Episode 3
結局その日は、アラチャンゲームが終了した午後六時までその台を打ち、八千枚ほどの出玉だった。
景品交換所で現金に両替すると約十三万円になったのだが、まあ、朝一からずっとコインサンドに呑み込ませ続けていた金を引いた約十万円が、その日の勝ち分として俺の懐に収まったというところである。
こうして、俺は毎日このホールに通って来ている訳だが、いつも妻には「釣りだ」、「頭を休ませるため、近場を車でぶらぶらして来るだけだよ」と、適当に理由を見繕っては嘘を吐き、朝早くから車で家を出て来ていた。
だからどうしても、遅くても夜の七時頃までには家に帰る必要があった。さもなければ妻が切れ、俺に噛み付きけたたましく騒ぐ顔が目に浮かんだ。
「仕事を病気で休んでいるのに、毎日何をほっつき歩いているの!。いいご身分だこと…」
それを避けるため、例え良い台に座ったとしてもよっぽどの事が無い限り、俺は決めたその時間までには家に帰ることにしていた。
勿体ない話ではあるが。
車を飛ばし家に帰ると、妻や子供達家族と食卓を囲んで夕食を取りながら、その日あった話題に盛り上がる。
だが俺は、家族に何を聞かれようとも、「別に何にも無かったよ」と、いつも笑いながらそう答えてはいたのだが。実際、家族に向けた笑い顔の下で、常に俺は、後ろめたく、そして言い訳すら何もできないほどのその不逞の行動の全てが、家族に知られてしまうことだけを恐れていた。
だから家族と夕食を囲んだ家族団らんのテーブルでも、俺は心のバリアを解くこともできずに、常に緊張の糸を周囲に張り巡らせていたのだった。
職場で不幸にも出会ってしまった、完璧主義者の上司との人間関係の軋轢からうつ病を患い、休養のため休職中の身でありながら、心の安らぎが一番得られるはずの家庭生活で少しも心の休養などにはなってはいなかったし、こんな生活で、俺のうつ病の病状が好転するはずもなかった。
ただ、その全てが俺自身の自業自得の行動がその原因となっているという自覚だけは、十分にあったのだが …。
夕食を済ませるとシャワーを浴び、狭い庭に出て煙草を一服つける。これがいつもの俺の習慣になっている。
庭の椅子に腰掛け煙草に火を点ける。そしてゆっくりと、煙草の煙を胸一杯に吸い込む。
(ふーッ)
俺は煙草の煙を吐き出しながら、またいつもの物思いに浸り込む。
「仕事を休職してから、もう四ヶ月か。いつまでもこのままじゃぁ …。だが仕事に行く気力も、なぁー …」
(ふーっ、ッ…)
煙草の煙を指先にくゆらせたまま、暫く目を閉じジッと考える。
そして俺はおもむろに煙草を咥えると、また煙を胸一杯に大きく吸い込む。
(ふーっ、はぁー…)
暫く息を止めた後、吸い込んだ煙を暗い夜気の中に思い切り吐き出す。そして深呼吸のように煙を吸い込んでは、また吐き出し続ける。
暫しの瞑想の後、俺はまた呟く。
「時間が …、時間が解決してくれるのを待つしかないのか ……」
俺は溜息交じりにそう呟き灰皿に煙草を思いきり押しつけ揉み消すと、椅子から腰を上げ玄関に向かって歩いて行く。
二階の寝室のベッドに入ると、読みかけの小説を開く。
間に挟んでおいたシオリが、はらりと枕元に落ちる。それを拾いながら隣のベッドに目をやると、子供達はもう寝息を立てて眠っている。
俺は「ふーっ」と、また小さく溜息を一つ吐き、開いた小説のページに目を戻す。
暫く活字を追った後、眠気がゆっくりと押し寄せて来たところで文庫本のページの間にシオリを挟み込むと、ナイトテーブルの上にそれを放り投げる。そして枕元の目覚まし時計をいつもの時間にセットすると、淡く黄色い色を放っているナイトスタンドのスィッチを消す。
直ぐに寝室の中の空間を、暗闇を纏ったベールが包み込む。
「明日はどの台にするか …」
家族で生活して行くために必要な仕事への復帰を考えつつも、俺の頭の片隅ではまた明日の出そうな台のことが気になり、その台のイメージが脳裏に思い浮かぶ。
「あれとあれ、あと …」
心の中で、今日の出方から、明日高設定が入りそうな台の目星を付けていく。
「狙い通りの台が取れれば ……」
寝室に広がる闇の中に、いつしか俺の心も体も落ちていき、やがて寝室の中を静寂な空気が支配していた。
翌朝、目覚ましの音で目覚めると、何食わぬ顔をして朝食のテーブルに着く。
「今日も一日、車でぶらぶらして来るょ。病気のためには気分転換にもなるし」
俺は、誰に言うともなくそう呟く。
すると妻が目敏くそれを聞きつけ、いつものように俺の揚げ足を取ってくる。
「毎日毎日、ぶらぶらできていいご身分なことネ」「もう、仕事も大丈夫なんじゃない? 仕事に行ったら⁉︎」
「そう言うなって。俺の病気にはぶらぶらしながら気休めすることが、一番の薬なんだからな!」
俺はいつもと同じように、苦し紛れの言い訳をしながらその場を取り繕う。
そんな俺を横目に、妻は呆れ顔を横顔に張りつけたまま、それ以上俺に関わろうともせずにさっさと片づけを始める。
俺は新聞を広げ、紙面にざっと目を通していく。そしてリビングの壁に掛けられた時計に時々チラッと目をやると、時間を見計らってキッチンで立ち動く妻に声をかける。
「そろそろ、出掛けて来るよ。夕ご飯までには帰って来るから」
「 …… 。」
妻の、無言で責める声を背中に受けながら、俺は玄関を出て車に乗り込む。そして後ろめたい気持ちを振り切るように、通い慣れたいつもの道をホール目掛けて飛ばして行った。
店に着くと、自分の他には停まる車もまばらな駐車場に車を停め、俺はホール入り口へと走り込む。
そこには既に、二十人くらいが順番待ちの列を作っていた。ある者は座り込み、またある者は立ったまま隣の奴と話し込んでいる。
俺は列の最後尾に着くと、前にいる常連に軽く会釈しながらその場に座り込む。そして煙草を一本咥えて引き抜き、途中のコンビニで買ってきたブラックコーヒーのプルタブを、《カコッ》と鳴らして開ける。
(ズズッ、グッ …)
俺は缶コーヒーをすすりながら、周囲へと目をやり周りを見渡す。そこには早朝のまだ気怠い空気の中、毎日飽きもせずこのホールへと通って来る、いつもと変わらぬ常連達の姿があった。
列の先頭では例の学生達がまだ布団に包まって寝ているし、スロプロの親子連れの二人や中年の怪しい親父、それに“スキン”の、光る尖り気味の頭も見えていた。
何れにせよ、ホールへの入場時間にはまだたっぷりと二時間以上もあった。
いつもと同じ様にホールへの入場開始時間まで、俺はここでこうしながら時間を潰すより他に仕方がなかった。
今、改めてあの頃のことを振り返って見ても、生産性も何も無いただの虚無な遊びに、よくもまあ貴重な時間をあれだけ浪費していたものだと思う。
もうその当時、既にいい歳をしていたのにも係らず、俺はただの頭のイカレた遊び人だったとしか言いようもなく、今こうして、周囲に恥を曝していた当時の事を思い出すだけでも恥かしく、入るための穴を探したくなる。
その頃の俺は、本当の意味で病んだ病人だったのだと思う。
俺が『奴』に初めて会ったのは、いつものそんな朝のことだった。
「今、何時ですか?」
そいつは黒のサングラスを掛け、スポーツ新聞を左脇に挟み俺の前にやって来ると、そう俺に聞いてきた。
「 …。七時二十分だよ」
俺は、そいつに左腕に填めた金色のオメガを向けながら、突き放すように言った。
「ここには、よく来るんですか?」
「ああ …、大体はね」
「俺、ここ今日が初めてなんですよ。ホールには何時に入れます?」
そいつは俺の横に座ると、なおもそう俺に問いかける。そしてこのホールのことや、どうともないような世間話を俺に投げつけてきては、なれなれしく俺に話しかけてくる。
俺は短くぶっきらぼうな言葉で相づちを打つことで、わざと奴に、そうあからさまに嫌悪と拒否の態度を示す。
「あぁ、そうだな …」
俺は、なるべくホールでの知り合いを作りたくなかったし、実際、今までもずっとそうしてきた。
なぜかと言うと、それは俺が元々人嫌いだったということがある。人と関わるのが面倒だったから、なるべく他人には関わりたくなかったし、正直、人のことなどはどうでも良かった。
それに、病魔に取り憑かれうつ病患者となってからは、人の視線や、本当に些細なほんの何気ないような他人の会話が俺の心を苦しめ、それが余計に俺と他人との距離を遠ざけていった。
だからこそ、俺はスロにのめり込んでいたのかも知れない。
スロこそは本当に、自分だけの孤独な世界に浸り込め、俺を苦しめるこの世の全ての腐れた人間関係のしがらみから逃避して、自分だけの世界に籠ることができたから。新たにギャンブル依存という、別の病魔に取り憑かれるのと引き換えに。
そして、やはり休職中の身という後ろめたさが俺の意識の底にあったことも、それに影響していたのだろうと思うが。
「おはよう。コーヒーどう? ブラックだよね?」
だが奴は、その後もそのホールに居付き、いつもなれなれしく俺の傍にやって来ては話しかけてくるようになった。そして俺の心の中に、ズカズカと音を立て入って来ようとする素振りさえ見せていた。
パチンコ屋に来るようなイカレタ奴等は大概、相手に自分の本心など見せないし、当然ホールという博打紛いの遊び場で、数回顔を合わせただけの素性の分からない奴に本心を明かそうなどとする馬鹿もいない。ホールに朝一で並んでいるような奴に、ろくな者などいるはずもなかったし。
だから俺は、心にやましさを隠しているような常連客の奴等とたまに話をしても、当然ながら表面的な話しかしなかった。いや、むしろ正直、怖くてできなかったというのが本当かもしれない。
だから当然俺も、他の常連客と同様に奴のことを視野の外に置いて、奴に付入る隙を見せないようにしていた。
その日の朝も、例の学生達に先頭の番号を独占され、俺が得た番号は十番代の後半の数字であった。
「今日も、狙い台は無理か …」
俺は顔をしかめそう呟きながら、店内へと入場していった。
ホールの手前に設置されたデータロボで、前日までの出玉のデータを調べると、俺の指定席となっている角台の昨日のデータは綺麗な右肩上がりのグラフを描いている。とても今日、店がこの台に設定6を入れてくるとは思えない。
多分奴等も、今日の狙い台からこの台は外してくるだろう。
だが、俺には天邪鬼のところがあって、出ないと分かりきった台でも座る癖があった。しかも、それが例の角台であればなおさら座りたくなる。例え、確実に出ないことが分かっていても。
「どうせ今日も、奴等に良い台は全部取られるに決まっている。それなら、いつもの角台で一日ゆったり打つさ …」
やがてホール内への入場時間になり、俺はそう自嘲するつぶやきを飲み込みながらホール内に歩いて行った。案の定、奴等はその台を今日の狙いから外していて、角台は誰にも取られもせずほったらかしにされ空いていた。
俺は迷わず角台の下皿に『◯ブンスター』の白い箱と銀のジッポーを投げ込むと、自販機コーナーに向かった。
その店の俺がいつも座る角台には、妙な癖があった。
ホールにとっても、一番目立つこの角台に高設定を入れ客に出させることで、他の客への " 客寄せパンダ " として、見せ台とする意図があったのだろう。そのため設定6を据え置き、二日続けて使うような台の使い方をすることも多かった。
だから、昨日の出玉のデータだけでは、今日の設定を推測できないという意外性があったことが、俺がその台に執着し座ることが多い理由の一つでもあった。
事実、他の客の狙いから外れたその台に座り、爆発させたことも少なからずあったし、一撃万枚を得たことも何回かあった。
だがその一方で、当然ながら外れたことの方が遥かに多いのも事実ではあったのだが …。
そんな時は俺の、座る台の設定がいくら悪くても出るまで同じ台を追いかけるという性分が災いし、大負けを喰うのが常だった。しかし、それでも一日中好きな機種を、気に入った角台でゆったりと打てるという意識の方が勝っていた様な気がしないでもない。
その日も俺は、予定通りいつものように午前中で大負けを喰らい、その日の軍資金を全て午前中の早い内にコインサンドに溶かし込んでしまっていた。
こうなれば、後はさっさと家に帰るしか術は無い。店にとって金の無い者はもはや客ではなく、ただの役立たずに過ぎなかったから。
俺は早々にその日の勝負を諦めると、データロボに立ち寄り、明日に備えて他の台のデータを一通り眺めてからホールを後にした。
その夜、庭に出て夜空を見上げた。
空には満天の星が瞬き輝いていた。夏の星座は既に西の空低く傾きかけていたが、西の山の端にはまだ蠍座が懸かり、その心臓ではアンタレスが紅い瞳でこちらを窺っている。
そして足下からは、もうどこからか秋の鳴く虫達の鳴き交わす声が聞こえてきていた。
「もう夜を、秋の世界が支配している」
俺は、不似合な感傷に浸りながら煙草を一本口に咥え引き抜くと、ジッポーで火を点けた。
《カチッ》《シュボッ、ジッ》
(ふーぅ …)
目を閉じ、白い煙を吐き出す。
「休職してもう五ヶ月。職場にも、そして家族や周りにも迷惑をかけているし … 。生活のためにも、そろそろ勤めに復帰することを真剣に考えねば」
心の中で、俺は呟く。
「だが …。本当に大丈夫なのか、俺は⁈ ……」
もう一人の俺が、俺の心に向かってそう問いかけている。
「 ……。」
二回小さく瞬きをすると、俺はまた大きな溜息交じりに煙草の煙を吐き出す。
白い煙が、暗い夜空にゆっくりと広がり消えていく。
俺は、それを目で見送りながら呟く。
「 …そうさ。…なる様になるさ、きっと …。だがそうなる様に、自分で考えて変えていくしか術は無いのだが …」
溜息とも付かない吐息を一つ大きく吐きながら、俺は目を固く閉じそう自分の心に向けて呟く。
「自分が変わらなければ、何も変わりはしない」
だが、自分が実際に行動を起こさなければ何も変わらないということを、俺は痛いほど、自分の胸の中では分かっているつもりだった。
でも実際には、自分から何かを変えようとする行動ができないでいた。だからこそ、こうして何かに夢中になっていなければ、心の中で俺を責め苛むもう一人の俺の声に、自分自身の心のバランスを取れないほど追い詰められてしまっていたのかもしれない。
俺を取り巻いている周りの全てに甘えながら、例えそれがパチスロという、何の役にも立たない現実逃避のためだけの遊びであっても。
次章へ …




