分けて皿へ盛っただけのものだった。


 シャルロットは一房を口に入れ、噛みかけたところで止まった。


 わずかな苦味がある。ところが、その苦味の奥で甘味だけが妙に強く浮く。果実そのものの酸味の出方が、いつものものと違っていた。


「……待って」


 エミールが手を止める。


「どうした?」


「これ、食べないでください」


「果物を?」


「はい。皆さんも止めてください」


 周囲が静まった。


 シャルロットは、舌に残る味をもう一度確かめようとはしなかった。下層で暮らしていたころ、亜砒酸を含むものをほんの少し舐めたことがある。あの時の記憶が残っている。


 それだけではない。前世の知識も同時に結びついた。


 この時代の園芸では、現象として知られていることがある。砒素を含む製剤を使った柑橘は、条件によって味の感じ方が変わる。昔の栽培者が経験則として扱う現象を、シャルロットは植物生理と生化学の側から理解できた。果実中の有機酸の状態が動けば、同じ糖分でも甘味の感じ方は変わる。しかも近世の製剤は現代の試薬ほど純粋ではなく、不純物まで含めて果実側の味へわずかな違和感を残すことがある。


「リュシアンさん」


「はい」


「この皿を動かさないでください。厨房だけではなく、オランジェリーも止めてください。今日この果実を採った木を確認して、残っている果実にも誰も触れないように」


 リュシアンの目が鋭くなった。


「毒ですか」


「亜砒酸が関わっている可能性があります。料理へ後から混ぜたというより、果実そのものがおかしいです」


 エミールの表情が変わった。


「全員、食事を止めてください。リュシアン、お願いします」


「承知しました」


 警備陣が動いた。皿も残りの果実も、その場で保全された。厨房から配膳までの経路が押さえられ、同時にオランジェリーへ人が走った。


 シャルロットは水で口をすすぎ、医師の確認を受けた。エミールはその間もそばを離れなかった。


「どうして、そこまで分かった?」


「昔、少し舐めたことがあります」


「亜砒酸を?」


「下にいたころです。周りで、対立した相手を毒で消そうとする人が何人かいました」


「何人か……」


「実際に死んだ人もいます」


 エミールは額を押さえた。


「君の昔の話を聞くたびに、私の想像を越えてくる」


「今はずっと安全です」


「今日、毒を盛られかけたところだよ」


「それはそうですね」


 シャルロットは少し困ったように笑った。


 前世の現代知識では、砒素製剤が農業や害虫対策に使われてきた歴史も知っている。和歌山の毒物事件で大型放射光施設SPring-8まで使われたのも、単に砒素を検出するためではない。和歌山には同種の砒素製剤が多く、微量不純物まで比較しなければ異同を論じにくかったからだ。


 この世界には、そんな分析設備はない。宮廷のオランジェリーでも、砒素を含む製剤は経験的な園芸用途として使われている。物質だけを調べて「どこにあったものか」を突き止めるのは難しい。


 それでも今回は、分析技術の不足が犯人を助けなかった。



◇ ◇ ◇



 オランジェリーは、その日のうちに封鎖された。


 栽培係に確認すると、問題の果実を採った個体には、通常の園芸管理から外れた砒素処理がされていた。さらに、その木の果実を食事会へ回すよう指示した人物まで、短時間でたどれた。


 皇后陛下マリーの側近、アンドレだった。


 気づかれるのが早かったため、アンドレが処分する前に、同じ木へ残っていた果実も、関係する物品も押さえられた。栽培係と配膳側の証言も一致した。


 アンドレは、その日のうちに拘束された。


 リュシアンが報告書を持ってエミールの前へ来た。


「状況証拠に加えて、物も残っています」


「本人は?」


「否認しています。ただ、行動経路は複数人が確認しています」


「初めてではないんだろう?」


「過去にも、似た不審な件との接点があります。本人は、何を扱っているか理解していたと考えた方がよさそうです」


 アンドレにとって、宮廷内に正当な用途の砒素製剤が存在することも、当時の技術では由来の特定が難しいことも、承知の上だった。経験があるからこそ、今回も気づかれないと見込んだ。


 想定外だったのは、シャルロット本人が果実の異常に気づいたことだった。


 エミールは報告書を閉じた。


「母上の命令は?」


「現時点では確認できません」


「分かった。そこは分けて調べてください」


「承知しました」


 リュシアンは、もう一冊の厚い書類を机へ置いた。


「それと、以前から集めていた件です」


「いじめの方か」


「はい。衣装、集合場所、伝達経路。確認できたものをまとめています」


 エミールはページをめくった。


 書類には、嘘の衣装色や集合場所を伝えた者、その指示を出した者、途中で話を変えた者まで、確認できた経路が並んでいた。


 その中には、マリー皇后陛下自身が主導した事例も含まれていた。あの黄色いドレスも、数日後の春の感謝祭用として用意されていた衣装を、先にシャルロットへ着せたものだった。


「父上へ出す」


「毒殺未遂と一緒に?」


「一緒に出す。別々に見たら、また『本人の失敗』で終わる」


 エミールは立ち上がった。



第八章 国王の目



 国王ルイは、二つの報告書を続けて読んだ。


 読み終わるまで、誰も口を開かなかった。


「私は」


 国王がようやく言った。


「場所を間違えたのも、衣装を間違えたのも、あの娘の能力が足りないからだと聞いていた」


 第一王子は黙っている。


「自己管理ができない。教育が足りない。そう聞いていた」


 国王は書類を閉じた。


「マリーから」


「はい」


「これは、ずいぶん違うな」


 警備責任者が答えた。


「確認できたものだけを記載しています」


「ヴィヴィエンヌの件を調べている人員は?」


「まだ動いています」


「止めろ。こちらへ回す」


 第一王子が父を見る。


「よろしいのですか」


「現職の王妃候補が宮廷内で毒を盛られた。物証もある。こちらが先だ」


 国王は皇后陛下の側近の名前を指で叩いた。


「過去も洗え」


「はい」


 その命令で、ヴィヴィエンヌについて調べていた人員は引き上げられた。


 数日後、シャルル公爵の領地にも通知が届いた。


「調査が止まるのですか?」


 公爵令嬢が父へ尋ねる。


「王宮で毒殺未遂が起きたそうだ。証拠も出ていて、調査の人員をそちらへ集めると書いてある」


「私の件は?」


「新しい材料が出るまで保留になるそうだよ。ヴィヴィエンヌの件が消えたわけではない。こちらで残せる記録は私が保管しておくから、今は王宮から次の知らせを待とう」


 シャルル公爵は、娘が持つ手紙へもう一度目を落とした。


「長く待たされるのはつらいだろうけれど、家ではいつも通り過ごしていい。農業の試験も製鉄の仕事も、君が続けたいものは続けよう」


 公爵令嬢は手紙を見つめた。ゲームなら次の事件で現場を押さえ、そこで状況をひっくり返すはずだった。その事件は起こらず、過去の疑惑だけが残り、今度は調査する人間までいなくなった。


 そこから、王宮側の捜査は思いもよらない方向へ広がった。



◇ ◇ ◇



 数年前、国王の第3夫人が亡くなっていた。


 当時は急な病として処理された。


 さらに、その前後にも説明のつきにくい死亡がいくつかあった。


 今回捕まった側近の過去を調べると、それらの事件と重なる。


 別の側近が呼ばれた。


「第3夫人の件について聞く」


 国王直属の調査官が言った。


 側近の顔が変わる。


「何を、でしょうか」


「皇后陛下から何を命じられた」


「……」


「同じ話を、すでに別の者から聞いている」


 側近は長く黙った。


「マリー皇后陛下から、指示がありました」


 同じ方向の供述は一人で終わらず、二人、三人と増え、複数の側近が皇后陛下からの指示を認めた。


 さらに、証拠隠滅を命じられた者の中に、処分せず隠し持っていた者がいた。


「なぜ残した」


「自分まで消されると思った時に、使えるものが必要でした」


 包みが差し出された。


 国王は、報告を聞いたその日のうちに命令を出した。



◇ ◇ ◇



「マリーを離宮へ移す」


 第一王子が父を見た。


「犯罪上位貴族用の離宮ですか」


「王族用のウイングがある。そこへ入れる」


「まだ処罰は決まっていません」


「だから、そこだ」


 国王は短く答えた。


「皇后を正式に処罰できる命令を出せるのは、私一人だ」


 第一王子の顔から表情が消えた。


「……父上を消せば」


「命令を出す者がいなくなる、と考えても不思議はない」


「警備を増やします」


「頼む」


 マリー皇后陛下は、その日のうちに宮廷から切り離された。



第九章 女性侯爵



 マリー皇后陛下の幽閉後、国王ルイはシャルロットを呼んだ。


 エミールも同席した。


「座ってくれ」


「はい」


 シャルロットは、まだ王族の前で座る時に少し硬くなる。


 国王はそれを見てから、手元の書類へ目を落とした。


「まず、謝らなければならない」


 シャルロットが顔を上げた。


「王家の中で、お前に対する嫌がらせが繰り返されていた。私は、それをお前自身の能力不足だと聞かされ、信じていた」


「はい」


「毒殺未遂まで起きた」


「はい」


「捜査にも協力してくれた」


「できることをしただけです」


 国王は第一王子を見た。


「それと、お前たちの婚姻についてだ」


 第一王子の背筋が伸びる。


「子爵令嬢との婚姻を貴賤結婚だと批判する声は、まだある」


「承知しています」


「だから、本人を叙爵する」


 シャルロットが瞬きをした。


「私を、ですか?」


「女性侯爵とする」


「……侯爵」


「父親の子爵位とは別だ。お前自身の爵位だ」


 シャルロットはエミールを見た。


 第一王子が笑う。


「これで、結婚できる」


「今までもするつもりだったでしょう?」


「もちろん。でも、余計な口をかなり塞げる」


 国王もわずかに笑った。


「子どもにも継承権を持たせられる。今回の件への詫びと、協力への評価も含める」


 シャルロットは立ち上がりかけ、慌てて座り直した。


「今、立つところでしたか?」


 第一王子が吹き出した。


「そこはマドレーヌ先生に聞こう」


 国王も声を立てて笑った。



◇ ◇ ◇



 ここで、彼女の前世について一つだけ、王子にも宮廷にも知られていないことがある。


 彼女は二十八歳の日本人だった。


 実家に経済的な余裕はなく、奨学金を使いながら学生時代からフランスで学び、大学院では博物学を修めた。そのままフランスに残り、科学館の学芸員として働いていた。


 だから農業、土壌、鉱物、産業史、製鉄、毒物、生物といった話が、ばらばらの雑学としてではなく、一つの仕事の中でつながっていた。


 奨学金生活で家計の余裕のなさも知っていたため、現世で下層にいた頃の暮らしも、前世の記憶が戻った瞬間にすべて異質なものへ変わることはなかった。


 ただし、上位貴族の礼儀は別だった。


 科学館で働いていた経験は、王族だけの夜会で正しい色のドレスを選ぶ助けにはならない。


 シャルロットは女性侯爵になっても、マドレーヌ先生から王妃教育を受け続けた。


「歩幅が少し大きいですね」


「またですか」


「今日は昨日よりいいです」


「昨日もそう言われました」


「昨日より良くなったから、今日も言っています」


「マドレーヌ先生、優しいけど逃がしてくれませんね」


「逃がしたら、また王族の方々に喜ばれます」


「それは嫌です」


「では、もう一度」


「はい」


 自然な愛らしさは残った。


 分からないことを分かったふりで壊すような行動もしない。


 必要な役割は、ぎこちなくてもこなす。


 第一王子と側近たちは、そんな彼女を気に入っていた。

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