Episode 4
その日の朝は、東の空が朝焼けで真赤に染まっていた。
フロントガラスを赤く染めて映る山際の上の雲間から、真赤に赤く渦巻く太陽が顔を覗かせ、今にもその空の一角が燃え出し燃え落ちるかの様であった。明後日頃から、天気が崩れ始めるのかも知れない。
左腕に填めた親父の形見のスイス製クヲーツ時計は、まだ五時を少し回った時間を指したばかりである。
その日も俺は、ホールを目指して車を走らせていた。
いつものように立体駐車場の一階に車を停め、店のホール入り口に向かい急ぎ足で歩いて行く。駐車場には既に、見覚えのある常連達の車が何台か停められていた。
ホールの入り口が見通せる場所まで来ると、やはりそこには、まだいつもより大分早い時間だというのに人の列ができあがっている。
ある者はしゃがみ込み、ある者は隣の奴と座り込んで話をしている。また、立ったまま文庫本の活字を目で追っている、見慣れない若い男もいる。更には、列の傍らのホール入り口の段差に座って弁当を食っている奴までもいる。そして列に並ぶ皆が一様に、誰もが時間を持て余している貌をしているように見えた。
その数は、ざっと見て十四、五人くらいであろうか。ホールのオープンには、まだ四時間以上もあるというのに。
呆れたことに、順番待ちの列の先頭周辺を独占している例の学生達は、ホール入り口の庇の下でまだ布団に包まって眠っている。掛け布団の端からは、奴らの眠る阿呆面が丸出しになっているのが窺える。
俺にとってはどうでもいいことだが、こいつ等は毎晩、どこで何をしているのだろうか。すねをかじられている親が見たら、さぞ悲しむことだろう。まあ、自分の学生時代を振り返っても、とても人様に説教ができる立場ではないのだが。
俺はその列の最後尾に着くと、アスファルトの上にしゃがみ込み、ブラックコーヒーのプルタブを引き開ける。そして一口飲み込みながら地方紙を広げると、ゆっくりと紙面に目を通していく。
いつもながら、ホールがオープンするまでの時間を、こうして順番待ちで並んで待たねばならないこの時間は、つくづく無駄な時間だった。しかも順番待ちの列の先頭は既に、今だ布団に包まって眠っているあの学生達に取られてしまい、俺が今日出ると予想する台は全て、奴らに押さえられてしまうというのが分かり切っているというのに。
しかし、こうして順番待ちの列に並ばなければ、打ちたい機種すら取ることができないのも事実だった。まあそれが、俺がこうして毎朝、朝早くから列に並ぶ本音のところであるのかもしれないのだが。
でも、朝早く並んで台を取ったところで、当然のことながら勝てるとは誰も保障をしてはくれるはずもないし、むしろ負けることを考える方が妥当であるだろう。もし勝ちだけに拘るのなら、店の開店時間から相応の時間を置いてゆっくりと来店し、他人が打ち散らかした後の台を打った方が余程勝算があるだろう。当然それが世間の常識だろうし、正直俺も常にそう思っている。
だが俺は、朝一に人の手の触れていない台を打つということに、自分だけの密かな楽しみを見いだしていた。当然勝たねばこの遊びを続けていくことはできないのだが、その勝ち負け以前に、俺は朝一の台を打つことに強い魅力を感じていたし、ある意味それが俺の一つの拘りでもあった。
しかしそうとは言え、俺もこの毎日の待ち時間を正直いい加減持て余していた。毎日毎日繰り返される、この何のメリットも何もない、本当に無駄なこの時間を。
そんな時には決まって『奴』が、俺の前にやって来た。どうでもいい様な下らない話題をネタに、俺に向かって話しかけてきながら。
俺はここではいつも、誰にも自分に付け入れられる隙を見せないように心を閉ざしていたつもりだった。だが、無意識にも俺は奴に隙を見せ、それを奴に見込まれることで、俺の心の隙間に入り込まれてしまっていたのだろうか。それとも奴が、人を誑し込むための特別な目を持っていたのか。
何れにせよ、俺は知らず知らずの内に奴の事を意識し、徐々に奴の話し相手になるようになっていった。そして気がつけば、いつしか奴が後から来れば自分の後ろに入れてやり、やがて缶コーヒーを奢ったり奢られたりし合うような仲になっていた。
その日も、店が開くまでの待ち時間を無為に過ごした俺は、、やっとホール内への入場時間を迎えていた。
そして、入場整理券の番号順にホール内への入場が開始され、列の先頭に並んでいた学生達が、俺が好んでいつも打っている機種のある島に向かって走って行く。恐らく今日出そうな台は既に、奴等に端から押さえられてしまうことだろう。
そしてその後、十七番目に俺の番が回って来た。もう全てを諦めていた俺は煙草を咥え、ゆっくりとその島へと歩いて行く。
島に向かう角を曲がると、予想通り俺が予測した台は、全て奴等に押さえられてしまった後だった。
「まぁ、そうだろうな …。」
そう呟きながら、俺はいつもの角台に目をやる。ホールへの入場前にチェックしたデータロボのデータは、昨日その角台が大爆発して大量のコインを吐き出したことを示す、綺麗な右肩上がりのグラフを描いていた。
「データが示す通り、今日は誰も取らないか。まぁ、下げだろうし、出る訳もないし …、な⁉︎ 」
心の中ではそう呟きながらも、俺はその台の下皿に煙草の箱を投げ込んでいた。
「いつもの性か …」
そう小さく呟くと、顔に冷めた笑みを浮かべ、首を小さく左右に振って見せる。そしていつものように、缶コーヒーを買いに自販機コーナーへと歩いて行く。
ホールに戻り角台の椅子に座ると、コインサンドにピン札の千円札を一枚差し入れ呑み込ませる。
コインサンドからは、《 ジャジャ、ジャッㇻッ 》というコインが擦れ合う金属音を響かせながら、五十枚のコインがスロット筐体下部の下皿に吐き出される。周りの台からも、サンドから吐き出されるコインが擦れ合い奏でる金属音が静まり返ったホールの空間に響き渡る。
照明が落された店内は薄暗く、薄いベールの闇を纏って見えている。そしてそれはどこか、薄らと淫らな匂いを漂わせ、それがしてはいけない遊びだと、強く感じさせている。
俺は、十時の開店を告げる音楽の音が、やがて流れる一瞬の瞬間が来るのを左腕の時計に目を落とし、その秒針を目で追いながら静かに待つ。右手にコインを数枚持って。
周りの台でも客達が、身を固く耳をそばだて、ジッと時が来るその瞬間を待っている。
それまでの混沌として無秩序な、ざわざわと波のように寄せていた喧騒が一時に消え、ホールの中を、まるでホール中の全ての空気が固体となり固まってしまったかのような静寂が、シンと静かに包み込む。
俺はこの一瞬の静けさが、何にも増して好きだった。
こうして毎日店へとスロを打ちに通うのも、ホールには不似合で奇妙な、まるで時の止まったようなこの一瞬の時を味わうことが、その大きな目的だったのだと思っている。
《 ジャーン、ジャン… ジャジャーン …… 》
やがて開店を告げる音楽の音が、高らかにそして激しくホールの中に鳴り響く。
椅子の上で凍り付き固まっていた連中は、息を吹き返すと一斉にスロットの筐体にコインを投入してスタートレバーを弾き、スロットのリールのストップボタンを軽快なリズムで押し止めていく。
辺りを、筐体の奏でる軽快な音楽に合わせ踊るように回るリールの回転音と、下皿に《 ジャ、ジャッ 》と、吐き出されるコインの擦れ合う金属音が包み込み、ホールの中を、前にも増した喧騒の世界が支配していく。
周りの奴等は血眼を開け、リールの回転が描き出す光彩を睨みつけると、狂った様にコインサンドに千円札を呑み込ませていく。
もはや自分の周囲で何が起ころうと、それに気がつかないほどに、皆、自己の世界に没頭仕切っている。
俺は出ないのを承知の上で、ダラダラと自分の座る台を打ちながら、横目で周りの様子を眺めている。心の中で小さく嘲笑いながら。
「どうせ店の勝ちよ! コンピューター相手に勝とうとして、勝てる訳もあるまいし。所詮、店の手の平の上で転がされているだけさ …」
例の『奴』は、いつしか俺の隣で、俺と一緒にスロを打つようになっていた。
そして今日も、俺の隣で打っている。
「どうせ、学生の奴等に良い台は皆持ってかれている訳だし、どこで打っても同じさ。ねぇ、そうでしょ?」と、妙な理屈を口にしながら。
俺は、黙ってそれを聞いている。リールの回転を見詰め、手だけを動かしながら。
奴は、俺よりはかなり年下だった。仕事は自由業に毛が生えたようなことをやっているとは言っていたが、細かい事はもう忘れてしまっている。
奴とはあくまでホールの中だけの付き合いで、奴の私生活に踏み込むつもりもなかったし、俺の私生活にも立ち入らせたくはなかった。やはり俺はいつも、心のどこかに殻を何重にも張り巡らせていたのだろう。うつ病は別としても、普通の生活の中でも、多分、性分として。
少なくとも、この時点まではそうであったと、俺は今でも確信している。
俺の座った角台に、やっとビックボーナスが入った。コインサンドに何枚目の千円札を呑み込ませた時だったのか。既に、金銭感覚は相当麻痺してしまっていた。朝一から打ち始め、もう午後も遅めの時間になっていた。
ビックボーナス確率からも、この台の設定が、昨日の設定から打ち替えられた低設定であることは、これまでの台の挙動から既に知れてしまっていた。
だからその日、俺にはもう勝ち目の無いことも明白だった。
「せめて、アラチャンだけでも来てくれ。頼むっ! …」
心の中でそう念じながら、ビックボーナスを消化する。この機種は、ボーナスゲーム終了直後の何十ゲームかは、さもアラジンチャンスに入ったかのようなフェイク演出が起こり、中々本身の演出との見分けが付き難かった。
そしてビック終了後、一ゲーム目。ラクダが液晶のドットを横切る演出で、それは始まった。
「どうだ⁉︎ 」
俺はそう気合を込め、ベットボタンを叩きコインを三枚投入すると、スタートレバーをゆっくりと押し下げる。その後もドット画面ではラクダの横切り演出が頻発している。
そして十何ゲーム目か、画面をラクダが横切ったにもかかわらず、リールには月の出目が揃う。
「おう! 入ったか⁉︎ 」
「せめて二十セットくらいは続いてくれ!…」
その数ゲーム後、ベットボタンを叩くと台の奏でる音楽が軽快な曲に切り替わり、やっとこの角台も、今日初めてのアラジンチャンスに突入していった。
既に今日の負けが確定している俺は、せめて気分だけでもゲームを楽しもうと、半ばヤケ気味に鼻歌交じりで打っていた。
隣で打っている『奴』も、今日はかなり負けている様子で、奴の台は、まだアラチャンどころかビックボーナスにさえ入っていないあり様だった。奴は、俺の台を見て羨ましそうに何か話しかけて来ていたが、俺は台に視線を投げたまま、聞こえない振りを決め込んでいた。
俺がこの台だけを夢中になって打っていたのは、このアラチャンの一撃の爆発力に惹き付けられていたからだった。実際、台の設定さえ良ければだが、このアラジンチャンスのゲームは現実的な突入確率で千ゲームも続くこともあり、それだけで一撃万枚オーバーのパワーを秘めていた。
だが、その日の俺の座る角台は余程の低設定だと見えて、そのアラチャンも、三回こっきりの単発だけであっさりと終ってしまった。
「あーあッ …。これで終わりかよ。三百枚も出ねぇし。これじゃ何の足しにもなんないわ。散々だよな!」
俺は、台に向かって溜息交じりに悪態を吐くと、台の脇に置いていた煙草の箱を鷲掴みにして煙草を一本咥え取る。そしてジッポーをカチッと鳴らす。
( ふー … )
紫煙を二つの鼻孔から吐き出しながら、荒っぽく台に向かって煙を吐きかけると、隣に座る奴に言った。
「今日は駄目。低設定を承知で打ち込んだけど、ここまでカス台とは思わなかった。やられたわー。…そっちはどうだ?」
俺は、奴も大負けしているのを承知で、そう水を向ける。
「駄目、だめッ。例の学生達が押さえた台はデータロボの読み通り、朝一から全台端から噴きまくっているし。やっぱ、朝の順番待ちで先頭を取られちまっていることが全てだわ …」
奴もそう言って、首をすくめ左右に振って見せると、学生達が出したコインをドル箱に木の葉積みにして、それをこれ見よがしに台の上に並べているのを苦々しげな貌で見ている。
「そうだな …」
俺は、素直に奴の言葉に頷くと、そう答えた。その点、俺と奴との利害は一致していた。
「あいつ等、どっかに流れて行っちまねえもんかなぁ!」
奴は煙草の煙を吐き出しながら、まだ学生達の方を睨んでいた。
「ねぇ。俺とノリでスロ打たない? 勝とうよ! 奴らに」
奴が、学生達に向けていた視線を俺の方に戻すと、俺にそう問いかけてきた。
「やだよ!。お前下手だし。どう考えても俺の大損じゃねえか‼︎ 」
俺は、奴の顔も見ずにそう吐き捨てると、ホールの壁にある窓から覗く外の景色を見やった。
そこから見える日差しはもう山の端に大分傾きかけ、木立の影を長くくっきりと、灰色に光るアスファルトの地面に映している。
「それじゃあな …」
俺は適当に奴との会話を切り上げると、そう奴の背中に言葉を投げながら席を立った。そして車を停めた駐車場に向かい、ホールを出て行った。
空調が効き渡ったホールから外に出ると、昼の日差しに熱せられていたアスファルトからは、息をすることもできないほどのむわっとした熱気が立ち上がり体を包み込んでいく。暦の上ではもう、夏も終わろうとしているのだが。
相変わらず駐車場の横の梢ではアブラゼミが、去りゆく夏を惜しんで懸命に鳴いている。
西の空には傾きかけた太陽が、まだギラギラと真っ赤に燃えていた。辺り一面を焼き尽くそうとするかのように。
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