Episodo 12
間もなく、いつもと変わらぬオープン時間がやって来ようとしていた。
俺は煙草を咥え、コインを片手に持ち構えたまま、静寂な一瞬のが来るのを心待ちに待っていた。
やがて、ホールの中が水を打ったようにシンと、静まり返る。
( ジャーン …、… )
開店を告げる音楽が高らかに、ホール内にこだましながら響き渡る。リールの回転音とコインのジャラつく音が入り混じり、ホールの中が騒然とした空気で包み込まれていく。
俺はゆっくりと投入口にコインを三枚投入すると、スタートレバーを叩く。そしておもむろにリールのストップボタンを押し止めていく。左、中、そして右と。
俺にとっての朝一の楽しみは、これでその八割方が終わってしまう。
だからその後は、台横のコインサンドにいつ止まるとも分からないまま千円札を呑み込ませ、煙草を咥えただひたすらとそれを繰り返していくだけであった。
「またアラチャンかよ! どうしたんだこの台は …」
今日は、朝一から俺には何かが憑いていた。まだ千円札を数枚しかコインサンドに呑み込ませない内に、集中役とビックボーナスを引き当て、それがずっと継続していた。
それは午後になってもまだ続き、俺の座る椅子の周りには見る間にドル箱が積まれていく。
「今日でホール通いも最後と決めた日に、この角台で当てるなんて …。話が出来過ぎだよなぁ」
俺はそう口に出し呟きながらも、このホールで打つ最後のゲームになるであろうこのアラチャンを、満更でもなさそうな顔付きで煙草を横っ咥えにしたまま、夢中で一心不乱に打っていた。
多分この時、傍から俺を見る奴等の眼には、俺のその姿は一端のスロプロ崩れくらいには見えたことだろう。
と、その時であった。誰かに肩を叩かれたのは。
「ん⁉ …?」
後ろを振り向くと、そこには『奴』が立っていた。紺色のスーツにネクタイを締めて。
「よう!」
俺がそう声をかけると、奴は元気なさそうに言った。
「… また出してる。いつも勝ってばかりいて … …」
「ン⁉ …。どうしたんだ? そんな格好して」
「ごめん。… ちょっといい?」
奴はそう言いながら、俺に向かって手招きをして見せる。
「何⁉ …。 何か話?」
俺は奴に首を傾げて見せると、そう言いながら席を立った。まだいつ終わるとも分からないまま続くアラチャンゲームを区切りのいいところで止め、途中にしたままで。
そして俺は黙ったまま、奴の後ろに着いて歩いて行った。前を行く奴は心なしか、力なさそうに肩を落として歩いて行く。どうやら奴は、自販機の並ぶ休憩所に行こうとしているらしかった。
色取り取りに縁取られた、パチンコの機種が設置されているフロアを横切って休憩所に着くと、俺は、奴と向き合ってテーブル席の椅子に座った。
「ちょっと待ってろ」
俺はそう言って、缶コーヒーを自動販売機で買って来ると、一本奴の前に置いた。
「ここで、こうして会うのも久し振りだな。お前、ここのところホールに顔を出していなかったしな。元気だったのか? 俺は、今日でホール通いを止めようと思って来たのさ。来週から、仕事に復帰することに決めたんだ」
「だから、今日でスロも打ち仕舞いさ」
「でもお前、元気が無いようだけども、何かあったのか? そんな、今まで見たことも無いような身なりまでして」
俺はブラックの缶コーヒーを飲みながら、奴にそう尋ねる。
「 …、… … 」
奴は暫く、瞬きだけをしながら下を向いているだけで、何も喋ろうとはしなかった。
「 …?」
俺は煙草に火を点けると、煙を大きく吸い込んだ。そして奴が話し出すのを待った。
暫く二人とも無言のまま、沈黙の時間だけが二人の間に流れる。
俺達の周りを、ホールから流れ来る喧騒が包み込み、そしてゆっくりと側を通り過ぎていく。それらは金属の触れ合うジャラジャラという金属音や、時に客達が声高に話す話し声、そしてホール内に響き渡る軽快な音楽のリズムだった。
「実は …」
押黙ったその場の空気を破るかのように、やっと奴が言い淀みながらも口を開いた。
「実は、今日大阪での仕事の予定があって …。電車で出掛けるつもりで …、俺は駅に。駅前を歩いていて、そしたら後ろから来たバイクに乗った奴等に …、肩に背負っていたザックを引ったくられて …、…」
「何だって⁉ 引ったくりに合ったって言うのか?」
俺は小さくむせながらも煙草の煙を吐き出すと、早口に奴にそう尋ねた。
「それで?、それでザックはどうなったんだ?」
「 “ 泥棒 ”って、叫んで俺は追いかけて …、側にいた人達も一緒に、奴等を追いかけてくれたんだけれども …、バイクはそのまま逃げて行った。俺は直ぐに交番に行って事情を話したんだが …。警察は、常習犯だなって ……。一応、被害届の届け出はして。財布が中に入っていたんで、全て取られてしまった。…」
俺は缶コーヒーを口元に運ぶと、一口それを口に含んで飲み込んだ。俺は、奴に何を話したらいいのか、その時ちょっと迷っていた。
「どうすればいいのか、駅で途方に暮れたまま迷っていたんだけれども …、貴方がここにいることが頭に浮かんで …。こっちに知り合いがいないもんだから …、俺。お金が無かったものだから、警察に五百円借りてバスでここまで来た訳なんです …。 … 会えて良かった」
「そんな事があったというのに、俺に会うためわざわざここまで来たっていうのか? それで俺にどうしろと言うんだい⁉」
俺は少し突き放した言い方で、そう奴に言った。煙草を灰皿の上に揉み消すと、直ぐに二本目の煙草に火を点けながら。
奴はまた、下を向いて黙り込んだ。
「 …、…… 」
少し間を空け、俺は煙草の煙を吐き出しながら口を開いた。
「で、結局金って事かい?」
「いいえ …。でも … …。今日中に大阪に行かなければならないんです。デカい仕事の約束があって …。どうしても相手に払わなければならないお金だったんです。それを …」
「それで、幾らくらい取られたの?」
俺はそう聞いていた。
「仕事に …。仕事に必要なお金は三十万です。それと後は、自分のお金が少し入っていて四十万円 … …。」
「四十万?。またそんなに、バッグに入れておいたものだな。“ 盗ってくれって ”、言っているようなもんだぜ!」
「 … はい 」
「それで俺にどうしろと? 四十万なんて大金を、今持っているはずはないだろうに」
「それは …。… …」
奴はそのまま、また下を向いて黙り込んでしまった。
午後の強い日差しが、壁にあるブラインドの隙間を通して休憩所の中に差し込んでいた。だが部屋の中には空調が効いていて、俺を清々しい気分にさせてくれていた。
俺達の周りではスロの合間に遅い昼食を取る客達が、三々五々散らばり、所々に固まっては連れ達と話し込んでいる。
暫く俺は、俯いて黙り込む奴の向かいで黙って煙草を吸っていた。頭のどこかでは、( 今更、厄介な事に巻き込まれたくはないな )と感じながら。
と、突然、奴が泣き出した。大きな涙をポロポロとこぼしながら。
「俺、罰が当たったと思うんです。ホールに入り浸って、いい気になって …。この前換金した時に、換金口に誰かが忘れて行った一万円札があって …。俺はそれを猫ばばしてしまったし … …」
奴は泣きながらそれだけを言うと、また下を向き、押し殺すように黙って泣いていた。
だが俺は、周囲の客達をはばかるように周りを見回しながら、無言のまま煙草を吸っていた。そして心の中で、こう呟いていた。
( 結局のところ、俺を頼って来たということか …。しかし、四十万か。とても持っているような金じゃあないし。きっと、奴の眼には俺がいつも出していて、そして俺に金があるように映っていたんだろうな。どうするか … )
暫く無言のまま考えていた後で、俺はおもむろに口を開くと奴に聞いた。
「俺に、その金を借りたいって事なんだな?」
「いいえ。そんな …。ホールで知り合っただけの貴方に、そこまでは …。でも … …」
奴の考えは、俺には分かり切っていた。
俺は大きな溜息を一つすると、奴に向かって言った。
「分かった。俺が四十万貸してやろう」
「でも …。そんな …」
奴はまだぶつぶつ言いながら、愚図っている。
「だが、金を持ってここに戻るまでに二時間はかかる。待っていられるか?」
「はい …。今日中に大阪に行ければ間に合いますが …」
「よし。じゃあ、俺の打っていた角台を打って待っていてくれ …。それじゃあな」
俺は奴にそう言い残すと、駐車場に向かって歩いて行った。
「何で俺が …」
駐車場の入口で立ち止まると、俺は口元を歪めながら小さくそう呟いた。
そして胸ポケットから煙草の箱を取り出し、煙草を咥え取ると火を点けた。ジッポーの放つ《 カチッ! 》という高く澄んだ音が、立体駐車場の青い色をした鉄骨の骨組みの中に響き渡る。
俺は煙草の煙を一息大きく吸い込むと、また煙を駐車場の低い天井に向かって大きく吐き出す。白い煙が、鉄骨の部材を霞めながら薄くなり広がっていく。
相変わらず無表情な俺ではあったが、口からは自然と「俺もお人好しだな」と、自分を嘲笑する言葉が出ていた。
俺は何とか四十万を工面すると、ホールに戻って来た。
奴は、例の角台に座り夢中で打っていた。台が紅く点滅し、遠目からでもアラチャンゲームの消化中であることが分かった。椅子の周りのドル箱は、俺が打っていた時よりも更に増えていた。
「よお。待たせたな」
俺はワザと陽気な調子で、奴の背中を叩く。
「どうも …。この台設定6ですよ。また勝って …、いつも勝っているのだから … … 」
俺は奴を促して便所の個室に入ると、白い封筒の中に入った札びらを数えさせた。
「… 三十九、四十。確かに四十万です。あり難うございます」
奴は便所の中でも、また泣きそうになっていた。
「止めてくれ。こんな所で …」
俺達は便所から出ると再び休憩所に戻り、テーブル席の椅子に向かい合って座った。
「その金は必ず返してくれよ。俺は今日で、もうこのホールには来ない。来週からは仕事に戻るからな。連絡はここにしてくれ」
俺はそう奴に念を押しながら、連絡先である勤務先の名刺に、俺の携帯電話の番号を書き足して奴に渡した。
「分かっています。借りたという証拠に証文を書いていきます。それと …、私の免許証を預けていきますから」
「いいよ!、そんなものは」
俺はそう言ったのだが、奴は頑として俺の言う事を聞かなかった。
奴は店の景品カウンターに走って行くと、白紙と黒いボールペンを持って戻って来た。そしてその紙に、「貸してもらった金の借受け証文です」と言いながら、俺の目の前で、自筆でそれを書き始めた。
その証文には、奴の住むアパートの住所と名前、奴の携帯電話の電話番号、それに今日の日付と、俺から四十万円を借りたこと、そして何月何日までに借りた金に利息を含めて、俺に六十万円を返済すると書き添えてあった。
「六十万円⁉ 貸した金は全部で四十万円だが? どういう意味だ?、これは!」
「私の感謝の気持ちです。こんな私にここまでしてくれて …。本当にあり難うございます」
奴は、俺に向かってそう言いながらまた頭を大きく下げ、俺に深々とお辞儀をする。そして免許証を、その自筆の証文と一緒に机の上に置いて、バスで駅に向かって行った。
奴を見送った後、俺はまた大きな溜息を吐くと、暫く目を閉じたままジッとそこに座っていた。
奴が借金の形だと言って置いていった免許証には、“ 加藤賢一 ” の名前が印字されていた。
「 “ 加藤賢一 ”か、… …。」
俺はその免許証を見詰めながら、そう小さく溜息交じりに呟いた。
「俺は奴の名前すら、これまで知らなかった …。なの に … …」
「 … …。」
心の中に浮かんだ輪郭の無い影を振り払うように、俺は左右に大きく首を振ると、奴が置いていった証文と免許証をポケットの中に仕舞う。そしてゆっくりと立ち上がると、俺はスロの島に向かって歩いて行った。
あの角台のアラジンチャンスのゲームが打ちかけで、まだ途中にしたままだった。
次章へ …
次回、完結。
7月31日 午後12時10分投稿予定。




